今日は、高校の友だちのお家へ。2人で勉強会です。彼女は英語を、私は保育士の資格取得のための勉強。10:00〜11:00までの1時間だけの勉強会。集中するので、1時間があっという間。2週間に1回くらいのペースで開催予定。頑張ろうね。










私が、本を好きになったのは、割と遅かったと思います。何歳頃だったかな?高校生?大学生?たしか、それくらい。

はじまりは、江國香織さん、『神様のボート』。私はそんなに本を読む子ではなかった。だけど、この本をはじめて読んだ時、なんとも表現し難い気持ちになりました。感動、なのか、なんなのか。それ以来、読書好きに。
江國香織さんの文章に、はじめて触れて、しっとりとした、そわそわするような、ざわざわするような、気持ちが揺れる感覚。
必ず戻ると言って消えたパパを待って、引っ越しを繰り返すママ(葉子)とあたし(草子)。恋愛って、どこか、狂気に囚われてしまうような恐ろしさがあるけれど、この物語はそんな、ちょっと危なっかしいような、放っておけないような、痛みを感じます。読書との出会いが、この本で良かった。ありがとう。









こちらが、私がまだ中学生?の頃に買った、手話の本。何にも知らない、子供。

テレビドラマに憧れて、綺麗、って思った。素直に。でも、案外、きっかけって、そういうものだったりする。最初の衝動。気持ちが、動いた時。そういうのって、大事なのかも。
あれこれ悩んで、考えすぎたり、迷ったり、臆病になって、縮こまって。んー、私は、そういうとこ、反省すべきかもしれない。
勉強、って、私は好きだから、気になることを積極的に学んで、ためして、トライして、間違ってもいいのだから。









今日は、コメダ珈琲店に行って、読書をしてきました。重松清さん、『きみの友だち』。短編連作、というのですね、短編が連なってできる長編作品。私はもう、ポロポロ涙を流してしまいました。なんだか、共感できる場面が何箇所もあって、学生時代の、あの独特な人間関係の難しさ、思春期であるが故の、ナイーブさ、荒々しさ、未熟さ、そういう場面がいっぱいです。特に、私は「千羽鶴」の章で、涙が溢れてしまって、コメダ珈琲店で、おしぼり片手に泣きながら本を読んでる姿を、誰かに見られてたかと思うと、恥ずかしくなります。だったら、家で読めばいいのに、という話ですが、勉強も読書も、なぜか、ああいう場所の方が集中できるのは、なぜでしょうか。

話をもどして、「千羽鶴」では、転校してきたばかりの女の子、西村さんが、同じクラスの、由香ちゃん(病気で入院中)のために、千羽鶴を折ろう、と、クラスメイトに提案するのです。でも、西村さんは、由香ちゃんと、一度も話をしたことがない。それなのに、千羽鶴を折ろうと提案したのには理由があって…。というお話しです。そして、由香ちゃんといつも一緒にいる、恵美ちゃん。西村さんは、転校してから、入れ替わるように入院をした由香ちゃんのこと、他のみんなとは付き合わない恵美ちゃんのことが気になります。
もう、私は、この章で号泣。後半、特に泣けたなぁ。大切な一冊になりました。









you tube で、たまたま拝見した、みゆみゆチャンネルのトトさんと、ゆっこさんご夫婦の本、『僕は耳が聞こえない』。

ろう者のトトさんと、健聴者のゆっこさん。おふたりの生きてきた世界を、少し覗けた気分になれます。
you tubeで、お二人の動画を拝見していると、ほのぼのと、あたたかい気持ちになってきます。あとは、やっぱり手話。お二人の手話は、テレビドラマや映画で見るのとは、また違う?と、思ってしまうくらい、私の印象としては、そう思えました。もしかしたら、テレビドラマで見る手話は、視聴者にも分かりやすいよう、より丁寧に描いているのかな?とか、別に、トトさんご夫婦の手話が、丁寧じゃない、ということではなくて、なんて言ったらいいんだろう、やっぱり、長年、手話を使って生きてきた人ならではの、なんというのか、うまく表現できないけれど、そういう雰囲気を感じたと言うか。手話は、私も、むかーし、テレビドラマで興味を持って、「手話を使うお仕事に就きたい」と、友達に宣言したくらい、盛り上がった時がありました。でも、時が経つにつれ、大人になるにつれ、その意味とか、健聴者の私が、手話を習う意味とか、なんだか、難しく考えてしまうようになりました。結局、当時、手話の本を買ってはみたものの、それだけ。なにか、必要にせまられて、やっぱり手話を勉強したい!って、思う時が、来るのかは、分かりませんが、ちょっと、考えすぎだったかな。
耳が聞こえない人の世界、聞こえる人の世界、その橋渡しになる、手段の一つが、手話だとして、当たり前のように、簡単な表現だけでも学んでおくことは、きっと役に立つだろうし、でも、もっと深刻に、誠実に、向き合うべきと思うなら、うーん…と思ってしまう自分もいる。
難しいよなぁ。考え方って、人それぞれで、ハンディキャップ(という表現でいい?)に関する問題って、もっと当事者にとっては繊細な事なのかもしれない。私には分からない。分かり得ない。









1987年から1992年、『mimi』にて連載された漫画、『白鳥麗子でございます!』。

この漫画、私が小学生の頃、とても人気で、私も読んでました。お金持ちのお嬢様、麗子は、幼稚園の頃から哲也くんが大好き。高校生の時に哲也くんから告白されるも、素直になれない麗子は断ってしまいます。それでも、哲也くんを追いかけて同じ大学へ。2人の恋はどうなる?というお話し。
麗子は自信過剰で、高飛車で、空気の読めないお嬢様。いつも、ズレてて、突拍子なくて、周りも呆れてしまうほど。なんだか、それが面白くて、可愛くて。(実際、本当に居たら迷惑だろうけど…)
映画やドラマにもなっていて、私はドラマ版も見ていました。
漫画、私は結構好きで読んでて、(ほぼ少女漫画)漫画から学ぶこともあったり、(それが正しいかは別として)だからこそ、現実から目を背ける人間になってしまったような、どこか、空想の世界に入り込んでしまうような、そういう人間に育った気がします。そういう人間は、社会の厳しさに弱くて、傷つきやすくて、へこたれやすくて。いつまでも、少女漫画の世界から、抜け出せない。情けないけれど、私は、そんな大人になりました。
小説や、テレビドラマ、映画、音楽、どれも大切な、私という人間を形成した芸術だけど、もっと必要な、本当に知っておくべき現実や、綺麗事ではない、リアル、そういうものが、私には欠けているように思います。社会を生き抜く強さ、逞しさ、忍耐、努力。あぁ、なんとも弱々しい人間に育ってしまいました。
麗子は、世間知らずのお嬢様。だけど、哲也くんを好きな気持ちは誰にも負けません。
何年かぶりに読んで、なんだか、懐かしさと、切なさとで、じーんとしてしまいました。








今日は、旦那さんの49回目のお誕生日!おめでとう!

これからも、仲良く、健康に、毎日を楽しく生きていこうね。









今日はお休みなので、旦那さんと朝からコメダ珈琲店に来ています。少し勉強して、音楽聴いて。今からランチ。私はエビフライを頼みました。おいしそう!ランチ食べたら、また勉強か、読書をする予定です。旦那さんも試験に向けて勉強中。2人で頑張ろうね。










you tube で、たまたま拝見した、牧野友香子さん。彼女は生まれつき、重度の聴覚障害を抱えています。読唇術で、相手の口の動きを読み取って、言っていることを理解します。私がyou tubeで、彼女を見た時も、ちゃんと喋っているし、とにかく明るい印象。でも、どんどん知るうちに、彼女の抱えている障害の大変さ、難しさ、彼女の人生のひたむきさ、苦悩、が、少しずつ分かってきました。この本は、そんな彼女のことが、少しだけど理解できるもの。尊敬するし、自分と比べてしまって、私はなんて甘ったれなんだ、と、反省することも。


良い本に巡り会えました。ありがとう。








1994年10月ドラマ、『若者のすべて』。

私は当時、中学2年生。萩原聖人さんが、ちょっと好きで、鈴木杏樹さんも、ちょっと好きで、それで観てたドラマ。ちょっと、こわい、と思ったドラマ。
『学校へ行こう』の萩原聖人さんが好きで、『あすなろ白書』の鈴木杏樹さんが好きでした。
なんだか、ここ最近の私のブログ、過去のドラマや映画ばっかり。オタクっぽい。いや、私は、本当にテレビっ子だったのです。別に、いいよね。