特別な母親 -1980年5月11日-
女性が母親になるきっかけはいくつかあります。多くは偶然の結果でしょうが、計画的なこともあれば、社会の圧力に負けてという人もいくらかはいるでしょうし、惰性でそうなる人も少なくはないでしょう。
今年は10万人近い人々が障害児の母親になるでしょう。障害児の母親が、どのようにして選ばれるか、考えたことがありますか?
私の目には、神様が地上を見渡しながら、大いなる心遣いをもって慎重にその教えを広める手足となる人々を選んでいらっしゃる姿が浮かびます。神様は観察しながら、天使たちに命じて、大きな台帳に記入させていきます。
「ベス・アームストロングには男子を。守護聖人はマタイ。アージョリー・フォレストには女子。守護聖人はセシリア。キャリー・ルトリィジジェラルドには双生児。守護聖人は、そうだな、ジェラルドにしよう。冒涜されることにも慣れているからね」
神様は天使に最後の名前を告げながら微笑みます。「この女性には、傷害のある子供を授けよう」
天使は不思議に思って尋ねます。「でも神様、なぜこの女性に?この人はとても幸せなのに」
「その通りだ」と神様は答えます。「笑いを知らない母親に、障害児を授けることが出来るだろうか?残酷なことだろう?」
「でも、彼女に耐えられるでしょうか」天使はなおも聞きます。
「忍耐力が強すぎてもいけないのだ。自己を憐れみ、落胆して、そのなかにどっぷりと浸かりすぎて溺れてしまうだろうからね。ショックから立ち直り、恨む気持ちが薄れたら、もう大丈夫、やっていかれる」
「でも神様、彼女は神さえ信じていませんよ」
神は微笑みます。「大丈夫、それは私に任せておきなさい。この女性は最適だ。適度な身勝手さも持ち合わせているからね」
天使は驚きます。「身勝手?それは美徳ですか?」
神はうなずきます。「折々に子供と自分を切り離すことが出来なかったら、切り抜けていくことは出来ないよ。この女性にこそ、完璧には足りない子供を授けたい。彼女はまだ気がついていないが、今に人からうらやましがられるようになるだろう。
彼女は、子供が話すひと言を、当たり前とは受け取らないだろう。歩いた一歩を、当たり前だと思わないだろう。子供が初めて「ママ」と言うのを聞いたとき、彼女は、自分でそれと解ったうえで、奇跡の目撃者となる。盲目の子供に木々や夕日のことを話して聞かせるとき、私が創造したとおりのものを目にする数少ない人間のひとりとなるのだ」
「私は彼女に、私が見ると同じものを見せてやろう。無知、残酷、偏見。そしてそれを乗り越えさせてやろう。彼女は決して孤独ではない。彼女の人生の毎日、毎分、私は彼女のかたわらにいよう。なぜなら彼女は、あたかも私の手足ででもあるかのように、私の仕事をすることになるのだから」
「では、彼女の守護聖人は?」天使はペンを構えて尋ねます。
神は微笑んでこう言います。「鏡を見ればそこにいる」と。
2003年にドーマン博士が聞かせていただいたお話です。
私はこの時、障害児の母親である事に「腹をくくる」事が出来、今に至っています。
私の人生は娘が障害児でなかったら今とまったく違う人生になっていたでしょう。
でもこれだけははっきり言えます。
「絶対に今の人生のほうが良い!娘を授かったからこその私の人生だと・・」
今年も頑張ります、でもドーマン博士に会いたくなったのでちょっと行ってきます。
ひだまり工房 代表 高木真弓