皆様お疲れ様です
今週の日曜日、3月10日は
長男の2回目の月命日です。
先日もう1ヶ月かーなんて思ってたら
更にもう1ヶ月経ってしまいました。
あのピザの話からもうそんなに経つのかと
時の流れを感じております。
涙もあの時程出なくなりました
悲しみの深さは同じなんですけど
不思議なものです。
とはいえ何かのきっかけがあれば
大号泣出来る自信はありますけどね笑
長男と離れ離れになってから
会わない日数が
毎日最高記録を更新しているわけですが
今、この瞬間「長男が居ない」という事には
少しだけ慣れたような気もします。
この瞬間が連続して繋がってくると
やっぱり寂しいなと思いますし
同じ瞬間といっても
長男を思い出す瞬間は
やっぱり嫌です。
ここが難しいところで
思い出すのは辛いから嫌なんだけど
記憶から無くなるのも嫌で
思い出したくないわけでもない
もしもこの辛い記憶が
いつか感謝の気持ちに変われば
楽になれるかもしれない
そんなふうに思っています。
そしてこの考え方を
どうやって自分に落とし込むか
色々考えてたんですけど
一つだけ「こんな感じ」なのかな?
っていう到達点みたいなものを
見つけた(?)んです。
私は卒業式に例えて考えてみました。
卒業式って学生の時は
本当にその日が来るのが嫌で嫌で
先生や同級生との別れを泣いて惜しみました。
でも後になってから振り返ると
学生時代は良い思い出があり
恩師や同級生に感謝の気持ちが芽生えてきます。
卒業式ではあんなに悲しかったのに
数年後にその時の卒業式を思い出しても
悲しくはありません。
それって自分が次に
新しい世界に行ったりする事で
変わっていくのかもしれませんよね
そんな事をふと思ったのです。
悲しみのフローってこういう動きなのかなと
卒業式と死別や逆縁が同じだとは
思っていませんが
気持ちの移り変わりは
今の気持ちのミニチュア版なのかなって
思ったら、ほんの少しだけ
先が見えた気がしました。
私、色々物事を論理的に整理するのが
割と好きなんですよね😄
道筋が見えれば自ずとやるべき事も
いつか見えてきますしね
もちろん人によっては
卒業式や学校生活にネガティブな
気持ちしかないという方もいらっしゃると
思いますので、全てが当てはまるとは
考えておりませんが
少なくとも私はちょっとだけ腑に落ちました。
次にその具体的な方法を見つけるのが
難しいんだとは思いますけどね
今はまだきっと私の気持ちは
1月10日の付近を
さまよっているんだと思います。
これから先も、暗い道を
細い細い糸のようなものを手繰り寄せ
出口まで1歩1歩進んでいく
立ち止まったり、つまずいたり
時には戻ったりを繰り返して
それでも出口を目指していく
我々遺族はそういう作業の繰り返しなんでしょう
このブログを読んでくださっている皆様には
いつも感謝しております
本当にありがとうございます。
月命日の事はまた改めて
御報告出来たらと思います
変なエピソードが生まれなければ
よいのですが……(フラグ)笑
最後までお読みくださりありがとうございました。