この記事は、ドッペルゲンガーやポルターガイストなんかが割と身近にいたり、はたまたどこかの教祖さんから守護神的ななにかをいただいた的な感じになっちゃったりとかしてる、地球人の提供でお送りします。
さて皆さんの中には、霊による霊障を意識したことは無くともそういった類の話を耳にしたことがある、という方も多いかと思います。
では連中は何故そのような行為に及ぶのでしょうか?
理由は色々あると思います。多様な人間の死霊が多様であることは想像に難くありませんから。
しかし多くの霊が一般に求めていることはと言えば、多少推測できるのではないでしょうか?
考えてみれば単純です。私達が他人に干渉するとき、第一に求めることはなんでしょう?それはきっと「認識されること」のはずです。
では霊の「認識されたいこと」とはいったいなんでしょう?多くはきっと、辛く苦しい思いです。そしてその思いの根差す過去です。
霊に我々の言う「未来」はありません。彼らの「時間」は、彼らが死んだ時点で完全に停止しているのですから。それゆえ彼らは、過去に残した未練を晴らすこともできず、「未来」ある我々に救いやら何やらを求めて干渉してくるのです。
では我々人間(ここでは生きている人間を指します)は果たして彼らの期待に応えられるのでしょうか?我々の「未来」の可能性は本当に「無限大」なのでしょうか?
私を含め、人は後悔と言う名の、過去に対する未練を持っています。より正確に言うならば過去に起きた事象に対する未練です。この事象というものは、さながら写真のようであり、あとになって好き放題内容を変えてしまうことはできません。その時その事象が起こったということは、現在においてどれだけの努力を試みても、決して変わりのない事項なのです。
いくら「未来」の持つ可能性が「無限大」だとしても、それはあくまで不確定な未来での話。確定済みの過去をどうこうすることはできないのです。
さて、この様に考えると、我々生者と死者は共に「不可逆な過去」を抱えた存在だということになります。そしてこの「不可逆な過去」の不可逆性は、時間という概念そのものの一方通行的な面によるものであり、「死」という「物理的な世界との離別」とは必ずしも関係しないということになります。
逆に言えば、不可逆的な意味合いでの「死」とは、時間の不可逆性によるものであり、物理的な生死には関係しない、ということです。
つまり、我々「生きている人」とは「死んでいく人」であり、一瞬一瞬の過去は「死」のむこうへと切り離されているということです。未練の対象は「死」の隔たりのむこうにあり、どうすることもできないしどうやったって変えられない、という点に於いて、我々と彼らの差異は、物理的な生死を除けば、ほぼ無いと言えます。
しかし現代社会に於いては、多くの場合「むこう」が一方的に「こちら」に対し、半ば無遠慮に干渉してきます。多くの人にとってこれは望ましくないことであり、迷惑とも言えることではありますが、残念ながら今の世の中では「むこう」だけがまるで特権階級の様に「こちら」に影響力を行使しているのが現実です。
そこで私は言いたい。お前らいったい何様のつもりなんだ、と。
過去に遺恨があるのは何も死んだ連中だけじゃないし、その遺恨で、同じ様に未練を抱えながらそれでも一生懸命に生きている人たちに迷惑を掛け、あげく死んだお前らと同じ様に未練を作らせてしまうことで、幸せになんてなれるのか、と。
生きていようが死んでいようが、過去は清算できるものでは無いし、されていいとも思えない。しっかり抱えて堪えて、強く「生」きろ、と。
この記事で、一人でも悔恨から解放され、一人でも霊障から許され、一人でも多くの者が幸せになってくれると嬉しいです。
地球人でしたー。あー疲れたー <3
追記;害を及ぼさずに遊ぼうという善良な善霊のお誘いに関しましては、この限りではございません。
さて皆さんの中には、霊による霊障を意識したことは無くともそういった類の話を耳にしたことがある、という方も多いかと思います。
では連中は何故そのような行為に及ぶのでしょうか?
理由は色々あると思います。多様な人間の死霊が多様であることは想像に難くありませんから。
しかし多くの霊が一般に求めていることはと言えば、多少推測できるのではないでしょうか?
考えてみれば単純です。私達が他人に干渉するとき、第一に求めることはなんでしょう?それはきっと「認識されること」のはずです。
では霊の「認識されたいこと」とはいったいなんでしょう?多くはきっと、辛く苦しい思いです。そしてその思いの根差す過去です。
霊に我々の言う「未来」はありません。彼らの「時間」は、彼らが死んだ時点で完全に停止しているのですから。それゆえ彼らは、過去に残した未練を晴らすこともできず、「未来」ある我々に救いやら何やらを求めて干渉してくるのです。
では我々人間(ここでは生きている人間を指します)は果たして彼らの期待に応えられるのでしょうか?我々の「未来」の可能性は本当に「無限大」なのでしょうか?
私を含め、人は後悔と言う名の、過去に対する未練を持っています。より正確に言うならば過去に起きた事象に対する未練です。この事象というものは、さながら写真のようであり、あとになって好き放題内容を変えてしまうことはできません。その時その事象が起こったということは、現在においてどれだけの努力を試みても、決して変わりのない事項なのです。
いくら「未来」の持つ可能性が「無限大」だとしても、それはあくまで不確定な未来での話。確定済みの過去をどうこうすることはできないのです。
さて、この様に考えると、我々生者と死者は共に「不可逆な過去」を抱えた存在だということになります。そしてこの「不可逆な過去」の不可逆性は、時間という概念そのものの一方通行的な面によるものであり、「死」という「物理的な世界との離別」とは必ずしも関係しないということになります。
逆に言えば、不可逆的な意味合いでの「死」とは、時間の不可逆性によるものであり、物理的な生死には関係しない、ということです。
つまり、我々「生きている人」とは「死んでいく人」であり、一瞬一瞬の過去は「死」のむこうへと切り離されているということです。未練の対象は「死」の隔たりのむこうにあり、どうすることもできないしどうやったって変えられない、という点に於いて、我々と彼らの差異は、物理的な生死を除けば、ほぼ無いと言えます。
しかし現代社会に於いては、多くの場合「むこう」が一方的に「こちら」に対し、半ば無遠慮に干渉してきます。多くの人にとってこれは望ましくないことであり、迷惑とも言えることではありますが、残念ながら今の世の中では「むこう」だけがまるで特権階級の様に「こちら」に影響力を行使しているのが現実です。
そこで私は言いたい。お前らいったい何様のつもりなんだ、と。
過去に遺恨があるのは何も死んだ連中だけじゃないし、その遺恨で、同じ様に未練を抱えながらそれでも一生懸命に生きている人たちに迷惑を掛け、あげく死んだお前らと同じ様に未練を作らせてしまうことで、幸せになんてなれるのか、と。
生きていようが死んでいようが、過去は清算できるものでは無いし、されていいとも思えない。しっかり抱えて堪えて、強く「生」きろ、と。
この記事で、一人でも悔恨から解放され、一人でも霊障から許され、一人でも多くの者が幸せになってくれると嬉しいです。
地球人でしたー。あー疲れたー <3
追記;害を及ぼさずに遊ぼうという善良な善霊のお誘いに関しましては、この限りではございません。
