もう日付が変わってしまいました。



「明日へ」


実は危惧もしていました。


やはりなんのかんの言う人はいるだろう。


震災復興という名ばかりの、ただのお祭りじゃないかと意地悪な見方をすれば。


思うのは自由なので それは構わないのだけれど


自分の好きな人がかかわっていることとなれば 批判はやはり悲しいから。



でも。


杞憂でしたね。


いい番組でした。



「このときだけは笑顔に」 慎吾が言うように


歌を歌う人は歌を歌うことで できることをしていくだけなのです。


6時間の長丁場、明るさと真面目さをバランスよく保って


番組を支える背骨となっていた司会のお二人、本当にお疲れ様でした。






あの日から1年。


私は今でも震災関連の番組をきちんと見ることができません。



あの日休みだったのに、なぜか急に職場が気になった瞬間


経験したことのない揺れ。


遅れてテレビで見せつけられた大好きな三陸の町の変わり果てた姿。




その後 思いがけずに2カ月近くを避難所にかかわって過ごすことになり。


「復興」や「絆」という美しい言葉ではどうにもならない現実を見て


それでもそこに生まれる交流に心癒されることもあり


逆にそんなものはただの気休めではないのかと自問自答して苦しみ



山を越えて南へ走れば その町に着くのに


その町ではもう 小さな子すら 土をさわることを恐れ


空気を吸うことも恐れなければならない



山のこちらの私たちの町には すぐにほぼ変わらない日常が戻り



帰るに帰れない たとえば自宅のがれきを片付けることすら許されず 


一歩も動けず 宙に浮いたような毎日を送るひとびとのそばを


いつもの顔で通りすぎていくようになる



日中 避難所の空気にシンクロしていた気持ちが


夕方は何も変わらない普通の生活をする人たちのなかに放り出される



罪悪感で 頭がおかしくなりそうだった


避難所の子となかよくなっても


自分の笑顔や言葉やつないだ手なんかただの偽善じゃないのかと


何を言ったってお前は帰る場所があるじゃないかと


ほしいのはそんなものじゃないと 責められているような気がして



今ならば、もっときちんと関わることができたかもしれない と


悔やむばかりです。




今日はサムガもありました。


今でも 震災のことを思うと涙が出るという中居さん。


自分の尊敬する人、大好きな人なら こんなときどうするのかと考えると。



泣きながら聴いていました。


それなのに、さらりと野球の話に話題を替えてしまった。


想いは人一倍あるのに 想いに飲み込まれることをよしとしない強い人。



その強さややさしさを想うと泣きたくなります。


たまには 誰かに自分をさらけだせているのでしょうか。




自分の好きな人ならどう動くかを考える。



うん。


素敵な指標をいただきました。



明日からも


忘れないこと。


自分に何ができるのかを考えること。





日々、それを積み重ねていきたいとおもいます。