フランスがアフリカのマリにイスラム武装勢力といわれる’’人たち’’に攻撃をしたと。
その結果、その人たちがフランスを攻撃仕返すと。
報復?

なんともくっさいプンプンにおいする話。

元々フランスがマリに武力を送ったのが建前上では以前の植民地である国を助けるのは当然の事さっ!みたいな文句で始めたけど、それは結局いいように植民地解放後もコントロールするためでしょ?! それはバレバレ、オーランドさん。(ノ゚ο゚)ノ

今回の報復?も最初っから分かりきったようなアクションに対するリアクション。

だからフランス大使館の人たちが危ないおもいするの?パリ住人が恐い思いするの?

このイスラム武装隊ですら相当’架空’感が帯びてて、自演自作のようにも考えられる。
怪しい。。。

ちょっと前の大統領選挙前にフランスのトルーズ地方でメラ君がサルコジによって殺された事件があったけども、あれが右のやり方であれば、これは左を使って右がやった感すらある。

とにかくプンプン臭い。

それはともかく、最近同胞がヒジャーブを付けているが故に罵声を浴びされた事を耳にした。

毎回気にしてても始まらないし、忘れっぽいのか図太いのか、忘れてしまってたけど、よく考えたら、私も頻繁にここ、パリで偏見による被害を被っている。

ここフランスではヒジャーブを被っている人=移民、無能、貧乏、という支配国で低モラルな社会独特の風潮が存在する。

私は移民でも、無能でも貧乏でもないけどヒジャーブを被っているが故にそのカテゴリーに勝手に括られる。過去2年間であった事は例えば:
*おもちゃ屋さんの店員にバックをレジの所へ置いていけと言われた。万引き防止。他にその指示をされた人は店内にナシ。
*スーパーの店員に乳母車の中をチェックしろと、私に聞こえるようにレジの人に指示した。単なる嫌がらせ?
*スーパーで同じ店員がえらそう口調で私が手に取った商品を戻した時裏返っていた箱を見て「箱を元に戻しなさいよ!」とゆった。「はい。ごめんね。でもこれ箱が空いているよ、この商品は商品として良くないよ」とゆったら「それでもちゃんと戻しなさいよ!』と言われた。商品をちゃんと並べるのはあんたの仕事じゃないの?フランス人の客だったらそんな口調で客に物をゆってる?
*道ばたでおばちゃんに「あなたテロリスト?」と聞かれた。子供を連れて普通に歩いているだけの私に。
*警察に質問された。
*産後入院中に看護婦さんに赤ちゃんを泣かせっぱなしにして乳児虐待していると思われ、よその子供が泣きわめいている中、ずかずかと病室に入ってきて、「赤ちゃんに飲ませてるの?」と怒鳴られた。でもうちの子はスヤスヤ寝ていた。
等々。
その他、地下鉄、道ばたで変な目で見られる事はきりがない。
これだけでもわかるように、ヒジャーブを被っていることで完全に差別の対象になっている。いつでも悪いのはヒジャーブを被っているイスラム教徒で無能で貧乏な人に違いない、という発想から来るものである。
一見被害妄想にも見えるかもしれないが、そんな妄想をするヒマは私にはない。

この布きれ一枚が彼らに何をするというのか。
何ができると思うのか。
普通のカッコして、普通のアジア人で、布きれ一枚被っているだけで「自分らとは違う!」「旦那さんに弾圧されてる哀れな人」「爆弾巻いてる」と思うのか。

主人はいつもそんな相手でも良い態度で返しなさい、という。もちろんそれを心がけている。あまりにも絶えられない時でも相手には何も言わない。余計な事は言わぬが得。不平があれば神は必ず正してくれるし、彼らをどうこう決めつけるのは私の仕事ではない。だからたいてい私の記憶からとんでしまってる。。?

人に痛めつけられると、その分神の慈悲がある。
それによって心が浄化される。「痛めつけられる」=「心の浄化」
心がもっと神に向うという作業。

「信仰を守る」という事は時に大変な事もある。預言者様(彼に平安あれ)の時代も、その前の預言者様達の時代も。

でも、私はともかく、同胞もおなじめに会っているのかと思うと心が傷む。そんな世の中が変わればいいのに、と思う。

今日、主人が例のスーパーの店員にひと言、言いにいってくれた。
「彼女を他の客とおなじ様に扱って下さい。」と。

それもなんだか。。という感じだけど、家族を守ろうとしてくれていることがとてもうれしかった。

なんかここまで書いて、ヒジャーブをこれから被ろうと思ってる人の邪魔になってはいけないと思って、ネグァティブ感を出してしまった事に反省。。。。(´_`。)

だからって私はヒジャーブをとる気にもならないし、いつも昔改宗したての頃に誰かに言われた言葉を思い出す。「きみは人が恐いけど、神は恐くないのか。」
神の言う事を無視して、人間に好かれたいのかという意味。
滅相もございません。それが釘が刺さったみたいに常に私に思い出させてくれる。

別の記事に以前書いた事があるけども、ヒジャーブをなんで被ってられるか。アツい日も、寒い日も。それによって守られている感があるから。神に守られている感があるから。それは被っているのと被っていないのでは雲泥の差がある事を身をもって体験して初めてわかった事。

インシャアッラー、全てのムスリマにアッラーのご加護とご慈悲がありますように。