定年を迎えた父が、

「まだまだ元気に動けるから」とアルバイトに応募しました。


必要な資格は持っているけれど、未経験の仕事です。

なかなか採用には至らず、家でぼんやり過ごしています。


父はまだまだ体力もあるし、考えや記憶もはっきりしています。


義両親の介護をしたり、家族みんなの車の手入れをしたり。

何かと手を焼きたい、人のために何かしていたい人だから、

無職というのは有り余るエネルギーのやり場がないようで、

見ているこちらももどかしくなります。


歳をとっても、働きたいなら

働ける環境があったらいいのにな。

そう思わずにいられません。


超高齢社会の今、

定年=労働の終わり、ではない人も多いことでしょう。


いくつになっても働いて、人や社会と関わりを持ち続けられるのもひとつの幸せかもしれないと感じます。

労働真っ只中の年齢だと、なかなかそうも思えないことがありますが。


年齢に関わらず、働きたい人は働けばいい、

そんな空気が流れている社会は、とてもやさしいんじゃないでしょうか。


それを叶えるためには、

高齢の方が働くペースに、社会が寄っていく必要もあるのかもしれません。


もう少しゆっくり、大きく、シンプルに。


それはサービスの質が下がる、諦めや妥協の選択じゃなくて、

いくつになっても働く自由を選べるような、

みんなでお互いの人生がより充実するために補い合う、受容の選択のように思うのです。


「一億総活躍社会」なんて言葉がありましたが、

この先はみんなの活躍をみんなで受け取り、支え合う、

一億総受容社会なんてどうでしょうか。