私の具合の悪さに気づき始めた長男当時3歳の終わり頃。

私がいつもと違うことは十分分かっている。

私がしんどそうなので、私には気を遣って甘えるのを我慢してる。

その分、母や夫に当たりまくっていたw

ごめんね。

 

この頃のことを思い出すと、胸が痛い。

我慢してる顔、私以外に当たり散らしてる横暴な顔、私を気遣う顔、どの表情も切なく思い出される。

まだ3歳。おしゃべりだけど、自分の気持ちがうまく言葉にできなかったんだろう。

よく泣いてた気がする。

長男のそんな姿に同じように泣きそうな顔で対応する夫。

こんな風景が当たり前になってしまい、私の心も崩れそうだった。

何かしてあげたいのにできない。辛かった。

それどころか、思うようにいかない苛立ちを、言うことを聞かない長男にぶつけてしまっていた。

自分にもイライラした。なんで2回も重症悪阻になるの。

悪阻がない人もいるのに。なんで。

こんな妻で、こんな母でごめんなさい。

本当にごめんなさい。

 

 

いつ妊娠のことを長男に伝えるか迷った。

悪阻のせいでこんな事になってしまい、今伝えるとお腹の子を敵対視する場合もあるそうだ。

それは避けたい。

とりあえず、私は病気だということにした。

 

毎朝、私もベッドからは出て、食卓につくようにした。

そうしないと、年に一度ぐらいしか会ってない母と2人では、さすがに長男はご飯を食べないだろう。

 

私は食べないけど、隣に座って、長男のいつもの朝食ジャムサンドを作って食べさせた。

食べ物を見るのもイヤだったけど、息子のためなら我慢できた。

やっぱり気持ちの問題ってことか?不思議だ。

 

そして、保育園の制服に着替えるのを少し手伝う。

もう3歳後半、ほぼ自分で着替えはできた。

そして、玄関まで見送る。

時々甘えてくる。ハグはできたから、たくさんした。

「ぎゅうして」と甘えてくる。可愛い。

この子を悲しませたくない。

十分に相手できなくてごめん。

 

母が園に連れて行く。

母とだと、言うことを聞かないらしい。

まず手を繋がない。

端っこを歩くよ、と言ってもフラフラしてるらしい。

 

信じられない、、、

私とだと、むしろ長男から

「あぶないから、はしっこあるくんだよ」

と言ってくる。

身内といえど、やっぱり私に見せる姿とは違う姿があるんだな。

夫の言うこともなかなか聞かないけどw

普段は私が電動ママチャリで送迎してたから、歩くのが単純にイヤだった可能性もある。

 

なので送迎にかなり時間がかかっていた。

家に戻ると母は洗濯物を干す。

普段、自分1人分の洗濯しかしていない母、大人3人+子1人分の洗濯物、毎朝時間がかかってた。

 

ベッドに横たわりながらも、気になる。

時々、母のため息が聞こえる。

「いたたたた」と膝や腰を痛がる声、

「はぁしんど」というひとり言。色々聞こえる。

 

「大丈夫?」私が聞くと

 

「大丈夫よ。あんたの方が大変なんやから。お母さんの心配は要らんよ。自分のことだけ考えなさい」と返ってくる。

 

母にも母の生活があり、予定を飛ばして駆けつけてくれた。

いつ終わるか分からないこの生活。

当時、コロナ患者数全国上位だった場所に田舎から来てくれた。

不安だったと思う。

お母さん、ありがとう。

 

洗濯物が終わるとスーパーに買い出し。

田舎とは違い、車もなく、徒歩で。

自転車はあったが、久々すぎて乗りたがらなかった。

洗濯物然り、買い出しも料理も母にとっては普段の倍以上の量。

 

「ええダイエットになるわ」

そう笑ってたけど、大変だったよね。

 

スーパーから帰ってくると、もうお昼。

私は食べないから、母一人分だけど、手間はかかる。

私にも何か食べられる物を、と煮物をよく作ってくれた。

 

私は2回目の悪阻に備えて、妊娠判明後、母や夫への協力依頼ファイルを作成していた。

長男が食べられるメニューのレシピと、実際に私が作って出した料理の写真をプリントアウトした。

 

こうすると、どのお皿を使って、どんな大きさで盛り付けていたかがすぐ分かる。

各メニューの長男の食べ方の癖や好みも書いた。

 

私と夫では食べさせ方が違うが、回数が多いせいか長男は私のやり方を好んだ。

長男がわがままを言えば、家事は滞り、母と夫はただでさえ大変なのに、疲労困憊し、共倒れになってしまう。

できるだけ長男に機嫌良く過ごしてもらう必要があった。

甘やかしていると母に言われたこともあるけど、こればかりは我が家のやり方に従ってもらった。

 

今最もケアすべきは長男の心だ。

長男からすれば、突然私が寝込み始め、送迎は朝はばぁばとなぜか歩かされ、帰りは時々パパが自転車で、大半がばぁばとまた歩いて帰る。

お風呂も私とは入れなくなり、おしゃべりも遊ぶのもほとんどできない。

なぜかばぁばがご飯を作っている。具材の切り方や味付けも多少違っただろう。

いつもばぁばが家にいる。

休みの日も私は寝たきり。

パパもなんだか元気がない。

こんな理不尽な変化、3歳の子どもにはキツイと思う。

とにかく長男のことを最優先にしたかった。

 

長男の登園準備も、持ち物を忘れると長男が困るので、見たら準備できるようにリュックの中身の写真をプリントアウトして説明を書いた。

 

これは1人目の出産時の時に学んだものだ。

当時も母に手伝いに来てもらったが、料理の味付けやどの食器を使うかなど、いちいち聞かれて、私も疲れた。

好きにしてほしい、そう伝えたけど母の性格上、確認したかったんだろう。

母も私を疲れさせようとして聞いてる訳じゃない。

でも産後クライシス真っ只中の私はいつもイライラしていた。

 

だから2人目の妊娠で、重症悪阻にならずに、使う場面がたとえ来なくても、もしもの時に備えて、まともに動ける時に準備しておいてよかった。

母も夫もファイルを見て、一生懸命やってくれた。

 

母も前回の手伝いの時から4歳、歳を重ねている。

格段に忘れっぽくなった。

レシピや荷物など、すぐ忘れる。

ファイルを用意してよかった。

ファイルを置いた場所を忘れられた時はどうしようかと思ったけどw

 

 

つづく