私の肺癌の記録と同時進行で、母の脳腫瘍についても、書いていきます。
2003年秋。
母は一人暮らしをしていました。
私は、この年の春に隣県に嫁ぎ、元々不眠症で精神が不安定だった母が心配で、週末ごとに実家に様子を見に帰っていました。
これを許していてくれた主人。ありがたいことです。
ある日、母から電話がありました。
「なんだか、最近変なの。自分あての郵便物の名前を見ても、少しの間、誰か分からなくなる。でも、少し眺めていれば、あ!私だ、って分かるんだけど。」
何だろう・・・
その時、母はまだ50代前半でした。
認知症にはまだ早いと思うけれど、何か他の病気かと一気に心配になりました。
病院、行ってみたら?
と勧めても、毎日じゃないし、他にどこも悪くないから、大丈夫だよ。
と言い、その時は行かずじまいでした。
やがて年が明け、
2004年の2月。
平日に母からの電話。
「なんだか、しばらく気を失っていたみたい。気づいたら、魚焼きグリルが自動で止まっていて、台所に倒れてた・・・。」
と、不安そうな声。
その日、大慌てで実家に帰りました。
週末だったので、2日ほど実家に泊まり、様子を見ていましたが、特に何もなく、母は元気に庭いじりをする毎日。
「もう大丈夫だから、もう○○(夫)の元に帰りなさい。ただの貧血か何かだから。」
そう言われ、もう少し様子を見ることにしました。
そして、3月。
「また倒れた。それに、最近なんだか急に吐き気がして、でも、吐くと何事も無かったようにスッキリする、っていうのが何度かあったの。」
そう言って、前よりも不安そうな母。
「行こう!やっぱり何か変だよ。大きな病気かも知れないし、手遅れになる前に。」
そう説得し、私の仕事が落ち着く次の週にでも行こうということになりました。
その時、私は、脳・・・かな。と思っていました。
当時実家で飼っていた犬が、「門脈体循環シャント」という先天性の病気をもっており、肝性脳症によるてんかん発作をよく起こしており、その症状とそっくりだったから。
そして、次の週。
私の職場に、大きな病院の脳外科の先生から、職場に電話がかかってきたのです。
母は、自分でも脳に何か原因があると、内心思っていたようで、以前新聞で見た、県内で有名な脳外科の先生の名前をメモしており、私に言わずに一人で、その先生の病院に行ったのです。
予約なしだったので、かなり待ち、ようやく診察を受けたらしく、終業時間近くの電話でした。
「○○病院、脳外科のAと申します。お仕事中に申し訳ありません、今よろしいでしょうか?」
もう心臓がバクバク。
救急車で運ばれたのか?と一瞬思いましたが、先生は続けました。
「お母様が、気になる症状があるということで受診されたのですが、脳に腫瘍が見つかりまして。今すぐどうこう、という事ではないのですが、ご本人がだいぶショックを受けていらっしゃるようで、一人お帰しするのはこちらも不安なので、お迎えに来て頂きたいのですが。」
との事でした。
母は、ショックで私の携帯の番号が思い出せなかったそうなのですが、財布の中に私の名刺があり、それを先生に私、先生自ら連絡を下さったのです。
礼儀正しく、言葉の端々に思いやりの心がにじみ出ている先生。
まさか、副院長先生で、権威ある立場の先生だとはその時知りませんでした。
A先生には、その時から現在もなお、17年以上の長きに渡りお世話になっています。
職場から病院まで、電車を乗り継ぎ2時間近くかかります。
少しでも早く、どうにかならないか。
まずは、弟だ!
弟は当時、私と同じ町の大学に通っていました。車もあります。
幸い、すぐに連絡がつき、弟の車で向かいました。
同時に、隣町の叔母にも連絡をしたところ、すぐに駆けつけてくれるとのことでした。
大急ぎで脳外科外来へ。
母は、処置室で横にならせてもらっていました。
横には、叔母が。
叔母の顔を見た途端、張り詰めていたものがほどけ、涙ぐんでしまったのを覚えています。
CTの画像には、ぼんやりと、大きく影が。
「調べてみないとまだ何とも言えませんが、おそらく腫瘍だと思われます。この影は浮腫みで、その中に何かあるだろうと推測されます。次回、造影剤入りのMRIで詳しく見てみましょう。」
との事で、造影剤やMRI検査に関する色んな書類にサインしました。
その日は、MRIは予約がいっぱいで受けられなかったので、
後日改めて検査をすることになったのです。
その後、叔母にお礼を言い、弟と3人で家に帰りました。
玄関には、犬が待っていました。
大喜びで尻尾を振って。
「ノノちゃん、お母さんもあんたと同じく癲癇おこすようになっちゃったよ。」
と泣く母。
その日の夕食は、何を食べたのか思い出せません。
何も味がしなかったことだけ、うっすら記憶にあります。
続く。