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てんとうむしのひとりごと

ちょこちょこ、ぶつぶつ独り言。点燈しながら歩きます。

  電気代が高くなる事は、もう1年以上前から予想されていたことだ。

すでにその兆候が表れているが、いやこれからが本格的に実感してくるだろう。

原因はさまざまあるとしても、九州電力と関西電力の値上げ幅が少ないのは、原発が稼働しているからという理由はかなり正しい。

「脱炭素・脱原発」が未来の子供たちのため、と周囲の人は言うが、その前に現代の人間がつぶれてしまいそうだ。

排出権取引などという愚策に金をかけても、世の中は何も変わらない。

そんな予算があるなら、新しい技術開発に使ってもらいたいものだ。

 

 そうは言っても個人では何もできないので、行く末を見守るしかない。

「脱炭素」推進派、懐疑派の対決動画を何本か見たが、推進派の説明にイマイチ納得ができない。

「コンピューターシュミレーションではこうなっている」「多くの学者がそう言っている」というのが根拠である。

「脱炭素」関係なら多くの補助金が付き、反対派には全く予算が付かないなら、そんな研究をする学者はいないだろう。

なによりも、夏と冬で50℃の温度差を、ましてや1日で10℃以上の温度差を経験する日常にとって、年平均ゼロテン数度の温度上昇が、人にどう影響するのか、想像もつかない。

子どもの頃は家もかなり寒かったと記憶する。それが暖かくなったといって困った事もない。

 

 そんな事を思いつつ、

杉山大志著 「亡国のエコ」(ワニブックス)を読んだ。

少なくとも、推進派の説明より説得力はある。

あえていえば、現在はその様であるが、あと30年50年先の不安がよぎるという事であろう。

その不安の為に、現在の生活に占める電気代は許容しなければならない。

年平均気温が1℃上がったら世間はどうなるのか、杉山氏の意見に対する反論をぜひ聞きたいものだ。それが説得力のあるものなら、電気代高騰も我慢できるかもしれない。

 

 

 24日から10年に1度の低温と報道されているが、

今年は雪もないし、比較的暖かくて比較的楽な冬だ。

このまま行ってほしいが、このままじゃあ済まないだろうと

いう思いがふっと浮かんでくる。

 

 

 今シーズン初めての雪かきをした。

手だけで始末するには少々時間がかかりそうなので、除雪機を使ったが、

同じ地区内でも山つきのあたりでは重機を使ったようだ。

今朝がた用事で同じ市内を廻ってみたが、全く雪の気配のない所もある。

連日早朝の外気温が-6℃で、室内も3℃前後。

出来るだけストレスを避けましょうと言われるが、

この自然のストレスは仕方がない。