「もう十一時だよ」


私は彼を起こす。奥さんの居る家へ彼を帰す為に。

彼はシンデレラ。十二時には魔法が解けて元の姿に戻ってしまう。


「あぁ、もうそんな時間なんだ」


ネクタイを締め、見せ付けるように指輪をはめて上着を羽織る。

実際、ように。なんてものじゃなく私に見せ付けている。私が分不相応の願いを持たないように。

釘を刺す代わりに、指輪を差す。

でも、しっかり線を引いているようで彼は油断している。じゃなきゃ、私を目覚まし代わりに使ったりはしない。

油断なのか、安心なのか、その両方なのか知りたくも無いけれど私は私のランキングを知る。彼の中での。


まるでジャニーズ、今ならAKBのように。覆らないランキング。護られて、作られて、虚構を事実と勘違いするまで完璧に造られたランキング。


私は、私は、私は。


私は儚い願いなどとは思わない。

恐ろしい願いを抱えている自覚がある。

いつか願いは叶う。というか叶わせる。

手を繋いで歩きたい。堂々と。


そして、欲求はエスカレートすることを知っている。


そして、私にはその覚悟がある。

自分の行為の代償を、罪を、意味を、知っている。


友人は、そういう私を知ると、じゃあいいんじゃない。と言う。

責任を取れるならいいんじゃない。と言う。


本当は、そんなの責任とは呼ばないけれど。


寝顔を見ていると、このまま起きない様にしてしまおうか迷う。

他人の顔をして玄関を出て行く彼を見て、震える程の寂しさに酔う私が居る。



私が欲しいのは彼ではなくて、お手軽な不幸なのでは無いかと思ったりもする。

けれど、

全身で寂しい。


底なしで、全身で。


私は街を歩く夢を見る。

永い間戦争が続いた。


おじいさんのおじいさんのまたその前のおじいさんが生まれた時くらいからずっと。


雲は黒く、空気はざらついているのが当たり前になった。


雨水は毒になって久しい。風は病気を運ぶものだと子供は教わっている。


憎しみは意味を失って愛は行き場所を失くした。誰が始めたものなのか、誰も知らない。


戦いはクセのように無意識に繰り返された。


繰り返しを繰り返した結果、


とうとう誰もの体力が空になり、気力が消え、甘い静寂が世界中に降り注ぐ。


指先一本動かそうとも思えない、ただ待っているだけの静けさ。


兵は銃を抱き、母は子を抱き、皆が平等に死を抱いている。


どれ程の時間をかけてここまで来たのか、後悔とも虚無ともわからない湿気が淀んでいる。


ふいに鶏が鳴いた。


繰り返し繰り返し鳴いた。いつも通りに鳴いていた。


無抵抗に届く鳴き声を人々はじっと聞いていた。初めてのことだった。


鶏にはそれだけのことだった。


人々にもそれだけのことだった。

子供の頃花屋の娘のひかるちゃんとよく遊んだ。

僕が五歳で、あの子も五歳で、なんだかそういう毎日だった。

ある日、公園の中にある小山に寝そべって雲を見ていたんだと思う。

金魚だのペンギンだのソフトクリームだの綿飴だの。

僕がうんちみたいだと言うとけらけら笑って転がるから、僕もつられてけらけら転んだ。

小山の肌一面の、夏に精一杯伸びた雑草が、転げる僕たちを2センチくらい浮かせている。持ち上げている。

あー、映像は真綿のような太陽だ。

僕たちが転がる向こうからそよ風も転がってきて、くすぐったい。夏草の匂いも転がって、鼻もくすぐったい。


僕は干したての布団の上で毛布の上によだれを垂らして、横で寝ているひかるの寝息がくすぐったい。