歌とピアノと献血と。

歌とピアノと献血と。

献血と合唱が趣味のおやじのブログです。
気ままにピアノ弾き語りをしてたりもします。

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女性なのに女性っぽくないこの歌い手のこと、僕はかなり好きだ。
もちろん番組も素敵なコンセプトだけど、この曲のイントロが聴こえるタイミングで、いつもうっすらと涙が出そうになる。

幸せを分けてあげられたらどんなに素敵なことか。
番組を見る度についくちずさんでしまう。


この曲は確か大学の頃によくカラオケで歌っていた。
中居くんのソロの部分を上手く歌うかわざと下手に歌うかでいちいち仲間内で盛り上がっていた覚えがある。

とらえどころのない歌詞が、かえって自由なイメージを彷彿とさせてくれて、この曲を歌う時は何も考えなくても楽しい気持ちにさせてくれる。

free birdとせず、freebirdと繋げてる意味は、きっと自由という形容詞を鳥につけるということではなく、つなげることで「freebird(自由鳥)」という名前の鳥、という名詞にしたいという意図があったのではないかと想像している。

そんな鳥になった気持ちで歌ってみました。

夏も終わりに近づくと、溶けそうな夏の暑さや、キャンプファイヤー、夏祭り、それら全てが懐かしく、恋しくなる。

この歌が世に出た2003年に20代前半だった僕は、物悲しい夏の終わりの歌にあまり共感はできなかった。
歳を経て昔を懐かしむことが自然になると共に、この歌の歌詞や雰囲気を受けいられるようになってきた。

森山直太朗の歌は、味わい深くなっていくから不思議だと思う。
おじいちゃんになった頃には、1フレーズで聴衆が涙するような、とんでもない歌い手になっている気がする。

森山直太朗の歌の中でもとびきり懐かしい気持ちを感じるこの歌を、味わいながら歌ってみました。

この歌がヒットしたのは2010年頃だけど、リリースされたのは1992年と、約20年の時を経て再注目された。

長い間大事にされて陽の目を見た、ということとこの歌の歌詞がリンクしているようで、不思議な気持ちになった。

この歌の中で印象的なのは、『しあわせ』を『幸せ』ではなく、『仕合わせ』と変換している部分だと思う。

人と人の出会いは、幸せではなく、仕合わせ=めぐり逢いなのだと。

率直に美しい表現だと思う。

そんなめぐり逢いを、歌ってみました。

たった1人のためのヒーローでありたい。
そうなれれば他に何もいらない、と思える暖かい歌詞に共感し、何度も聴き返した曲。

そして、いくつものスパイスがあるから人生がフルコースになり得るという前向きな歌詞。
苦難や困難があればこそ、色々なことのありがたみがある。本当にそう思う。

僕もHEROになりたくて歌ってみました。

この歌が流行っていた2004年、僕は大学生だった。

オリンピックで盛り上がっている中頻繁に流れていたイメージが強く、「成功体験」のシンボルのような曲だと最近までずっと思っていた。

 

ところが、とあるきっかけで歌詞をよく読んでみた結果、自分のイメージとはかけ離れていることに気付き、少し恥ずかしい気持ちになった。

この曲は、成功に至るまでの苦しく辛い道のりを表現している歌であることに気付いたからだ。

 

結果として成功に至れたかは分からないけど、少なくとも「悲しみや苦しみの先に」しか栄光はない、ということは真実であると思う。

何も努力しないで得たことは結局心のどこかで納得がいかず、達成感がないはずだから。

 

自分はいま栄光を勝ち取っているわけでは全然ないが、少なくともこの日々の向こう側には、今よりもっとできないことができるようになった自分がいる、ということを信じて歌ってみました。

 

 

使用してから約1ヶ月が経過。


妻より、せっかく高いお金出して買ったのに(フレーム込みで約15万円…)ほとんどつけてないね?

とツッコまれ、日々の生活ではほぼつけていない、ということに気付きました。


このメガネには欠点がいくつかあることを先日のブログに書きましたが(脳の処理が追いつかず疲れるとか)、もうひとつ大きな欠点があることにかけてから2日目に気付いてしまったのです。


それは、余計な映像が乱反射して視界に入り込む、ということです。




この画像で伝わるか分かりませんが、色覚補正メガネ越しだと、映像が乱反射して前が見にくいのです。


対策としてつばの大きめな帽子をかぶることで乱反射をある程度抑えることができ、余計な映像は半分くらいになりました。

が、根本的な問題として、普通のレンズと色覚補正レンズの間に空気の層があることがそのことを引き起こしているのでは?と仮定し、光を通さないもので周りを覆うことでより視界がクリアになることが分かりました。






2枚のレンズの間にある3-5mmほどのすき間、分かりますかね?


他社で出ているもので、完全にぴったりくっついている様なデザインもあるため、そんなフレームに移し替えたらより解消するのでは?と思うようになり、せっかく買ったメガネをあまり使わなくなってしまっていました。


ですが、よく考えたら、保証に加入していたので、フレーム交換ができないものか?とダメ元で再度メガネスーパーに行ってみました。


かなり難色を示されましたが、

選択肢としては

①フレーム交換

②ケミストリーという特注の外付けフレームを新調

のいずれかで、レンズの間のすき間をふさぐ事を提案いただきました。


②については追加で36000円…。最初からあきらめ、①をすることにしました。


作った店の選択肢に無かったフレームを提示され、これですき間が無くなるなら…と思いフレーム交換を依頼。


果たして結果は…?


また更新します。


成分献血でも年間の規定回数を超えてしまい、およそ3ヶ月ぶりの献血でした。


少しクーラーが強めというのもあり、血管が縮んでしまったのか、普段よりも時間がかかりました。

献血後の血圧測定でも上も下も15くらい普段より高かったので無関係ではないと思いました。


いつものお土産に加えて裁縫の団体の方よりおまけをいただきました。




200回まであと83回!

中学生の頃は、掴みどころのなさと透明感のあるの声に魅力を感じて、スピッツの歌をよく聴いていた。
大人になった今、スピッツには儚さと青春の懐かしさのようなものを感じるようになり、最近また昔聴いていた曲を聴き直してみた。

楓は、明らかに元恋人や昔好きだった人のことを歌っている曲のように思うが、後ろめたさとか後悔の念はまったく感じず、むしろ爽やかな空気しか感じない部分が不思議な魅力だも思う。
霧の中にいてはっきりと周りは見えないけど、美しいものがあることは確信しているような、そんな…。

美しい思い出を思い返しながら、歌ってみました。
スピッツ最初期のアルバムに収められているこの曲と出会ったのは小学生か中学生くらいのこと。
当時はよく分からないけど澄んだイメージの曲、くらいの印象だった。
ぶっちゃけ、トンガリ95以外は全部似たような曲だとさえ感じていた。

歌はワインと似ていると最近思うようになった。
というのも、出会ったばかり(作ったばかり)では美味しくなかったものが、時間かをかけて熟成されることでまったく違ったものになるから。

この曲も、10代、20代の頃は分からなかった良さが、40代になって理解出来た。
生きてきた年数や経験、それを踏まえての今の人生の仕上がりで味わいが変わる。

ちなみに、タイトルのYの意味は色々な解釈があるけど、個人的には道なりを推したい。
同じ道をある時期歩いていた2人が、別々の道に別れるということを、アルファベットのYに当てはめた、ということではないかと。
ただ、夜明けが必ず来ると信じているから、もし再び道が同じにならなくとも、お互いの明るい日々を期待している、という光景だと思う。

卒業とか就職で親友と離れても、お互いに頑張ろうぜ、って意味とか、別れても元恋人の幸せを祈っているよとか、いずれにしても前向きなエネルギーを感じる。

誰かにエールを送る気持ちで歌ってみました。