パニック障害・うつ症状
更年期障害・原因不明の体の痛み
難病指定
度重なる身体からの痛みや苦しさの
お知らせを経て
生き方そのものを
見つめなおすことが出来、
自分としての生きなおし
自分保育をして
今、「生きたい自分」を
生きるようになりました
初めてのパニック発作から
10年目の今
この10年を振り返りながら
自分が気づいたことや
やってきたこと
思い返すとあれこれなど
書いていこうと思っています
イヤイヤ期ならぬ
役に立たない自分はここにいる価値がないを感じる期
病気になったとき
これがすごく怖かった
娘は当時まだ3歳で未就学
夫は仕事が忙しく子育ては苦手
子育てと家事は
わたしががんばらないといけないのに
買い物にも行けないし
家事も育児もろくにできない
娘は年度途中の秋から
急遽、バスの送迎のある幼稚園に
入れることになって。
娘にも夫にも罪悪感の日々
役に立てなくて
がんばれない自分は
ここにいる価値なんてない
生きていることが苦しい・・・・
でも娘にとって
母親はわたししかいない
みんながんばってるのに
みんな当たり前に出来ているのに
わたしはそれが出来ない
最初は苦しくて苦しくて
仕方なかった
でも思い返せば当時
わたし以外にわたしを責める人は
いなくて・・・w
心のことを学んで
わたしが思っていた
"みんな"も
"当たり前"も
妄想でしかないって知ったとき
愕然としました
とにかく狭い範囲で
生きていました
当時は
何かをやっているから
役に立っているから
がんばっているから
ここに生きてていいって
やっと思えるような
自分に対する存在価値が
そんなだったので
まぁ苦しかったですw
パニック障害になって
役に立たない自分を
ぞんぶんに味わう時間
すごく大事な時期でした
がんばることで得られる幸福感って
依存的なんだと思います
もっともっと欲しくなる
↑
(自己受容の土台がない人にとっては
ということです)
役に立たない自分はここにいる価値がないを感じる期
は、自分の存在への再確認の
時期でしたね
役に立たなくても
家事も育児もろくに出来なくても
ここにいていい
ここで生きてていい
というか
生きてていいんだろうか?じゃなくて
もう生きてるやん
それがすべてやん
それを自分にしみこませる
大切な時間でした^^
この苦しい価値観って
パニック障害になる前から
実は自分の中にあったもの
褒められたくてがんばるし
認めてもらえるように振舞うし
がんばってないように見える人には
腹が立つし
認めてもらえないと不安だし
がんばらないと落ち着かないし
他人にもそれを強要するし
ずっとがんばってないと
なんか不安
それをパニック障害を通して
その価値観があぶり出されただけ
がんばって
役に立って
認められて
じゃないとここにいられないよ
その張りつめた緊張感と
ここにいていいかどうかの不安が
一番のストレスで
わたしを苦しめていたんですよね
ずっとずーっと
緊張感の中でわたしは生きていた
すごくしんどかったなぁ
がんばることは良いことだし
がんばれることは強みだし
魅力だし
がんばるって楽しい
だけど
がんばるわたしだからここにいる
許可が出るわけじゃない
価値を証明しなくてもいい
なにかによって
わたしの価値があがったり下がったり
することはないよね
わたしはわたし
それ以上でもそれ以下でもない
がんばることで価値を見出し
がんばりを認められて
安心したり
自分を誇らしく思ってきた
わたしにとっては
身体中にしみわたるには
すごく長い時間がかかったけれど
自分の価値は
できること(行動)や
持っているものにはない
外側のもので
証明されるものではない
そんな風に思えるようになりました
そんな新たな価値観に出会えたのも
パニック障害のおかげ^^