『hiroshi-yの散文』@45dB-ADHD

『hiroshi-yの散文』@45dB-ADHD

聴力45dB(両耳とも45dB前後の診断有り)でADHD(手帳有り)。
日ごろ感じていることや、40余年生きてきた過去のことも書き
綴ります。
※2015年9月にTwitterのアカウントを削除しました。

Amebaでブログを始めよう!

久しぶりのアメブロ投稿になった。

この9月に思うところあってツイッターをやめた。アカウントを削除して退会した。

ほかの某SNSがあり、自分の日常の発信はそこで足りること、また、きちんとした文章を書くことに集中し、その中で可能なものはアメブロに載せてみようと考えたことが主な理由だ。

なお、ツイッターの代わりにしようと思っていたアメーバの24LOGがサービス終了となることは残念だ(みたよ!ボタンは良かったと思う)。


情報収集としてネットサーフィンもするが、どちらかといえば、紙面の活字の方が私としては頭に入りやすい。もっと本などを読みたいと思ったこともツイッターを止めた理由の一つだ。


話はすこし逸れるが、例えば資格や趣味などの入門にあたっては、マンガの入門書、写真・イラスト・図表がやたらと多いカラフルな入門書は、敷居を低くしようとする親切心からそうなっているのだろうけれど、私自身の脳には向かないと思う。文字と絵その他形やカラー等をいっぺんに脳で処理することが難しく、情報が分散されてしまうような気がして、入門から混乱することになってしまう。カラフルなテキスト本は白黒コピーすることにしている。情報収集や学習には、平易に書かれた活字(黒含めせいぜい2色)が多くを占め、図表は最低限の基本書を精読するのがいい。



話は戻るというか本題に入るが、ここ数か月の間、このアメブロはじめSNSへの投稿あまりしなかった。

その大きな理由は、転職活動だ。

7月末に前の会社を退職し、8月のお盆前に新しい職が決まった。

ただし、様々な手続きの関係から10月からの入社と決定した。


日ごろ、自分と婚約者との将来の生活設計を考えること、読書や勉強、きちんとした(仕事の作業ではない)体力と運動神経の復活、そして(実はなによりも)旅行やリラックスのための時間が欲しいと妄想はしていたのだが、思いがけなく長い夏休みとなった。


9月、10月の生活が多少苦しくなると覚悟したが、人生の転機における重要な時間と考え、入社までの準備と、「妄想」していたことはできるだけやっておこうと思った。

9月も下旬となった今、もっと本を読み、文章を書きたい気はするが、あとは体力作りが課題だ。


夢の吊り橋
寸又峡・夢の吊り橋


ここでほんの少し簡単に明かせば、以前は建設関係の機械・資材を扱う工場での仕事であったが、次の仕事はオフィスでの経理・事務の仕事だ。自分の本来の能力というと難だが、若いころから勉強してきたことや仕事で経験してきたことは(経理はもとより、プラント・工場関係、建設関係も多少)活かせそうなところだ。



この度の転職活動は、当初は一般枠と障がい者枠にこだわらなかったものの、障がい者枠で行うことにした。また、聴覚の問題も開示して行った。私の場合は年齢の問題もあるが、障がい者枠にしても(否、障がい者枠だから、なおさらか)、かなり厳しいと感じ、実際に人知れず転職を意識して行動を起こしてから、幾社も不採用となりながら、1年以上は経った。


それでも、身体・精神共に就職に関して私などよりももっと辛い思いをしている人たちがいることは決して忘れない。合同面接会やセミナーなどに行くと、思いのほか就職活動に対してしっかりとした方々を見て私自身は焦ることが多かったが、この大勢の中の一体どのくらいの人が順調に就職できるのか、と失礼だと思いつつ、考えてしまっていたこともある。


私がこの障がい者枠での転職活動について思ったこと、感じたことなど多々あるが、これから総括して、今後機会があったらブログに書きたいと思う。




家康訓










久能山東照宮にて

























ゴールデンウィークが終わって、しばらく経ち、5月も終わりに近づいた。

会社では相変わらず、休み明けからも発達障がいぶりを発揮している。


今年のゴールデンウィークは、彼女と某温泉施設を楽しみ、某サービスエリアでの車中泊をし、翌朝、旧富岡製糸場に行った。



富岡製糸場















19世紀にはすでに大英帝国がコットンで世界を席巻し、その他の欧米諸国の工業が発達していた中で、日本はシルクで世界から外貨を獲得して国を富ませようとし、いわゆる欧米列強に追いつこうとしたという歴史のシンボルだ。


小中学生のころに、「軍国主義に突き進んだ基となった富国強兵政策の中で、女性もそこで厳しい労働に励んだ」という文脈で語る歴史を教えられたような気がするが、その時代の世界の(善悪は別に、いわゆる帝国主義の)潮流の中での、日本人によるひとつの日本としての国民国家形成への努力とエネルギーを多少なりとも感じられた。当時の日本としては労働環境も衛生環境も時代の先端を走っていたこともうかがえる。

大学時代に専攻していた経済史をもう一度勉強したいと考え、少しずつ書籍にあたっているので、私としては日本の工業発展の過程にふれたことに意義があったと思う。歴史的建造物の趣も楽しめたし、少し勉強になった、というのが感想だ。


前置きのつもりだった文章が長くなってしまった。



私は発達障がい者等の中では少数派なのかもしれないが(またはそれは私の偏見か)、朝は元気で早起きもでき、食欲もあるから朝ごはんも食べて、午前中は調子が良い。


ところが、夕方前、午後3時頃から急にエネルギーが切れたように疲れてくる。

仕事の時は休憩時間に極力仮眠を取り、薬を飲んで、仕事に身をいれるようにして持ちこたえている。


これが休日の午後になると、何かをしていても、何もしていなくても疲れてくる。気持ちも沈んでくる。


いわゆる「サザエさん症候群」のように思われるかもしれないが、べつに休日の終わりや翌日の朝のことをおもい煩っているのではない。


休日午後の疲れは、休日の夜や休日明けのブルーな気分とは比べものにならないくらい辛い。

とにかく、身体が動きづらく、心は憂鬱になる。


休日の午後は彼女と出掛けることが多い。

眠くなったんでしょう~、とか、疲れちゃったんでしょう~、と私の顔を見ながら彼女はしばしばいう。

私としては、彼女との散歩や買い物をリラックスして楽しんでいるつもりだが、顔に出るのだろう。

実際に目の下のクマが濃い。


休日は日曜と祝日だけであるから疲れてきっていること、薬を欲しているということ、それか…お腹が空いている時であることを彼女はわかってくれている。


土曜日が休めないというのは、一番のストレスかもしれない。

やりたいこともたくさんあるが、日曜は普段できない家事や用事で終わってしまうことも多い。


実は、精神でなしに、身体が疲れきってあちこちがしびれたり痛んだりして、壊れそうであり、体力にも自信を喪失している。


もしかすると、これも発達障がい者等の中では少数派かもしれないが(これも偏見か)、私は子供の頃は運動オンチだったものの、二十歳以降は体力には多少自信があったし、外に出て体を動かすことは好きだ。特にサイクリングは一日中走っていても元気でいられた。それが特にここ一年ぐらいは調子悪い。


自分の趣味としている自転車は、レースやヒルクライムにこだわらずに、街走りから楽しむことを取り戻したい。

実は、なにかと自転車で用事に出かける彼女のほうが、いまや年間あるいは月間走行距離は長い。


現在、休日はなるべく外の空気を吸い、散歩をすることから、少しずつきちんとした運動をしようと思っている。






空


















会社で辞めろといわれ、家で出ていけといわれ、じゃ、やめる、でてくといって仕度をすれば止められる。


私の心はこうして壊れる。


おかしいのは私ではなく彼らだろう。

これこそ私に対する依存というのではないか。


おかしいのは私なのか。

丘の上の愚か者(The Fool On The Hill)のように、私には自分がおかしいという自覚はない。

彼らこそ狂っている。



自分におかしいという自覚がないことこそ、やはり私がおかしいということの証左なのか。

よくよく考えてみれば、本当の精神障害をもつ人は自分が精神障害だなんて言わないのではないか。そのような自覚などないのではないか。

社会との関わりの中で自覚させられていくに過ぎないのではないか。



私は普通にやっているのだが。やはり何かが違うのか。

社会的に非常識なことはしていないはずだが。やはり何かが非常識なのか。


彼らが常識的で一般的で正義なのか。


そうなのかもしれない、というおもいもしなくはい。そんな気もしてくる。

やはり私はおかしいのか。おかしいのかもしれない。


ただし、私は少なくとも、丘の上の愚か者のような「常識」を超越するような能力は自分にはないと自覚している。



buaiso wabisuke2

















私が現在お世話になっている精神科の先生(以下「ドクター」)のところで「発達障がい」について初めて診察を受けてから、すでに一年が過ぎた。


初診にあたって、「発達障がい」に関する多少の勉強が必要とは私自身も思っていたし、ドクターも自分自身で書籍などでその特性を知っておくことがいいといっていた。


発達障がいの分類(ADHD、広汎性発達障害、高機能自閉症、アスペルガー等)についてよく理解できないままだったが、数冊の本を読んでみた。

その中には必ずといっていいほど、エジソン、アインシュタイン、ビル・ゲイツ(以上、診断不明)、トム・クルーズ(ディスレクシアと本人告白)、その他「発達障がい」と思われる偉人・有名人のことが書いてあった。


初診の日、ドクターから大まかな説明を受けたとき、やはりビル・ゲイツもトム・クルーズも…という話になった。



私は…




「オレがビル・ゲイツの脳ミソもっててトム・クルーズの顔もってたら、こんな苦労しねーよ!」



少し悪態をついてしまった。

発達障がいの人は何かの才能があって希望がある、という言質には正直、ウンザリしていて、本を読みながら思っていた本音が出てしまった。

(発達障がいの子供に関してはそのような偉人がいると励まし、将来に希望を見出させることは良いことだと思っている)




ドクターは笑いながら「早いうちにIQテストを受けましょう」といった。



IQテストの結果は、「平均の下」…。


言語性IQは、まあ大学を出ているだけのことはあるという程度。しかし、動作性IQがかなり低い。

この言語性IQと動作性IQとの極端な差をもって、ドクターから

「決定的だね…」といわれた。


自分が発達障がいではないかと感じ始めたとき、発達障がいの可能性があるとドクターから言われたときはそれほどショックではなかった。

しかし、IQテストによって実際に数値が出たときには、がく然とした。









『驚異の小器官 耳の科学 聞こえる仕組みから、めまい、耳掃除まで』(杉浦彩子 著)読了。



「耳」に関する入門書として非常に良いと思う。



耳の本

1章は、「聴覚」と「音」の基本的なことについて簡潔にまとめられている。

2章は耳の各器官や仕組みについて詳しく書かれている。ここは私としては覚えきれない部分が多いので、理解が完全でなくても一通り流して読んだ。

3章の「聞こえの不思議」まで読めば、「音」「聴覚」「難聴」については基本的なことが大体解かる。



著者としては第5章の「耳垢と耳掃除の科学」を重点的なテーマにしたかったのだと見受けられる。私は流して読んだが、耳垢遺伝子の分布による人類の移動の経路や民族的分布の研究は面白いと思った。




なお、私の45dBの聴力は(日本の基準では)「軽度」と私自身は表現していたが、「40dBから70dBの間に平均聴力がある人を中等度難聴という。WHOの定義では聞こえの良い方の耳、すなわち良聴耳の聴力が40dB以上であれば、補聴器の装用が勧められるレベルということになっている(p85)」ことは(私は恥ずかしながら数年前に知ったのだが)、一般的事実(常識)である。



私は仕事においては1年ほど前から安価な集音器を使っている。いろいろ問題はあると思うが、補聴器は高価なうえ、工場内の仕事であるため、汚れたり、失くしたりすることをおそれてのことである。実際、強い風の音、救急車のサイレン、突然の機械音は大きくなりすぎて不快だ。補聴器にもデザインや値段等、眼鏡のような気軽さが(日本でも)欲しい。