危うい絵、危うい写真、危うい人が好きだ。
どこがどうなっている感じが好きなの?と聞かれると、
とっても説明しにくいんだけど。
そこを真っ直ぐに行けばいいのに、
何でそんな細い抜け道を選んじゃうの?とか。
こっちの線の上の方が太くて歩き易いのに、
どうして切れるかもしれないような線を選んでしまうの?とか。
水玉の汗をかいて。靴紐は汚れて解けそうで。
食べ散らかされた、お皿の上のケーキ。
生クリームがついたままのフォーク。
緩く結ばれてる、お洋服のリボン。
グログラン、サテン。
髪の毛は、跳ねたままの栗色で。
第二ボタンまで外した、
白いカッターから見える肌。
ちょっと最後が怪しいですが、
まぁそういった感じのものが好きなのです。
二○和○さん主演の、青の炎を見てしまったのですが、
それから何だかこういう感じです。
見てしまった・・・というのは、話の筋は大体分かっていたので、
これはかわいそうで最後まで見られないな、と思っていたから。
でも、つーいつい全てを見てしまいました、サンキュウようつべ。
あれからどうも、テレビで二○さんを見かけると、
あの映画の危うさを探してしまいます。
もう二○さんは立派な青年で、大人で、
あの頃の姿ではありません。でも、どうしても探してしまう。
少女にも、この危うさは当てはめられますが、
女性は男性より、いくらか強かに生きられます。
そこにある純粋さを覆う“盾としてのベール”が、彼女達を包む。
それはもちろん、少女が自ら生み出した武器です。
武器を持たない少年は、身を守る術を知らず、
傷付くことを恐れながら、危うい方向へと進んでしまう。
そこが、少年と少女の違いではないのかなーと思います。
大きくそれたかな?それすぎじゃ。
まぁとにかく、そういう危うい部分が見え隠れするものが好きなのです。
不安定で壊れそうで、毀れそうで落ちそうで。
でも爪の先一枚で、どうにか保たれている。
そこにある美しさって、一体何だろう?
そんな美しさを、紫の実は追求していきたいです。