投資の次の段階へ③
結果を引き受けるいう感覚

判断の精度が上がったとしても、
不確実性が消えるわけやない。

考えれば考えるほど、
世の中はそんな単純ちゃう、
ということがよう分かってくる。
情報はいつも不完全で、
未来はだいたい想定を裏切ってくる。

この段階まで来ると、
人はもう
「うまいことやれるはずや」とは思わんようになる。
その代わりに、
「この結果を、自分は引き受けられるやろか」
そう自分に問い始める。


責任は、結果のあとからついてくる

投資の初期段階では、
責任はどうしても曖昧になりがちや。

うまくいったら自分の実力、
あかんかったら環境やタイミングのせい。
多くの人は、この構図の中で止まってまう。

せやけど、次の段階はちゃう。

理由を持って判断した以上、
結果がどう転んでも、
それは「自分で選んだ結果」になる。

ここで大事なんは、
自分を責めることやない。
逃げへんことや。


「納得できる損失」と「後悔が残る損失」

同じ金額を失うても、
心に残る感覚はまったく違うことがある。

・自分のルールに沿うて判断した結果なんか
・感情や焦りに押されて決めてしもたんか
・誰かの意見に頼って判断したんか

この違いで、
損失は「学び」にもなるし、
ずっと残る「しこり」にもなる。

次の段階に進んだ投資家は、
損失を減らす前に、
後悔の残らへん判断を
増やそうとするようになる。


自分は、どこで戦ってるんか

もうひとつ、
この段階でよう見えてくるもんがある。

それは、
「自分はどの土俵に立ってるんか」という感覚や。

短期なんか、長期なんか。
情報の強みなんか、時間の強みなんか。
集中すべきなんか、分散すべきなんか。

立ってる場所が違うたら、
他人の成功なんて、
ほとんど参考にならへん。

自分の位置が分かってへん限り、
判断はいつまでも揺れ続ける。


投資は、選択の積み重ねになっていく

この段階になると、
一回一回の取引は、
前ほど大きな意味を持たんようになる。

その代わりに、
「どんな選択を繰り返してるか」が
じわじわ効いてくる。

派手さはない。
手応えも分かりにくい。
それでも、
判断の一貫性だけは、
少しずつ残っていく。


次の段階いうのは

投資の次の段階いうのは、
勝ち続けることやない。

失敗せえへんことでもない。

結果を、
他人や環境のせいにせんと、
自分の判断として、
静かに引き受けられるようになること。

そのとき初めて、
投資は「技術」やのうて、
自分の立ち位置を映す行為に変わるんや。