ブログを始めるのに初っぱながこんなタイトルで良かったのか分からないが、1週間前万博に行っていた。
その時の話を少し自分の記録代わりにしたためておきたいと思ったので、これを機にブログを始めることにした。
8月13日、お盆ということもあってか万博会場は(いつも通り)大盛況であった。
当方は大阪在住、アラサー、万博4回目、翌日仕事なし
同行者は大阪在住、50代(アラサーの母)、万博2回目、翌日仕事なし
というお気楽二人組。
母は健脚なのでよく歩き、よく並ぶ。
だが、更年期障害の影響があってか定期的に休憩を挟みながら、その日も万博内を闊歩していた。
(私も当日枠確保のために連れてこられたデジタルネイティブというだけで、決して体力があるわけではない)
この日は10時枠で西ゲートからインパクして、まずトルクメニスタン。
待ち列で14時過ぎの枠の日本館を確保して、トルクメニスタンカフェで昼食を取り、のんびり日本館。
2人とも初めての日本館(特に火星の石)に感動しつつ、
「せっかくだから隕石(地球外の星)巡りしよう」と言い出し、中国館。
そして時間的に最後になるね、と言いながら2時間待ちのアメリカ館に並んだ。
待ち列中、象印のおにぎりをいくつか買ってきて2人で食べた。で、アメリカ館20:35頃退館。
2人で「中国館圧巻だったねぇ」とか「アメリカ館の歌耳に残るわ~」などと言いながら東ゲートをくぐり、夢洲駅へ。
ここからは時系列(1週間前の話なので曖昧な時間のズレはご愛嬌です)で、書いていこうと思う。
20:50頃:駅まで長蛇の列。蛇行しながら1時間程度並んでいた。これは普段の万博でもそうだと思う。
ただ、今までの万博と違ったのは、列が動かなくなったところ。
ここで「何か電車で起きている」という予想が立ちました。普段はのろのろと列が進むので。
列は比較的ぎゅうぎゅうでしたが、座ろうと思えば座れる。でも、座ると人の波で息苦しい、というジレンマ。
子どもたち、お年寄りはこれはしんどかったと思う。母も更年期症状が少し出て、息苦しさを訴えていました。
ただ我々はポジショニングとしては列の端を取れていたので、母を少し休ませることが出来ました。
ここで後ろを振り返ると、駅への待機列に入れなかった21時閉園ぎりぎりまで残っていた人たちの姿も確認できました。
22時頃~23時頃:電車がやはり止っていることをXで知る。この付近で体調不良者、トイレに行きたい人などが出始める。
警備員のお兄さんに「列から出して!」と大声で要望を叫ぶ人たちもいましたが、
「警備のお兄さんに言ってもどうしようもなくないか・・・?」という空気もあり。
機転を利かせた警備のお兄さんがトイレに行きたい人を募り、アテンドをしてくれました。
とはいえ警備のお兄さんの中でも「上からok出たの?」みたいな声かけがあったので、
上(万博協会?)も当時大混乱だったのではないでしょうか。
このあたりから救急車やパトカーのサイレンの音が聞こえ出します。
Xでの情報しかこの段階では我々も情報がなく、アナウンスがないことに多少の不安は感じていました。
23時付近で「会場に戻りたい方は戻ってください」というアナウンスが警備のお兄さん方からされました。
私も母も帰宅が遅くなっても、まずは体調を・・・と挙手し、列から抜けました。
ここでの我々の懸念事項は3点。
①脱水症状:海沿いとはいえお盆。
当日の最高気温は35度近く、朝から会場にいると炎天下、基本的にずっと並んでいるので汗がやばい。
脱水が一番怖かった。
②低血糖:我々はおにぎりを食べていましたが、「お腹すいた」と言っておられる方が多かった。
おにぎりを食べていても、お腹はすくし、疲弊感マックスで何かを食べたかった。
③充電:いくらモバ充を持ってきていても、日中フルで当日予約枠確保のため使用しているので、
情報が必要なときに情報が得れなくなる危険がありました。充電は不安。
「東ゲートから入って、大屋根リング下の自販機に買いに行くから、母はリング下で休んでて」
会場内に戻れると思ったのもつかの間、
東ゲートに行くと駅への待機列に入れなかった21時閉園ぎりぎりまで残っていた人たちとぶつかることに。
両端のゲートは開いているのですが、どちらにも人が押し寄せており、
いつ誰がつまずいて雑踏事故になり得る状況でした。
他のゲートを開けてくれとスタッフに対して声がかかるも、スタッフも混乱しているようでした。
あまりにもスタッフの方々が不憫でならないようなバタバタの2時間でしたが、
ゲートも開放され、その頃に「万博会場内に戻って下さい」というような旨のアナウンスが聞こえてきました。
0時前:自宅にいる父親と連絡が取れ、父親がとりあえず梅田に自家用車で来るとの連絡あり。
とりあえず万博会場から母と脱出を目指すことに。
一旦大屋根リング下の自動販売機でお茶2本を購入。10分ほど並んだけど、まず体を冷やす意味でも必要だった。
売り切れ商品もあったけど、お茶、お水はスムーズに購入出来ました。
その後タクシーで梅田に出ることを考え、西ゲートに移動。
電気がついていないガンダムを撮影しつつ西ゲートに辿り着く。
するとここでは「電車が通ると電車で帰ってもらうから西ゲートから人は通せない」とのアナウンスあり。
これには母と2人で横転しました。実質軟禁。
歩き疲れているから一旦大屋根リング下に座ろうと提案し、2人で作戦会議。
そうこうしている内に父親から電話があり、
「夢洲来たで。場所はここにおる。飲みもん買ってある。」との短い言葉とリンクが送られてきた。
どうやら会場近くのセブンイレブンに父親がいるらしい。
西ゲートからはでれない、東ゲートも退場規制をかけている。どうしたら万博外にでれるのか。
「ーーーとりあえずセブンに近い東ゲート側に出て、外に出る方法探ろう」
母の一声で東ゲートに戻ることに。
ちょうどXのポストでも夢洲脱出ルートが共有されており、外に出れる可能性があった。
この時、スタッフの若いお兄さんが「出るなら一緒に出たいです」と声をかけて下さったので、
「脱出できるか不安ですが」と3人で東ゲートに向かった。
東ゲート自体は封鎖されており、救急車両と電車再開のために並ぶ列と、テレビ局がごった返していた。
混乱を招くので、と具体的に脱出方法は教えてくれなかったが、
セブンイレブンに行くならここからじゃないとこで出れる、と警備のお兄さんが教えてくれたので、
指さされた方向に向かった。
スタッフのお兄さん(具体的には聞いていないが万博会場の交通整備とかしてるのかな)が先導してくれて
スムーズに出る事が出来た。この時点で0時。
無事に向いの道路にセブンを発見し、父親と合流。
スタッフのお兄ちゃんも無事最寄りまで送ることが出来ました。
やっと一息ついた車内で2時でした。
一息ついた瞬間自分の体臭にくせぇと大声を上げてしまったぐらい、全てが怒濤でした。
自宅には3時に帰宅し、4時には就寝することが出来ました。
ここまでが私の万博帰宅困難者レポですが、補足として、
正直アラサーの女1人万博なら、会場内をぶらぶら見たりして翌朝帰宅していたかもしれないくらい意外と楽しかったです。
人の波に潰されそうな時、母と手を繋ぎました。なんだか小学校の頃自分が遊園地に行った時のような久々の感覚でした。
普段見れない閉園後の会場が見れたり、
特に地震等の災害で帰宅できなくなっている訳ではないが故に、不思議と心の余裕はありました。
万博自体は大好きですし、帰宅困難になった翌日に別日のチケットを購入し、また母と2人で万博に行く予定です。
一方で問題点。
当日会場のアナウンスの薄さ。これが非常に不安でした。
「何が影響して動けないのか、どういう状況なのか、何ならどう動けるのか」アナウンス欲しかった。
当然大混乱なんでしょうけど、1970年万博でも野宿イベントがあったと聞いているので、
その脆弱性はなんとなく運営側もわかっていたはず。もう少しアナウンスはして欲しかったです。
Xの正しいか正しくないかわからんような情報を鵜呑みにするしかない状態は、今後は避けたい。
同時にスタッフの情報共有。
「西ゲートからはでれるらしい」などいろんな噂が錯綜し、おそらくスタッフの方もXでしか情報を得れていない。
もう少し伝達方法は統一したほうがいい気がする。とは言え、この会期中に整備仕切れるものなのかもわからないが。
ただ今回の騒動で、ひしひしと私が感じたのは万博に携わる人の民度の高さ。
スタッフさんも大変な中、誘導をして下さった。情報が錯綜する中、個人の出来る事をしてくださった。
我々来場者も罵声を飛ばすようなことは(私の近辺では)なかった。
私が会場を出た後も国内外のスタッフがお菓子や飲料を配ってくれたこと、
そしてその好意を素直に受け止め、素直に会場を楽しんだ人がいたこと。これには感服せざるを得ない。
肯定も批判もその場にいた人が出来る事であって、蚊帳の外は静かにしておくべきーーーを学んだ29歳と1週間の夏。



