天冠山題詠(趙孟頫)の口語訳 -2ページ目

天冠山題詠(趙孟頫)の口語訳

てんかんざんだいえい(ちょうもうふ)のこうごやく

  壬戌之秋   (壬戌(ジンジュツ)の1082年秋)

七月既望    7月16日に)

蘇子与客泛舟  (私(蘇軾ソショク)は客人と一緒に船を漕いで)

遊於赤壁之下 (赤壁の下で舟遊びをした)

  

清風徐来   (すがすがしい風がゆったり流れている)

水波不興   (この風が吹いても、水面に波が立たない)
挙酒属客   (船の中で酒を出して、客に手渡し乾杯をした)

誦明月之詩  (既に作詞されている「名月」の詩を朗読し合った)

歌窈窕之章  (「名月」以外の美しい多くの文章表現も入れて歌った)

 

少焉      (少しして)

月出於東山之上 (東の山の上に、月が出た)

徘徊於斗牛之間 (その月が、斗宿(イテ座)と牛宿(ヤギ座)間を動く)
白露横江    (水面に白い薄い霧が漂っている)

  

水光接天    (水面に光が反射し、キラキラと空(天)と繋がっている)
縦一葦之所如  (私たちの小船(葦の葉は船の喩)は流されるまま、行くところを船に任せている)          

凌万頃之茫然  (霞でぼやけた広大な水面を、流され漂って行く)
浩浩乎如馮虚御風(果てしない水面、将に空にいるようで、そこに吹く風に船は任されているようだ)

  

而不知其所止  (そして、この小船がどこに止まるか分からない)

飄飄乎如遺世立(舟で長い時間流されていると、まるで世俗を離れ別世界にいるようである)

羽化而登仙       (羽が生えて、空の仙人のように空中にいるようだ)    

 

 於是飲酒楽甚 (酒を飲んでいるので、さらに楽しくなった)

扣舷而歌之。  (船べりをたたいて、歌を歌った)
歌曰、     (歌の内容には、)

桂棹兮蘭槳   (桂木で出来た船、そして蘭の木でできた櫂)

 

撃空明兮遡流光(月明かりの水面を櫂でたたいて、舟が水の流れに遡っている)

渺渺兮余  (私の懐かしさは遥か彼方にある)
望美人兮天一方(空の遥か彼方を眺めながら空の向こうにいる,昔の私の君主のことを思いしている)

 

客有吹洞簫者(蘇軾の友人が縦笛の洞簫を吹いている)

倚歌而和之 (この音楽に合わせ他の人が歌を歌っている)
 (簫(しょう)の音色は低く物悲しいものであった)

如怨如慕   (恨むような、慕うようなものであった)

  

如泣如愬((泣くような、訴えるようなものである)
音嫋嫋   (その余韻は細く長く)

不絶如縷   (繊細な糸のように途切れなかった)

舞幽壑之潜蛟(その音色は池の深淵の蛟龍をも躍らせるような)

泣孤舟之嫠婦(舟に一人でいる未亡人を泣かせるような音色で)

  

蘇子愀然正襟(蘇軾はその寂しさに服と姿勢を正して)

危坐而問客曰(何故なのかを問うてみると相手は答えた)

何爲其然也 (何故、そのよう(に笛の音が悲しげ)なのですか)

 

客曰     (客は言いました) 

『月明星稀  (「月が明るいのに、星が出ていない)

烏鵲南飛』  (カササギが南に飛んで行く」)

此非曹孟德之詩乎(という曹操の詩がありますよね。)


望夏口    (ここからは、東に夏口を見渡し)

西望武昌    (西には武昌が眺められます) 

山川相繆    (山や川が交互にからみ合っているようで)

鬱(乎蒼蒼 (これらを深い緑の草木が覆っています)

 
此非孟德之困於周郞者乎(ここ(赤壁)は曹操が周瑜に苦しめられたところではないですか)

方其破荊州((曹操が)荊州を征服した後すぐに)

下江陵  (江陵まで川(長江)を下った)  

 

順流而東也(川の流れにより下り、東の方に向かいました)

舳艫千里 (船団の長さは千里にも及ぶ長さででした) 

旌旗蔽空 ((船団の)立てる旗で空が隠れるほどであった) 

釃酒臨江 ((長江を眺め)酒を酌んで(先頭の舟で)飲んでました)

 

橫槊賦詩  (矛(槊)を横に持ちながら詩を作った)

固一世之雄也((曹操は)その時代の英雄・軍団の頭領として、彼は確かに英雄でした)   

而今安在哉 (しかし、今はどこにいるのかな(英雄でも死ぬ))  

 

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