普段から俺は余分なものを部屋に置かない。
けれど、
コロナ外出自粛でやることなく、
普段より力を入れて掃除をしてみると。
あら、びっくり![]()
まだまだ、余分で、無駄で、
捨てられるものがあるじゃないか!
例えば、
いつか勉強するだろうと思っていた資料や、
何かの契約書、給与明細などなど。
いらない。
なぜ、こんなに奥にしまっていた?
棚の奥にしまって存在を忘れていたものに、
「いつか」は来ないことを知る。
「いつか、使うよね」
「いつか、必要になるよね」
「いつか、のために」
だから、ポイっと潔く全て捨てました。
ばんばんゴミを捨てながら、
ふと思ったこと。
人間関係も、余分なものが多いなあ。
余分だと感じるのは、
全ては“人”に対する自分自身の“恐れ”から。
嫌われたら怖い。。。
必要とされなかったらどうしよう。。。
面倒臭い奴だと思われたらどうしよう。。。
重いやつだと思われたら嫌だな。。。
使えないやつだと思われたらどうしよう。。。
人に嫌われたくない、
人に嫌われたくない、
価値のない人間だと思われたくない、
なんて思いで繋いでいる人間関係は、
そりゃ重いよね。
そんな恐れから繋いだ人間関係は、
棚の奥の不要なものと同じ。
もちろん、
人が不要だということが言いたいわけではなく、
不要なものは、
俺が大切だと思い込んでいた、
自分自身の人に対する“恐れ”。
人に対するどうしようもない「恐れ」が、
棚に同化するぐらい、奥の奥に厳重にしまわれている。
恐れは、やがて人に対する媚びになる。
媚びているやつを見ると腹が立つのは、
自分自身を見ているから。
そんな恐れや媚びを捨てれば、
もっと快適な人間関係がすごせるはず。
不要な人間関係は、この際、断捨離してみよう。

