もし俺が陶芸に行き詰まって道を失ったならば俺は先生の元へ行って心理を学びカウンセラーになるかも知れない。この世の中で刹那的に生きる事こそ虚しいものはなく、夢とは、趣味とは人を虚無から救う唯一の情熱である。人は何と耐え難い虚無という真実に対して刹那的な嗜好でごまかしながら生きているのか。虚無の程度には幼少期の環境により強弱は左右される。辛い環境で育ってきた者ほど虚無は強大であり一方でその強大な虚無を動機に偉大な何かを成し遂げる可能性が人よりも突出しているのも一つの事実である。虚無が強いと愛ゆえに人を愛するのではなく孤独ゆえに淋しさゆえに愛の言葉をささやいて愛を繋ぎとめるのである。不幸な事に孤独や淋しさが動機となった愛の言葉はやがて破滅する事を運命的に約束されている。だから一つの大きな情熱が必要なのである。その間は嗜好に溺れて苦しみながらごまかすのである。依存症を体の病気とまるで依存症を弁護するようなごまかしが一般化されているが世の中は本質に耐えられない人々で溢れているからだと思う。今の時代がどうとか昔は良かったとかそんな事はどうでもよくて昔には昔のどうしようもない時代に対しての苦しみがあった事は理解しなければいけない。ならば今我々はこの時代の中でいかにどう素晴らしい人生を構築していくかに精を出さなければいけない。人に情をやいて人助けに懸命になったり誰かの為だけに生きている状態があるならば自分の存在価値、意義、意味はそれらに支配されているという事でありその人から延々に離れられない一つの動機なのである。ある意味で人に冷たくならなければならず所詮は他人という受け入れ難い信念を自己の内面に根付けてから夢を彩るのが理想の形である。とても困難な作業は私の場合は精神分析家と何年もかけて共同作業を行っている。我々が今見ている原光景はまるで幼い頃の無我に人を求める純粋な悲しいひとつの夢の影である。