クリエイターやアーティストに憧れる。
憧れるというか焦燥感にかられる。
身近にその道のプロがいろいろといる状況であるから尚更。
それとは別にアカデミックなものにも惹かれる。
そっちもそっちですごい人が身近にいるからまた。
だから今さらながら院に入ろうかとか、勉強しようかとか、本でも出してみたいなあとか。
この奇妙な焦燥感が無くなれば楽になるのにと思った。憧れるならまだしも嫉妬みたいなものは自分には要らない。嫉妬するくらいなら実現するために努力すれば良いだけ。
でもきっと、本気でプロになりたいんじゃない。そういうことじゃない。
今の自分は今の仕事で十分成果を上げていて、周りからも評価を得ている。それでいい。
だったらなぜかと考えた。カウンセリングに行って考えた。
いろいろ言葉を遣っていたら、ようやくちょっとだけ見えてきた。
自分は今の場所に立つためにあり得ないほどの努力をした。してきた。している。
それは本当にとてつもない努力であり、目の前には険しい壁がそそり立っていたわけであり、それを蹴散らしてどついて壊しまくって今がある。それは紛れもない事実だ。
でも、壁をよじ登ってしまうと、そこには一般的な日常が姿を現すわけで、そこでの自分の努力は「並より上」程度になる。氷山のてっぺんがかろうじて見えているくらいだからね。
氷山のてっぺんでも、たぶん平均よりは上だ。
ここで、いつも思うことがある。壁の前で何もせずに現状を嘆くだけの人には同情が集まる。わかりやすいから。悲劇に浸って何も変わらずにいればいい。
でも、水面から頭を出して身を乗り出している自分には、誰一人同情しない。同情するだけの過去があるだなんてとても見えないから。
自分は正当に評価されるべきであり、それだけの努力はしてきたつもりだ。もし水面下のすべての標高を0から計測すれば、きっとそれは世に出た人やアカデミックな世界で成功を収めた人程度にはなるんじゃないかと思う。だから、その人たちへの賞賛を受けるくらいの努力をしたんだから認めて欲しい、と足掻いている…じゃないかなあという推測が成り立つ。
ここで勘違いして欲しくないのは、決して自分が現状を憂いてはいない、ということ。
別に「努力しているのにちっとも報われない」と言っているわけじゃない。むしろ報われない人の方がわかりやすい。
そうじゃなくて、自分は十分報われているし認められている。だからこそ水面下の努力が全くなかったことにされてしまうことに不満が募る。
ちょっとでも現世で成功しているとね、そんなことは些末な取るに足らないものにされてしまうんよ。カウンセラーさんも「まあ一般の人にあなたの努力が理解できるとは思えないしね」と笑われた。しゃあないね。
どうしたらいいんだろう。歌にしろってけしかけられたけどさ。本も書けといわれたけどさ。そういうことじゃない気がするけどね。
いつまでも課題に対して努力して克服し続けるのは疲れたよ。報われているよ。それもわかってる。でもさ、もっとだらしなく生きても良いかなって思うよ。怠惰で。クズになりたい。自分がクズなのは周囲が悪いからだとだだをこねて。なーんにもしないで。もう努力なんてしない。勉強も成長もしない。前向きになんかならない。もう疲れた。挑戦もしない。練習もしない。前も向かない。そんなクズはたくさんいる。びっくりするくらいいる。あり得ないほどいる。
自分もクズになりたい。その方が、きっとわかりやすい。同情で良いからかわいそうって言われたい。言われたいよ本気で。
高い高い壁を乗り越えて、まともな生活をおくっていて不満もなくて。ほら、何もなかったことにされてしまう。すべては自分が努力した結果なのに。最初から持っているものとして扱われてしまう。持ってなかったどころかマイナススタートなのに。
どうやったら自分のこの気持ちへの落としどころが見つかるんだろうか。