スポーツカーみたいな車を手放した。私には不釣り合いな、でもとても似合う車を。


高速でもカーブでも安心して乗れる車。車高が低くてドアが大きくて乗りにくくて大好きな車。全然大事にしてなくてボロボロになった車。


あれは圭ちゃんが好きだった車。


初めて自分から手放そうと思えた。マインドフルネスをやった。やっぱり反発する力が強かった。

初めて、初めて私は私から怒鳴られた。


自分だけ幸せになるなんて許せねえぞ、と。

顔が歪んで勝手に言葉が出てくる。怒りが込み上げてくる。いつものあの感じ。こわかった。


私の暴力的なお兄ちゃんを取り込んでいたことにようやく気づいた。あれはお兄ちゃんだったんだ。イジメ抜かれたことしか覚えてない。名前も顔も覚えてない。

そして、圭ちゃんはお兄ちゃんだったんだ。

暴力的なお兄ちゃんは、もしかしたら私より頭が良くて才能があったのかもしれない。悔しかったのかもしれない。

私を助けてくれていた圭ちゃん、ありがとう。そして本当にさようなら。


もう一つ。
アドラーも時には役に立つ。
どんなに不利益だと思える問題行動も、きっと何らかのメリットがあるから選択されたのだろう。
私が自分を重篤だと思うことで、何のメリットがあるのだろう。

それはきっと、それなのに何とか平凡な毎日を送っていられて、自分はよくやってるなあと気づくためなんじゃないかな。
平穏な生活を送っているけれど、きっと、自分の解離は重篤で、それを意思の力でねじ伏せて辻褄を合わせて生きている。

マインドフルネスをやろうと試みるも、誰の今なのか。そもそも私に過去は存在するのか。全てわからなくなる。

記憶は連続しているのに記憶は飛び飛びで、私は誰と関わったかの記憶を持っているのに誰とも関わった覚えがない。



母親の気が触れたとき、私は全くの被害者だった。母親の邪推は全て妄想でありえないことだった。それはついさっきまで確実な過去だった。

でも、覚えてないだけで、私は加害者だったのかもしれない。

その事実を覆い隠すために、私は色々なものが怖くて、色々なものに怒りを持つのかもしれない。生理的嫌悪感と怒りは強いから、真実の過去とフラッシュバックを覆い隠してしまう。気持ち悪さと腹立たしさは激しくて、過去を探求する気力を奪うから。



ここにはもう書かない。唯一消さずに残っているものだけど。いつか誰かが消してしまうかもしれないけど。今までそうやって消されてしまったように。

クリエイターやアーティストに憧れる。

憧れるというか焦燥感にかられる。

身近にその道のプロがいろいろといる状況であるから尚更。

 

それとは別にアカデミックなものにも惹かれる。

そっちもそっちですごい人が身近にいるからまた。

 

だから今さらながら院に入ろうかとか、勉強しようかとか、本でも出してみたいなあとか。

 

この奇妙な焦燥感が無くなれば楽になるのにと思った。憧れるならまだしも嫉妬みたいなものは自分には要らない。嫉妬するくらいなら実現するために努力すれば良いだけ。

 

でもきっと、本気でプロになりたいんじゃない。そういうことじゃない。

今の自分は今の仕事で十分成果を上げていて、周りからも評価を得ている。それでいい。

 

 

 

だったらなぜかと考えた。カウンセリングに行って考えた。

いろいろ言葉を遣っていたら、ようやくちょっとだけ見えてきた。

自分は今の場所に立つためにあり得ないほどの努力をした。してきた。している。

それは本当にとてつもない努力であり、目の前には険しい壁がそそり立っていたわけであり、それを蹴散らしてどついて壊しまくって今がある。それは紛れもない事実だ。

 

でも、壁をよじ登ってしまうと、そこには一般的な日常が姿を現すわけで、そこでの自分の努力は「並より上」程度になる。氷山のてっぺんがかろうじて見えているくらいだからね。

氷山のてっぺんでも、たぶん平均よりは上だ。

 

 

ここで、いつも思うことがある。壁の前で何もせずに現状を嘆くだけの人には同情が集まる。わかりやすいから。悲劇に浸って何も変わらずにいればいい。

でも、水面から頭を出して身を乗り出している自分には、誰一人同情しない。同情するだけの過去があるだなんてとても見えないから。

 

 

自分は正当に評価されるべきであり、それだけの努力はしてきたつもりだ。もし水面下のすべての標高を0から計測すれば、きっとそれは世に出た人やアカデミックな世界で成功を収めた人程度にはなるんじゃないかと思う。だから、その人たちへの賞賛を受けるくらいの努力をしたんだから認めて欲しい、と足掻いている…じゃないかなあという推測が成り立つ。

 

 

 

ここで勘違いして欲しくないのは、決して自分が現状を憂いてはいない、ということ。

別に「努力しているのにちっとも報われない」と言っているわけじゃない。むしろ報われない人の方がわかりやすい。

そうじゃなくて、自分は十分報われているし認められている。だからこそ水面下の努力が全くなかったことにされてしまうことに不満が募る。

 

ちょっとでも現世で成功しているとね、そんなことは些末な取るに足らないものにされてしまうんよ。カウンセラーさんも「まあ一般の人にあなたの努力が理解できるとは思えないしね」と笑われた。しゃあないね。

 

どうしたらいいんだろう。歌にしろってけしかけられたけどさ。本も書けといわれたけどさ。そういうことじゃない気がするけどね。

 

いつまでも課題に対して努力して克服し続けるのは疲れたよ。報われているよ。それもわかってる。でもさ、もっとだらしなく生きても良いかなって思うよ。怠惰で。クズになりたい。自分がクズなのは周囲が悪いからだとだだをこねて。なーんにもしないで。もう努力なんてしない。勉強も成長もしない。前向きになんかならない。もう疲れた。挑戦もしない。練習もしない。前も向かない。そんなクズはたくさんいる。びっくりするくらいいる。あり得ないほどいる。

自分もクズになりたい。その方が、きっとわかりやすい。同情で良いからかわいそうって言われたい。言われたいよ本気で。

 

 

高い高い壁を乗り越えて、まともな生活をおくっていて不満もなくて。ほら、何もなかったことにされてしまう。すべては自分が努力した結果なのに。最初から持っているものとして扱われてしまう。持ってなかったどころかマイナススタートなのに。

 

 

どうやったら自分のこの気持ちへの落としどころが見つかるんだろうか。

 

言い訳をするつもりはない。

 

事実に対する記憶はある。やったのは自分なんだろう。

 

でも感情の記憶は全くない。自分がそんな大それたことをしでかせるとも思っていない。

何より、またたったこれしか年月が経ってない無いことが理解できない。

 

ネットは怖い。自分でない自分が引き出される。

 

どうなんだろうね。そうなのかね。それとももともとあったものが発言の機会を与えられたってだけなのかね。

 

ネット弁慶は現実社会でもいろいろやらかしていた。その記憶もないんだよなあ。あれらの事実が本当にあったことなら、今こうやって平気な顔をして日常を暮らせているはずもないのに。

 

 

いや、記憶はあるよ。自分に起きたことだという実感がないだけ。

 

 

こうやっていろいろなものを切り離して生き延びた。きっとね。

今、平凡すぎる毎日でとても満足している。それも本心。

 

感情を言語化する作業って大事だ。大事だからこそ、こんな凪も訪れるんだろう。

 

 

寂しい?さあねwwww