ギズモのもしもシリーズ“日常の哲学”

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突然ですが、引っ越しました!

 

全然書いてなくて、いきなりすみません!

できればそちらの方をよろしくお願いします!

 

https://himatsubushi0157.com

 

『ギズモの暇つぶし』

 

それではまた!

都知事選挙をやってますね。

前々から思っていたのだけれど、今回も候補者は3人?って感じでは?

テレビを見ない主義だったけど、

最近テレビを買いました。映画も見たいし・・・

しかし、ニュースを見ると例の3人がメディアの対象とされ、

他の人はほぼ出てこない(笑)

これじゃ、どう考えても3人で争っていて、

他の人は初めから『無理』ではないのだろうか?

出馬者の公約とか、言っていることとか関係ないね。

要するにメディアがどう映すか?それだけだね。

どこをカットして、どこを流すか、

それだけで悪人も出来るし、カリスマも出来る。

批判的書物としてはヒトラーの『我が闘争』

なんかにはこのことが(当時は新聞だけど)

よく書いてある。政治のことも。

他にも良い書物はあるけどね。強烈なのはこれだと思う。

メディアによって決まる…

本当にこれで良いのだろうか?
なんだか世の中が騒がしくなっている。

総理大臣の安保法政のことでの解釈変更についてだろう。

反対か?賛成か?

よく考えれば全く当たり前のことだが、

賛成もなにもない。

本来こうでなくてはならないのだ。

世界でアウシュヴィッツみたいなことがあっても

「我々日本人は関係ありません」

とでも言うつもりか?

国会前で抗議している人たちは平和を望むからと言っているが、

それは「日本人の平和」でしかない。

シリア問題や、いま現在起こっている問題が多くある。

軍事力で解決せよ!とは言わないが、

どうあっても軍事力で助け出す人がいないわけではない。

難民受け入れは、ちょっと棚上げするが、

「日本人は70年間戦死者をだしてない」

と、

アホな政治家は言う。

それは日本が70年間の間、

テロの被害者や、迫害を受けたり、差別を受けたり、宗教的問題を無視し続けた結果で、

自慢にならない。

我々日本人が平和ならそれでいいのか?

それが問われている!

戦争できない国、というのがそうさせてきた。

戦争できるけど、しない国にならなくてはならない。

その精神で初めて崇高な精神なのだ!

平和を愛する国なのだ!

絶対反対!!と唱える人たちが、

私には「世界なんてどうだっていい。

誰が死んだって構わない。

私たちがそんな人たちのために、

迷惑を被るのはけしからん!」

と聞こえる。

もしくは、恐らくアメリカに追従し、

アメリカの戦争に参加するのは嫌だと言っているのだろうか?

アメリカの戦争が間違っていると。

それならそう言えばいいのではないだろうか?

そうは聞こえない。

自衛隊が戦地に行って、それを理由に税金がかかったり、

日本人がテロに巻き込まれたりするのが嫌だと言うのだろうか?

エンテベの救出を調べて欲しい。

イスラエルの話だ。

とにかくテロがあり、戦争があり、迫害がある。

もう無視するのは止めよう。

世界は小さくなった。

もう日本人だからと言って無視はできない。

ちゃんと問題に向かって闘おう!

世界の問題は日本人の問題でもある!

集団的自衛権とはその宣言でもある!

今後の政治家の問題で、それは国民の問題だ。

ちゃんとした政治家を選ぼう!

その目を養おう。

訳の分からない方法で法案成立を止めようとする

頭のおかしい政治家を選んでしまってはならない。

日本人はバカではない。

軍事力がどうあっても必要な時は分かる。

それ以外は知恵を使って回避しよう。

それでこそ積極的平和主義だ。

世界においての。

「我々が平和ならそれでいい」は

もはや通じない。