昨日3月10日
震災遺構中浜小学校に行ってきました。
中浜小学校にはその当時
児童・教職員と地域住民合わせて90人避難し
その90人全員が無事助かった小学校です。
そしてこの中浜小学校が
震災遺構として残ってる役割は
その90人はどのような経緯で
無事に助かったのか
ということを伝えることだと
今日訪れたことで知りました。
そして今日行ってみてわかったことは
あらゆる偶然と
その場にいる人たちの
日ごろからの備えと
その場の判断が
絶妙に噛み合って
ギリギリのところで全員生還
と言う状況があったこと
今日ここにに来ることによって分りました。
実際に来る前と後では
中浜小学校への印象が変わりました。
震災の爪痕を見ることによって
こんな悲惨なことがあったのだということを
私たちは忘れてはいけない
そのように震災の記憶を留める場所なんだと
訪れる前はそのように思っていました。
しかし、そうではありませんでした。
震災の痛ましさを
ここに記録をするだけではなく、それ以上に
災害に対して
私たちはどのように備えて
そして災害による被害に対して
どのように向き合えばいいのか
ということを教えてくれる場所なんだと
感じました。
震災の当時の人々と
同じ経験ができたと言う事は
絶対にありえませんが
ここに来て
語り部の方々の話を聞きながら
当時と同じ避難経路を辿ることによって
当時どのような空気で
どのような思考を巡らせながら
津波から避難したのか
一夜をどう過ごしたのか
その疑似体験をすることができました。
語り部の人たちの細やかな解説もあり
ここに来なければわからないことが
様々ありました。
とてもここでは書ききれないような
要素の組み合わせが
90人の命を救いました。
その中で印象に残ったこと
一つ取り上げるとしたら
当時の校長先生が
屋上へつながる避難階段を登った際のこと。
責任者として全員を送り出してから
最後に自分が登ろうとするとき
校長先生の脳裏によぎったそうです
「この階段を登ってしまえば
生き残って階段を降りてくるか
生き残れず再び降りることはないか
その二択しかない。」
そのような強い覚悟で
この階段を登ったという話でした。
屋上へつながる
なんの変哲もない階段1つです。
でもその階段に
当時の生と死の間があったのだと
そのように感じました。
この震災遺構に
今後、小学生や中学生
その他一般の人も来るでしょう。
私たちが中浜小学校で
1番学ばなければいけないことは
歴史を学び
その歴史の中で繰り返されてきた
災害に対してイメージを持ち
自分が体験したことのないことを
一生懸命想像して
災害への備え方をよく考えて
日常から備えておくこと
これは全国どこにいても
自分のこととして考えるべき
ことだと心に留めました
この中浜小学校のすぐ隣には
中浜地区で犠牲になられた方々への
慰霊碑と五輪塔があります
この五輪塔は
奈良西大寺の叡尊塔を模したものでした。
興正菩薩叡尊は
大学時代に研究した人物でしたので
なんとも、不思議な縁を感じました
全国の方々から寄せられた
祈りの黄色い手拭いも
風に靡いていました
3.11から今日で11年
今を生きるものとして
今ここに心を据えて
御霊に祈りを捧げます
合掌



