世間はオリンピックで大賑わい。
どこのテレビもラジオもオリンピックのネタでスポーツ観戦しない自分としては、もうちょっと違うニュースも扱ってほしいと思う今日この頃。
オリンピックの最中、今まさに日本は世界中から注目されている訳だけども
日本と世界の間には価値観のギャップというものが存在する。まぁこれはどこの国にもそうだけど。
特に、日本では若者の宗教離れというものが時々、問題視されている。
この日本の宗教に関する問題はいろいろな面があるけど、今日はグローバリズムというものを絡めて話していきたい。
日本ではとにかく宗教を語るとキモがられることが多い。
友人に対してあっても「ところでどこの宗派?」なんて聞くと「えっ?」って引かれることもある。
まぁその裏には宗教勧誘されるんじや?という不安のようなものも孕んでいるからなのだろうが、こういう不安は友人が急にアムウェイとかのネットワークビジネスの話をしだす展開にも似てるね。
とにか日本では宗教=ウザイという方程式があったりする。
だけども宗教勧誘というか布教というのは宗教上、ごく当たり前の性質であって何故日本がここまで布教に関してネガティブ意識があるのかというと大きく理由は2つあるんじゃないかと思う。
一つは仏教における檀家制度、これは特にどこの宗派を熱心に信仰しているという訳ではないが家が代々○○宗だから私もその宗派なんだ。と特に宗教に関して無関心だった為、布教などの場面を見ると違和感を覚えるから。
もう一つは無理やりな布教活動に巻き込まれるから。
今でこそ手荒な勧誘はないが、昔は折伏といって入信するまで居座るとかそれこそ羽交い締めや暴力などで勧誘を強制する宗教もあったのだ。
まぁそんな背景がありーの、日本人特有の頼まれると断りづらいという面がありーの、宗教活動はキモいというレッテルが貼られてしまったんでないかと。思う訳なんよ。
さて、海外はどうかというと宗教とは非常にポピュラーでオープンである。
誰も隠さず当たり前のものとして受け入れられている。
むしろ無宗教というものに対して「えっ?」て思う人が多いだろう。
こんな話がある。
中東に(どこの国か忘れたw)降り立った日本人留学生がパスポートの宗教欄に「nothing」と書いたというのだ。
その留学生はなんと入国を拒否されたという。
どういうことか。
宗教とは神を敬い神を畏怖することである。
良い行いをすれば天国に行き、悪い行いをすれば地獄にいく。宗教を信じるものは天罰を恐れる、故に人は悪さをしない。ということ。
しかし、無宗教の人間は神を信じていないということになる。つまり言葉を変えれば神を恐れないということだ。
神を恐れない、つまり悪さをすることになんの戸惑いもない、そんな奴はテロを行うかもしれない、そんな奴を入国させる訳にはいかない。こういうことだ。
この先、グローバル化が進むに従って
日本は
宗教ってキモいよな。から
無宗教ってキモいよな。に変わる可能性もある。
俺も熱心に信仰している訳ではないが
「何教?」って聞かれたらすぐに答えられるくらいには勉強しているつもりだ。
毛嫌いせずに少し接していた方がいいかもね。