北京100K ~ 东水峪村口 85.8KM~坝底平台 100KM ~
最後のトレイル区間は5kmほどのゆるいアップダウンを繰り返す。
そこを抜けると、最後の15kmロードとなる。
东水峪村口 85.8KMのエイドに入ると、赤いゼッケンの選手がボクの顔を見てあわてて出て行った。
ボクは落ち着いて水分とジェルを補給してから走り出す。
前を行く選手はかなり速く100mほど話されていたが、どうやら足にトラブルを抱えているように見えた。
と言うのも、途中とまって足を気にするしぐさが遠目からもわかったからだ。
ここでムリに距離を縮めなくても、いずれそのときがくると確信した。
ここからはゴールまでひたすらロード。
日差しも強いが最後までこのままいけると思っていたし、前の選手にも追いつけると思っていた。
ゆるやかな登りでもさすがにつらいさを感じたが、へこたれるほどではなかった。
もう少し、もう少しと心の中で呪文を繰り返しつつ走っていると
前から「日本の方ですか?」と。
「えっ?何でわかるんですか?」日本語で返すと。
「ブログ拝見してます。」と、
軽く自己紹介しつつ並走。
Oさんは上海在住の日本人の方で、今回は野球チームのメンバーと50Kmに参加されているとのこと。
少しお話させていただいた後、先を急がせて頂いた。
それまで快調に走れていたが、
93kmあたりで急に体が重くなってきた。
先を急ぐあまり、エネルギー補給を怠ったのが原因と思われ、直ぐにジェルをとったが、エネルギーが体にまわりきるまでがつらく、ペースが落ちているのがわかった。
前を行く選手との距離も縮まっていたものの、再び開いてしまった。
95kmのエイドで水分を補給し、気力で頑張る。
が、ここからの登りが、たいしたこと無いのだが、こたえた。
登りで歩いていると「走りましょう!!」と後ろから先ほどのOさんが力強く声を掛けてくれた。
再び並走しつつ、世間話をしつつ進むが、かなりきつい。
ふらついた瞬間、アスファルトの端で右足首をひねってしまった。
だが、激痛は一瞬だけで、その痛みよりも全身の疲労の方がつらかった。
「すみません。後ろを走らせてください。」と、お願いし、何とか引っ張ってもらう。
「行けたら、行ってください」と、言ってもらったものの、今にも歩きたい気持ちでいっぱいだった。
「この登りを終えたら、後は下りだけですよ。」と、教えていただいたころには何とかエネルギーが燃焼し始め、先に行かせて頂いた。
交通量が少し多いのが気になったが、かまわず道路を横切り最短距離のルートをたどった。
ゴール会場となる坝底平台の門をくぐるときも、こっちでいいのか立ち止まって確認してから、進んだ。
観客も多く、声援のなか最後の頑張りを搾り出した。
残り、200mほど、前にはあの足にトラブルを抱える選手。
確実にトップスピードはボクが上回っている。「いける」と言う思いもあったが、少しスピードを緩め、ゴールゲートへのストレートに入った。
順位を1つ上げることよりも、ここまでの100kmの余韻に浸ることを自然と選んでいた。
楽しくもつらく、そして暑い闘いが終わった瞬間。10時間34分56秒。
順位が記されたナンバーカードを首から提げてもらった。。。
確認すると、「09」・・・なんともいえない思いがこみ上げてきた。
そして、目を前に向けると、
直ぐ前(10秒差)でゴールした選手がミネラルウォーターを片手に立っていた。
歩み寄ると、足を指差し、何か言っている。もちろんわからないが、たぶん靴擦れを起こしていたと言っているように思えた。
そして、ボクが笑顔で右手を差し出すと、少し戸惑いつつも笑顔で握り返し、お互いの健闘をたたえあった。
ボクは日本語しか話せないが、笑顔が万国の共通語であることを知った。
彼とは、翌日三里屯にあるノースのお店に買い物に行く途中でも会って、人差し指の第一、第二間接をまげて何か言っていた。(この表現は数字の9を意味しているはず)
そして、ノースのお店はあそこだよと指差しで教えてくれた。
彼と一緒に写真を撮らなかったことが悔やまれる。。。そして、1年後、彼の顔を忘れてしまっているかもしれないが、また一緒に走りたいと思った。
レース後、
ゴール地点の昌平区から北京市街に帰るシャトルバスが用意されていたが運転手は行き先がわからないと。。。(決まってないってこと???)
Oさんとそのお仲間さんたちと、昌平市街までバスで行き、そこから北京市街までご一緒させていただいた。
ここも、ボク一人だったらどうなっていただろう。。。
Oさんには、本当に感謝しても感謝しきれない思いです。
翌日、ケータイに連絡を頂いたが出れなかったこと、後悔してます。
もし、このブログを見つけたら、メッセージをください。
上海に遊びに行った行った時は、是非お礼をさせていただきたいです。
出発前から渡航中も本当に多くの人に支えられ、助けられ、最高の思い出を胸に帰国することができました。
今回の10時間34分56秒 9位という記録は、ボク一人のものでなく、みんなで勝ち取ったものと誇りに思い、さらに精進したいと思います。
本当に、本当に、本当にありがとう。