一昨日の晩、訃報が届きました。
私が木曜日の夜に勤務している病院の看護師さんがお亡くなりになったという・・・・・。
私はメインの勤務先以外に、木曜日の夜にD病院の夜診を週1回担当しています。
2007~8年頃から、Oさんという70歳前後の看護師さんが私の診察の担当になりました。
木曜の私、および金曜の先生の週二回・夜診のパート勤務。
初めての時、
「私も最近、○○科につくことになったので、いろいろとご迷惑かけるかもしれないですけど、気がついたことはおっしゃってください。」と。
その後、毎週、私の外来について処置・看護をしてくれました。処置内容や、こんな場合はどうするものか、自分自身でしっかりメモをとってられました。真面目で、新しいことを得ようと努力されていることが感じられました。
2011年3月28日の長男の告別式にも参列してくださいました。
私の忌引き明けの日、2011年4月7日、悲しみに落ち込み泣いてしまった私に、心温まる励みの言葉をかけてくださいました。
「お父さんにこれだけ思われていたひろくんは、きっと幸せだったと思います。」
「ひろくんもきっと天国で感謝してるはずです。」
「家族のためにも、しっかりとお父さんしてあげてください。」 など。
毎週、悲しんでいる私に、言葉を選んで、うまく励ましてくれました。
心優しくて、そして心強さも備えたいい方でした。
そんなOさんが、身体の異変を初めて口にしたのが昨年12月15日のことでした。
「最近、胃の調子が悪くて18日月曜日に、別の病院で精査をする」とのこと。「検査が不安です。何かあるかもしれない。いつまで、元気で仕事できるかわからない。」と。
その翌週22日、彼女は来ませんでした。代わりの看護師に聞くと、進行期の胃癌が見つかり、骨などにも既に転移している状態とのこと。腰痛がひどくて歩けないほどらしく、入院された、と。
嫌な予感はしましたが、そんな事にまでなってるとは・・・。
大きなショックを抱えながら、その翌週の12月29日、私は独り、その病院へ見舞いに行きました。
病床に居たOさんは、私の訪問に驚かれて、喜んでおられました。来ていただけたでも嬉しい、と。「腰がとにかく痛くて歩けないんです。抗がん剤治療がある程度済めばいったん帰れるようだ」、と言ってました。
10分ほど話して、帰る前、私はOさんの手を握って、「癌との戦い・・・、辛いでしょうが進行を遅らせるよう無理せぬように頑張ってくださいね。」と。 「頑張ります。ありがとうございました。」 しっかり握り返したその目に涙が滲み、溢れそうでした。
それから、3ヶ月半。4月14日にD病院の看護師さんから届いた訃報。
昨晩、通夜に参列してまいりました。
安らかにお眠りください。私は、あなたの心温まる言葉に励まされました。
ご冥福をお祈りします。