ロジカルな娘が好き The road less traveled

ロジカルな娘が好き The road less traveled

小児病棟の男性看護婦のブログです
頭髪の砂漠化を懸念しています

はじめましてのひとへ
livedoor blogから、SNSと連携のいいamebaに引っ越しました。SNSと連携させたいのがドMだからではなく、自己顕示欲が異常に発達しているからだという見解に異論はありませんが受け入れがたいので言わないで恥ずかしい生きることって恥ずかしい!恥辱ついでにいうと、ブログのタイトルに副題がついたのは、なんかオシャレでかっこいいと思ったからです。

というブログです

今は小児科病棟看護師をやってます

ちなみに僕は27歳男性です

もうしわけありません
Amebaでブログを始めよう!
 ブログを書くときに、まず題名から入力していくのが僕のスタイルだとかいう告白をきいて恥ずかしい思いをするのは実は僕自身だけなんですけど、ほんとうは最後にかえたりすることがしばしば

 少しお久しぶりになってしまったのはしゃべりたい映画がなかったわけではなくて、というかそもそもここは映画批評ブログではないことに気づいた梅雨の午前0時いかがお過ごしでしょうか

 僕は来月引っ越すのでウキウキしています
 
 で、引っ越すにあたってですね、保証人が必要ということで、ほんとうは保証会社みたいなのがあって保証人自体はいらないんだけど、その保証会社に保証するために緊急連絡先として両親を登録するということで、結局として27歳になっても両親に知られずに引っ越し一つできないということになにか安心させられたところもあるのはなぜでしょうか

 思い立ったが吉祥寺という言葉はないんですが、引っ越ししようかなと思い立って部屋を決めるまでにわずか3日という自分の行動力にはほんとうに驚かされてはいます

 明けで吉祥寺の不動産屋にいって、ネットで探した物件みせてもらって、「じゃ、ここで」

 不動産屋のお姉さん(スカーレット・ヨハンソン似)「マジで?」

 来月から西荻住民になるので、某戦闘民族の王子的な両サイドから長友にサイドアタック決められちゃってるハゲを見かけたらそれは僕なので気軽に声をかけたり不審者通報したりしてください

 ということで、母に「あ、おれおれ。引っ越しするから保証会社から電話かかってくるらしくて。かかってきたら僕の母だと言ってください」

 という件を電話したら、「明日ばあちゃんちにいく」ということで、今日いってきたんですね

 85歳の祖母は、2回冠動脈をバイパスしてて、インシュリンを自己注射したりしてるんですけど、まぁ元気でして、というのが昨年までの印象だったんですけど、認知症っていうんでしたっけ?肉体寿命を伸ばす技術の副産物として人類に襲いかかった最後の恐怖。人格荒廃。それは長期的な喪失。それは絶え間ないお別れ。記銘障害。それは進行的な停止の延長。それは不可逆的な後退。

 そして、

 そして、

 そして、それは失われない新鮮さ。塗られないキャンバス。それは出会いの連続。色あせない瞬間

 「え、ひでき一人暮らししてるの?大きくなったわねー」

 「そうなんだよーで、今度引っ越すからさ、それで母さんに連絡したわけ」

 「じゃあお金が要るでしょ、おこづかいあげなきゃね」

 「だいじょうぶだよ。もう働いてるし」

 「え、働いてるの?なんの仕事?」

 「看護師だよ」

 「えー偉いじゃない!家から通ってるの?」

 「ううん。一人暮らししてるんだ」

 「えーそうなんだ!大きくなったもんだ!いくつになったの?」

 「27だよ」

 「あら!もうそんな歳なんだ!もう働いてるの?」
 
 「そうそうー」

 「なにしてるの?」

 「看護師だよ」

 「え、看護師さん!偉いじゃない!インシュリン打ってもらおうかしら?」

 「えーそれはなー」

 「でも、大きくなったわねーいまいくつになったの?」

 「27だよ」

 「27!?え!?もうそんな歳なの!大きくなったわねー働いてるの?」

 「そう。看護師なんだ」

 「え、看護師!?すごい偉いじゃない!あれは辞めたの?車の会社」

 「車の会社?看護師しかやったことないよ」

 「あれ、そうだったかしら?

  それで、ひできは大きくなったの?

  今日はつれてきてないの?

  孫の顔がみたいわ

  ひできはもう歩けるようになったのかしら」

 「・・・ひできは歩いてるよ。まだ、少しおぼつかないけど。

  でも、だいじょうぶ。お義母さん、心配してくれてありがとう」




 「いや別に父さんのふりはしなくていいから。もう最近こんな感じなのよねー」と母。

 けっこう進行が早いんですね。ばあちゃんが僕の成長を喜んでくれるなら、何度でも僕は答えるよ

 と、いう美談方向でしめることでこの世界が少しでもよいものに感じられるなら、それでもいいとは思うし、祖母の中に蓄積していかない孫の近況報告の量と比例して僕のいらだちとそれに対する自己嫌悪は降り積もっていったという事実を話したところで僕の憂さ晴らし以外のなにものにもならないわけなんだけど、こうしてなにかを言葉にすることがそれ自体治療的であるということで僕はこのブログを書いているわけでもないんだけど、創作療法に対する一定の効果は実感している訳でーーーーー


 それは愛か承認欲求かーーー

 それはフィクションかリアルかーーー

 神はひとを愛したかーーー

 「ルビー・スパークス」

 みにいきたかったけどいつのまにか劇場公開が終わってしまっていたんですよねー

 と自然な流れでさっきみたDVDの話につなげていきます

 軽いノリでみたらすげぇ刺さってガツンときたからみんなもみたほうがいいよー

 あらすじ:なんとなく夢でみたあの子を小説に登場させたら現実に現れちゃった。しかも小説を書いていけば、その子はその通りになるじゃん!わーい!

 映画の雰囲気は「(500)日のサマー」にやっぱり似ているとは思う

 美人ではないし、ストレートにかわいいわけでもなくて、少し扱いづらくても楽しくて、毒のない小悪魔的なヒロインはサマーといっしょだしね 

 「書くとあの子を操れるタイプライター」をドラえもんが出してくれたらどうなるのという話です

 まぁ、操れないですよね

 いや、操れはするんですよ。「自分では気づいてないけどフランス語が堪能になる」とか「おれがいないと生きていけない」とか「楽しそうに飛び跳ねてる」とか、彼女を操れることは操れるんだけど、彼女と僕の関係、あるいは僕の感情、そして「恋愛」というものそれ自体は操れない

 Love is uncontrollable.とか、いい意味でのlove is blind.とかかこの映画の教訓的なメッセージなんですけど、それも大切だし、「そうだそうだ!操作できない彼女の気持ちと管理できない僕たちの関係という側面こそが恋愛のアレじゃないか!」と大変アガるわけなんですけど、僕が好きなのは、この映画のジャンルが少しずつズレていくところなんですよね

 「このタイプライターで書いた通りのあの子があらわれてしかも操れる」という設定紹介の序盤はSF→ラブコメ

 「どうもうまくいかない」という中盤はシリアスな男女の物語

 「そして、どうするのーーー?」という終盤はなんと一気にホラーに

 
 「あなたは天才!」のところね、もう、すげぇつらかった

 
 ドラえもん的「if」の教養基盤がある日本男性こそもっともその魅力を味わえると思う

 女の子がみたら「やっぱり男ってそうやって女のことを管理したり束縛したりしたいんだ!ついでに承認してほしいんだ!きもーい!」とか思うのかな?恋人がいない女子はみないほうがいいと思う。恋人がいる女子は彼氏にみせて感想いわせたらいいんじゃない?

 あんまり詳しく話してないのはみてほしいからなんだけど、どう?

 「ほんとは実は全部嘘じゃね?と、いう話を本にしましたーというのが事実なんじゃね?最後のシーンはただの偶然なんじゃね?」という物語論を話したかったり、「終盤のホラーシーン;神と人間;創造者と創造物の関係」とか展開しようという意気込みはあったんですけど、冒頭のばあちゃんのシークエンスが盛り上がった(僕のなかで)ので、もういいです


 あとね、やっぱり、そういうタイプライターを手に入れたらどうするかということですよね

 ・・・どうすればいいのかなこれ

 「おっぱいがでかくなる」だの「フェラをしてくれる」だのそういう使い方は映画でも主人公の兄貴が提案してくれてるし、いきなりフランス語をしゃべれるようにできるみたいだからできるとは思うんですけど、まぁ、そういうことではないじゃん?

 捨てようかな

 でも「1回使わないと捨てられない」という縛りつきだったら、「彼女が夢を叶えるための能力を身につける」とかにしようかと思ったけど、たぶんそういうことされたの知ったら傷つくし、僕も墓場まで隠しておけないので、「彼女が僕と同じレベルの体力を身につける」にして「足がいたい」だの「疲れた」だのを予防できるようにするという悲しいくらいリアルな願望を叶えてもらおうと思います。でも疲れたきみも好きだよほんとほんとうそじゃないよ

 あるいは「彼女の体液に毛髪促進の効果が宿る」
公開日であったために2準目の朝9時からみざるを得なかったということで、「レ・ミゼラブル」級の期待を込めに込めてみにいった「華麗なるギャツビー」なんですが、もう、よすぎてよすぎて

「アンナ・カレーニナ」も同様に準夜の朝9時からみにいったんですけど、ちょっと期待はずれ、ではなかったんですが、うん

「アンナ・カレーニナ」のどこがダメだったということは挙げられはしないんですけど、やっぱり文庫で600×3ページのサイズだと、余すところなく描ききるのは無理というものなのかもしれませんねと思ったけど「レ・ミゼラブル」はそれを上回る作品サイズなのになぜあんなによかったのかというとそれはミュージカルというマキシマムエモーショナルな語り方だったからこそということでティーを濁しますね!

で、「華麗なるギャツビー」ね、これいましゃべっててやっぱりちょっと引っかかるのは、「華麗なる」という和訳ね

「華麗なる」・・・悪くはないんですけど、華麗ではないよね!?その逆ではあるけど!?

じゃあ「GATSBY」のどこが「GREAT」なのか

ここが僕として明確な答えが見つからなくて・・・
そんなモヤモヤ、ギャツビーがなぜグレートなのかという疑問の答えに応えてくれたのが、この映画「華麗なるギャツビー」でした。というのがまず一点目

①ギャツビーのなにがグレートなのか

原作でも、「great gatsby」という物語が、ギャツビー邸の隣に越してくるギャツビーの夢であるところのデイジーのいとこであるニックが書いたものであるという点は明確に示されていると思うんですが、映画では、「ギャツビーと出会いそして別れたあの夏以降、アル中になってしまったニックが療養所で創作療法のようにタイプして語られる物語」という設定を導入しています。そして、ギャツビー邸の再訪をもって終わる「gatsby」というタイトルの原稿に、ペンで「great」と書き加える。その瞬間、なにが「graet」なのかを僕たちは認識させられるんですねー!
 
ですねー!と言って、じゃあなんなのか、どこが「great」なのか。これはね、なんというか「すげぇ・・おれにはそんな生き方は無理・・・」みたいな憧憬、そしてそんな生き方で生き抜いたギャツビーへの「親友」からの賛美と哀悼・・・そういう感情の発露。ニックが原稿に「great」とペン書きした瞬間、「そうだそうだ!「great」以外の形容詞はあり得ない!great・・・gatsby,great・・・」という気持ちになりました!うん!伝わらないかな!

②原作とは違う点:アル中ニックによるテキストとしての「great gatsby」:partyの物語論

で、この映画がニックの著作という語り方をした瞬間、まさかのあの「great gatsby」というアメリカ文学史の記念碑たる作品を、語り部がアル中であるという「信用できない語り手」で語るという挑戦的な試みであるということが示される訳なんですね

そうすると、ただでさえ起こりえた真実としても飲み込みづらい物語であるギャツビーの人物とその夏の物語に、もう2歩くらい距離がでて、幻想感を強調することになるんですね

原作だと
「読者→
 ニックの語り→
 ニックの見聞としてのギャツビーら登場人物の物語」
という3層構造で、ニックの語りがリアリティーラインのベースになっているんですけど、

映画では
「鑑賞者→
ニックがアル中であるということ→
アル中ニックという信頼できない語り手が語る物語→
信頼できない語り手:アル中ニックが記した「gatsby」というテキスト→
「gatsby」というテキスト内の物語としてのギャツビーら登場人物の物語」
という超重層構造をなしてきて、リアリティーラインの水準を限定できなくなるんです

「信頼できない語り手」×テキスト論で、もうめちゃくちゃな事態になってるんですけど、実際、鑑賞中はこのめちゃくちゃさがもはや認識できないレベルになっていて、よくよく振り返ると「いったいなんだったんだろう・・・ギャツビーはほんとうにいたんだろうか・・・」「いや、フィクションだから当然いないんだけどね!」というツッコミをもって「あ、そ、そうだよね、そもそもそうだよね」とはじめて醒める、ある種の夢をみているような感覚になるんですよね

「信用できない語り手」で幻惑し、テキスト内物語として距離感をとることで、「不注意」で「純粋」な鑑賞者のリアリティーラインの水準をぼかしにぼかし、鑑賞者と物語に生まれざるを得ない「壁」を取っ払い、真実かどうかの嫌疑をかけさせない。実際の話かどうかは関係ない

ギャツビーという男の話にただ、酔う

それがpartyの楽しみ方だろうが!
踊ったもん勝ちだろうが!
踊らせてやるよ!
フロアの足は止めないぜ!
これが、物語の快楽だ!
Fuuuuuu!!!!

でね、原作のようにニックの視点だけで進行しないので、いや「アル中ニックによるテキストの映像化」なので厳密に言えばニック視点ではあるんだけど、「ギャツビーとデイジーの5年前の件」を了解してのカメラ回し(ニック回想)なので、冒頭の「デイジーとベイカー登場シーン」(これがまた白い倦怠と言うか原作通りの映像化で超いい!超いい!!)でデイジーが「ギャツビー」という名前を聞いてちょっと苦い顔をするとか、床屋の下でトムとギャツビーがはちあわせたときにギャツビーが苦い顔をするとか、そういうのは原作では想像するほかないわけじゃないですか。原作では中盤で「ギャツビーとデイジーの5年前の件」が明かされるので、「え、じゃあさ、あのときデイジーは、あのときギャツビーはどういう顔してたんだろう!」みたいに想像するほかないわけじゃないですか。それが映画ではばっちし映っちゃってるんですねー(笑)。「ちょっとデイジー回ってますよ!ギャツビー回ってますよ!(カメラがね」と言いたくなるような映像が撮れてしまっているんですねー(笑)これがいいんですよー

と、いう一方で、原作ではほぼ完全にニック視点で進行するので、ほかの登場人物の感情はわからないんです。ニックの推測の域を出ないわけ。でも、映画ではギャツビー・デイジー・トム・その他の登場人物の主観的な感情が演技でわかる。これをよしとするかしないか!ぼくは一周回ってごちそうさまでしたっていう気分でした(?

③ニックはおれ

この物語の中で、ぼくはニックの気持ちに一番感情移入します。というか、ニックの一人称だから、ニック以外に感情移入の余地はないんだけど・・・まぁ、それはいいとして、ニックの「仲間だけど傍観者」という自意識とか、脇役という主役みたいな人間関係とか、てめぇらなんでそんなにcarelessnessなんだ!という憤りとか、「もううんざりなんだよ・・・」とか、そういう気持ち、すげぇわかるよニック!ニック好きだよニック

もうね、ニックがかわいそうなくらいおれなの。自分を中心としない人間関係のグズグズに巻き込まれてあるいは無視できなくて飛び込んでいってため息ついていやになってやっぱ首突っ込まなきゃよかったとか思ったりどうしようもないと諦めたかったり「人の気も知らないでよくもまぁてめぇらそんなエゴ丸出しでチンコ丸出しか!」といら立ったり、結果自分が傷ついてアル中とか・・・もう・・・ニック、今夜だけは飲もうや・・・先生、外出許可ください・・・

というニックを演じるはスパイダーマン、トビー・マグワイヤ。ギャツビー(ディカプリオ)やデイジー(キャリー・マリガン)、トム、エドガー嬢とくらべて薄い薄い。顔も薄けりゃ背も低い。声も高けりゃ威厳もない。それっておれじゃん?かわいそうなくらいおれじゃん。このときかわいそうなのはおれなのかおれに肩くまれたスパイダーマンなのか


ちょっとしゃべりすぎたので指がいたい。以下、箇条書き

ディカプリオ;ギャツビーについて。初対面時の笑顔(笑)好きすぎる(笑)。まぁあと言及しておきたいのはもちろんあそこですよ。ニック邸でのデイジーとのお茶会のシークエンス。もうこれだけでお腹いっぱい。「ちょ、まだ4時になってないって!」「デイジーきたよー・・・っていないんかーい!!」「ず、ずぬれやないかーーーーー!!」「で、ずぶぬれでかっこつけてもーーーー!!」「時計はもう気にしないでいいからーーーーー!!」「自分ち紹介のときすげぇテンションたけぇーーー!!」ああ楽しかった

キャリー・マリガン;デイジーについて。好き!好き好き好き!で、やっぱお前はクズ!葬式は来いよ!ばーか!でも好き!

トム、もう顔もみたくないマジで

エドガー嬢。実はこれが一番のヒットだったりする。原作からの端折りで唯一気に入らなかったのはエドガー嬢とニックのいちゃいちゃがなかったところ。葬式に親父こないとかはもういいとして、あのエドガー嬢とニックの絡みがみたかった。死ぬほどみたかった。190cmくらいあるの?


おっけー
もう言い残すことないわおやすみ
「セレステ∞ジェシー」をみた件をつぶやこうと思ったんだけど、ちょっと文字数が足りないのでこっちで話しますね。足りないのは文字数であって僕の頭ではないですよね

 話の内容は・・・

セレステ&ジェシー「うちら超仲良し! キャッキャ( ´∀`)人(´∀` )ウフフ」

友人「ねぇ・・マジでやめてくれない?」

セレステ&ジェシー「え?なんで怒ってるの? ナンデ?( ゚д゚)(;゚д゚)カオ コワイヨ」

友人「離婚調停中で半年前から別居中なのになんでそんなに仲いいのよ!?信じられない!」

セレステ&ジェシー「いや、親友だしねー (○´∀`人´∀`○)ネー」


からの・・・


ジェシー「3ヶ月前にヤった女にガキできたから離婚の手続き早く進めようぜ」

セレステ「ちょ・・・え?え?ちょ・・・え?うん・・え?」

ジェシー「子供ができたんだ」

セレステ「あ、うん。え?」

ジェシー「子供ができたんだ」

セレステ「え、うん。え?」

ジェシー「子供ができたんだ・・・」

正確な抜粋ではないんですけど、このジェシーが「子供ができたんだ」を3回繰り返すところが刺さった。もうこのときジェシー的にそれ以外に言えることがなくて、ということがほんとにつらかった

この映画、基本的にセレステ目線で物語られていくので(「全米の女性から圧倒的な共感を呼び、わずか4館の限定公開から586館までの拡大公開を成し遂げた、新たなるラブストーリーの傑作!!」by公式サイト)、あんまりジェシー側の気持ちが描かれなくて、男としてはすげぇ弁明したい気持ちに駆られるんです。「こっちはもうパパスイッチonなんで」という大義名分を背負ったらもう戻れねぇんだよ!!もう、戻れねぇんだよおおおおおおおお!!

ごめんなさいちょっと走りすぎましたねなにかが。セレステはバリバリのキャリアウーマン的な女性、ジェシーは売れないイラストレーターでちょっと家庭的な男性。ジェンダー的な逆転構造なんですよね。まぁ悪く言うとジェシーは「ヒモ」と評されても仕方がないんですね。これは後半に明らかになるんですけど、セレステはまぁキャリアウーマンのステレオタイプというか基本設定というか、要するに「自分のこと頭いいと思ってるからほかの生き方を許容できなくて夫にさえそういう生き方を押し付けて『私のこの高みまでのぼってこい。それまでは子供はつくらん。てめぇに父親になる資格はねぇ』」みたいな高慢な人間なんですなー(なぜか書いてて心が痛い)

セレステ「応援してあげてたじゃない!生活費も出してあげてたじゃない!」

というジェシーが「もう戻れない宣言」をした後のセレステの心を搾るようにして吐き出した最後の同情を誘おうという目論みの悪意の発露のシーンね!ここ!これがもうほんとうに正視に耐えぬ!だからダメなんだろうが!だからダメなんだろうが!

で、セレステはそういう高慢さでいたので、ちょっとここからは僕の推測なんですけど、「てめぇが私に匹敵するとまでは言わぬがそれ相応の社会的地位と経済的基盤ができるまで一回離婚しとこうか。それが父親の資格じゃね?てめぇが大人として一人前になれたら元サヤに戻って子供ほしいな・・・」という理論でセレステ側から離婚を切り出したのではないか、と思うんです。そう考えたら、「違う女とガキできちったテヘヘ」と言われたときのセレステの絶望の深さたるや!自業自得だけどかわいそう!ほんとうにかわいそう!「I dreamed a dream」を歌ってもいいよ!

まぁいろいろあって、セレステは自分の態度が間違っていたことに気づいて少し成長するんですけど、結果としては離婚はするんですね。でも、それはなんかオッケー。ラストの

ジェシー「愛してる」

セレステ「(去っていくジェシーの背中に聞こえないくらいの声で)・・・私も」

というところはもうほんとうにつらくて喀血しかねんレベルだったんですけど、ですけど、ですけど


というか、そもそも、なんでセレステはジェシーと結婚したのさ!と言いたくもなるんですね

サルトル的に言えば「友情は愛情に先立つ」だったのか、あるいはその逆なのか、とにかく「さき勃つ」だったのか・・・

親友は夫婦になれるか、なれるとは思う

夫婦でも親友たり得るか、これは難しいと思う。という話なんですねー

親友の理論と夫婦の理論が対立し合うとき、この映画で言えば、夢を追いかけるあなたが好き・以心伝心・笑いのツボもいっしょ と 子供を育てていっしょに生きること が天秤にかけられてしまうとき、そのときほんとうに二人は試されるーーー二人でいることの「心地よさ」か「確かさ」かーーー

両立できる道もあったのでは?と思う僕はやはりまだまだ人生というものが理解できていないのでしょうか


独身男性でここまでこの映画に感情移入できるのは僕みたいに「なんでもかんでもiTunesとiPodよろしく同期してしまう」という共感というスキル a.k.a 没入という悪癖を持つ少数のかわいそうなひとたちだけだと思うので、ジェシーサイドの弁明をします!

と思ったけどなにも思いつかない!

ごめんねセレステ!
僕は基本的に世界のいい面しか見えないようにセットされているハッピー野郎です
でも、たとえば、純然たる悪意というのは存在するじゃないですか。それは存在してはいると思うんです。「どう考えたって悪いこと」というのは僕にもわかってはいます。が、それは精神分析学的な背景を基礎とした、しかし、あるいは、そして、精神力動学的な可動態して在ると思っています。小難しい漢字が並んだので、簡単にそして極論でいうと、

「あのクソ野郎は今んところ万死に値するが、やつにはやつなりの「事情」があるだろうから仕方なしとする!いつかきっといいやつになるかもわからんし、その可能性を信じてる!だから許す!」

というね!うるさいですか!?僕の圧を感じますかぁー!!!


さっさと本題に入りますね
でもね、たとえば語られてしまった物語はそれ自体として完了してるわけですね。静態的な在り方ですね。物語として心停止してるわけです。でも、わたしたちは、他人の死から学ぶことができます。違いますか?あなたはあなたの大切なだれかの死を受けて、なにも変われませんでしたか?
同様に、物語が静態から動態へ息を吹き返すときがある。それは、物語を語られたひとのn



もういっか
さっきまでの話は「あんまり批判的なことを言いたくない」ということにたどり着きたかったんだけど、めんどくさくなっちゃった
でね、「オブリビオン」なんですけど、トム・クルーズが収集してる古書のなかに、ご丁寧に字幕まで出る本があるんです

「二都物語」

話の内容はググってもらうとして、おれが超好きなのね。「二人の男に思われている一人の女」「男のうちひとり(主人公:ヒーロー)が、好きな女のために自己犠牲的選択するっていうか死ぬ」というのが「オブリビオン」と「二都物語」で相互対応にある構造なんだろうけど、それはわかるんだけどさ、それはわかるんだけどさ、それはわかるんだけどさ!それはわかるんだけどさぁ!

とりあえず深夜勤いってくるね!
iPhoneからの投稿
「オブリビオン」は昨日みにいきまして、今日はSさんと「きっと、うまくいく」をみにいきました
両方とも、というか、最近はほんとうに夜勤続きでほんとうになにかが麻痺してしまっているんですよね、という身体状況で鑑賞したんですね。たぶん、「専門機関を受診」すべきレベルなんだと思います。脳内が真空状態というか、感情が平板化してるというか・・・

「きっと、うまくいく」ね

もう、ほんとうに、よすぎて、語るべきところが、ない

鑑賞後は川崎のフレッシュネスバーガーで放心でした

たぶん、今年一番なんじゃないかなってのは「加奈子」のときにいったけど、じゃあ「加奈子」は2位で

ほんとうに楽しくて、ほんとうに悲しくて、ほんとうにあっという間の170分でした
もちろんサントラを速攻ダウンロードしました

「きっと、うまくいく」は見に行った方がいいです
なぜなら、ほんとうに最高の映画だからです

以上です
今回の記事が短いのは「オブリビオン」でしゃべりすぎてしまったせいです

ちなみに、「オブリビオン」はですね

あ、もういいですか?

まぁまぁ

「オブリビオン」はですね、エンドロールの曲がマジで本当にいいです
ちょっと押し付けがましいのは覚悟でyoutubeをみてください

このSusanne Sundførっていう歌手はまったく知らなかったんですけど、エンドロールでこの曲が流れてきて想起されたのは、アデル「skyfall」、あとはFlorence + The Machineですね

ちょっとCDをamazonで取り寄せます

あと「オブリビオン」つながりで、もうひとつyoutube、とその曲を聴いていたときの6年前の僕




好きなことを好きなだけ好きなようにしゃべるのってほんと気持ちいいわ!
きいてくれてありがとアロエリーナ!
※今回の記事はわかりづらいかと思いますが「オブリビオン」の感想をしゃべっています
※記事後半でネタバレするので、まだみてないひとはみないほうがいいです
※まぁぶっちゃけ大したネタでもないのでバレてもいいとは思います

天中殺に突入して40時間が経過しました
6月1日0:00になったのは、深夜勤務中だったんですけど、「あ、これはマジで天中殺なんだな。天中殺の「天」っていうのは=宇宙=無重力=抗重力が機能しない状況=努力ややる気や強みとかの宿命(=人生生理学的万有引力および遠心力になされるがままになっている)に立ち向かう力が無効化する状況なんだな。そうなんだな。そうなんだね・・・・」と感じざるをえない状況の連続だったと僕には思えて、それを占い師に言われたこととそれを信じてしまう僕のinnocentから心理学的に分析される覚悟はできてはいるはいるんですけど、それならこっちはこっちで東洋的な知で対抗する準備もできてはいるわけなんです

というのをもってして「オブリビオン」の感想とかえさせてもらってもいいっちゃいいんですよね

この人間世界の全体か、ハリウッドか、映画界か、僕の潜在意識か、どれかわわかりませんが、どこかに「輪廻転生」という東洋的死生観の潮流が確かに流れているのは否定しがたいとは思うんです

「クラウド・アトラス」「桜、ふたたびの加奈子」、そして「オブリビオン」

どれも視点は違えどそのパースペクティブに「輪廻転生」があるというのは否定しがたいというのと、いま「パースペクティブ」っていうことばを使って想起したのがニーチェであるという僕の意識と、僕が大学卒業時点でたどり着いて今思い返してことばにすることも死ぬほど恥ずかしい例の「21世紀、ひとは再び精神に巻き帰る」という青い理論と、西洋哲学かぶれである僕の青年期前期のカウンターとしての東洋思想への無知さ(遠藤泰respect)と、日本人であるというどうにもできないアイデンティティーと・・・・枚挙に遑(=いとま。この漢字なのは初めて知った)がないんですけど、そういった意味では「オブリビオン」は、現状、僕にとってなにかしらの示唆をアレしている映画だったとこれまた言わざるを得ないんですね

で、「オブリビオン」ね

まずネタバレなしにいくと、映像がすばらしい!
ディストピアSFの描き方としては、「人類がいなくなったあとの地球」描写として新鮮さには欠けるということは言えるっちゃ言えると思うんですけど、そこの新鮮さはもう2013年現在では飽和状況と言わざるを得ないというか、そこを期待して批判的になるのは間違った見方だと思うんです。と思ったけど、それは期待せざるを得ないというか、それこそがSF映画の役割のひとつであったりもするので、やっぱそういう期待をもった見方も間違いではないです。なにそれ。で、それでもすばらしいと言わざるを得ないのは、映像技術がやっぱり進歩しているからなんですかね。なので、National Geographicをみるような感覚でいくと満足できます。「ライフ・オブ・パイ」の映像美のようなよさはあります。これは確実にあります。なので、美しい自然の映像をみたいひとはみたほうがいいです。「手つかずの自然」の逆、「手をつけるところまでつけられてしまってもなお残る自然の美しさ」を味わいたい人にはおすすめです。

ということで、「オブリビオン」は「人類滅亡後に地球外生命体が監修したUniversal Cosmographicの『特集;地球』」でした

と、ここまでネタバレなしの感想をしゃべったので、以下ネタバレ含む感想をしゃべります






「スカヴって人間だったの!?」
「お前おれの妻だったんかーい!」
「え、おれってクローンだったの!?」
「で、おれがっつーかおれらが地球をこんなにしたの!?」
「記憶消されてたのは利用されるためだったんかーい!」
「睡眠室を切り離したのは英断だったんだね!よかったー」
などが今回の明かされていくネタというか、トム・クルーズ扮するジャック・ハーパーが直面していく真実なんですけど、「ですよねー!(満面の笑み)」というのが僕の感想です。好きです!いい意味で予想を裏切らない!「そうそうこの味が食べたかったんだよねー」というような好意は抱けました。だから、ストーリーの方も満足!好き!好き好き!ハーゲンダッツとかうまい棒とかチロルチョコとかさ、新しい味が出たらとりあえず食うじゃん?で、まぁ好きなわけだけど、三食それだけだったらさすがにね、でも嫌いじゃないわけで。そんな感じ。

モーガン・フリーマン「実はあたしでしたー☆」
には「それはマジだまされたわー(サリーに同情)」と思ったし、「あ、だから入れたんだ。で、入れたサリーはサリーでお前もモーガン・フリーマンがトム・クルーズに期待したところの「本当の君」が出ちゃったんじゃないの?(ニヤニヤ)」と思ったり。

・「effective team」
フレーズが好き

・エンパイア・ステートビル使い
「猿の惑星」+「めぐり逢えたら」ですね。好きです。

・ハルマゲドン的自爆
やったー!!としか言えない(いい意味で

・バブルシップ
タワーからの出発の仕方が「背面から自由落下」っていえばいいんですかね。美しい・・・

・ドローン
「WALL-E」が好きなので、ああいう白い球体の人工知能マシーンというだけでノックアウトされちゃう。おまけにしゃべり声みたいな電子音がもうほんとうに「WALL-E」で愛おしい。地下に助けにきたときは本当にうれしかった。後半、敵になっちゃうときも「お前は操られているだけなんだな・・・」と切なさで胸が苦しかった

・古典文学使い
ああそうさ!温故知新!クラシックこそが真実のことばなのさ!くだばれ新刊!(爆弾のスイッチをモーガン・フリーマンと押す気持ちで

あの「絵」
「クリスティーヌの世界」っていう絵だということは知らなかったけど、テーマとしての完璧さね。あの絵ほしいわ。そんな気持ちになりたくないけど

ということで、全部好きね
ストーリーの整合性のほころびにツッコミを入れたい部分はあるけど、そういうところは「オブリビオン」していただいて。僕は世の中のいい部分しか見えない人間なんですいません

だが!
最後の最後!
ジュリアとジャックのこどもがいつできたんだよ!っていうのはオブリビオンするとしても!
52番!てめぇは49番ではないじゃない!
ジュリア!52番は49番ではないぞ!おい!「帰ってきたのね・・・」的な表情をやめい!
と、反応的に思ってぶちこわしにされたような気分だったんですけど、そこは「クラウド・アトラス」後の僕ですから。なんならジュリアもジャックも「クラウド・アトラス」は鑑賞済みで、輪廻転生的死生観はインストール済みなわけだから、そういうツッコミは成立しないわけなんですよね。だから、オッケー(ローラ的な陽気さで


去年は「桐島、部活辞めるってよ」以降の時代というような認識を抱いて、今年は「クラウド・アトラス」以降の時代ということなんですね(瞳孔開きめで
3連休だったんですよね
この連休、本当は第35回国際ヒューマンケアリング学会に行きたくてとった連休だったんですけど、PICU勤務で疲弊していたのとなんか参加方法がいつまでも明らかにならないので、ほんとはめんどくさくなっちゃってやめました

で、day1は最近の勤務の復習をして、「建築学概論」をみにいって、一ヶ月ぶりにがっつり筋トレをして、と充実した一日を送りました

昨日のday2は久々にSと一日過ごしまして、がんばる彼女の姿にすごく励まされました
と、同時進行で僕は僕の勉強をして、と、同時進行で「グレート・ギャツビー」を10年ぶりに再読し、

day3、休日出勤するSを見送った後、「グレート・ギャツビー」を読み終えました


ということで、もうお分かりの通り、今日話したいのは「グレート・ギャツビー」です
ぶっちゃけ「建築学概論」についても話したくて死にそうなんですけど、とりあえず「みにいくと成長できる映画だから四の五の言わずにみにいきやがれ」とだけいっておきます

「グレート・ギャツビー」
僕が初めて読んだのはたぶん高校の頃、うちにあった「世界文学全集」のひとつだったのか、あるいは大学に入ってからか、もうなんかあんまりおもいだせない
なぜいまこのPICU異動一ヶ月の時点で勉強しないといけないことがクソみたいにある現状があるにもかかわらずこの貴重な連休を「グレート・ギャツビー」再読にあててしまったのかと申しますと、話が長くなるので簡潔にいくね!

①僕の母がジェーン・オースティン好き

僕も好き

プライドと偏見」好き

②SF好き and 医療者

わたしを離さないで」好き(映画化にあたってSを無理矢理連れて行くほど好き。映画はまぁまぁっていうかラストは気に入らない)

キャリー・マリガンってよくね?

キャリー・マリガン祭り開催;出演作どれも好きだけど特に「17歳の肖像」かなー(やっさんに推された気がする)

①にもどる

キーラ・ナイトレイって西洋時代劇(?)女優になっていくのでは・・・!?

②にもどる

キャリー・マリガンももしかして西洋時代劇女優になっていくのでは・・・!?

で、来月「グレート・ギャツビー」公開なんですねー
たぶん「クラウド・アトラス」を京都でみたときに予告をみて完全にロックされた気がする



と、なんで僕の頭の中をあんたらと共有しないといけないのかわからないんだけど、このブログの一番熱心な読者は僕自身だからなんですねー

という狂気じみた告白はさておいて、「グレート・ギャツビー」
再読する24時間前に中野坂上の本屋で文庫を買ったときには「たしかなんかすげぇ切ない話だった気がする」「『冷血』『ティファニーで朝食を』『レベッカ』がなんかわかなんいけど思い出される」というくらいのイメージしかなくて。それでも「グレート・ギャツビー」ということばから想起される「ただごとではない切なさ」だけは覚えていて。そんな感じでした

で、むさぼるように読んで

今回感じたのは、語り手のニックへの共感というか、なんなら「ニックはおれ!」みたいな
たぶんニックにstrength finderをやらせたら、「包含」がヒットするはず

引用したいところが多すぎて付箋がマクドナルドのポテトみたいになってるんですけど、「包含」持ち(かんしゃく持ちみたいな悪いニュアンス)の人間からすると、最後にトムと会って

「———なにもかもが実に不注意で混乱している。彼らは不注意な人間なのだ———トムも、デイズィも———品物でも人間でもを、めちゃめちゃにしておきながら、自分たちは、すっと、金だか、あきれるほどの不注意だか、その他なんだか知らないが、とにかく二人を結びつけているものの中に退却してしてしまって、自分たちのしでかしたごちゃごちゃの後片付けは他人にさせる・・・」

いやまぁそこまでは言わないけどね、言ってくれてありがとう!みたいな気分ッス!

あとはねーもういっか

じゃあまた


けっこう久々になっちゃいましたね
ちょっとした事実の確認なんですけど、12日間に深夜勤が6回あるのって出るとこ出ればアレなんですかね?
思考の全体に薄ぼんやりした膜が張られているような気分が持続していましてヤバいのかなこれ

仕事の話してもいい?
ダメ?

じゃあアレね、ディズニー祭りの続きするね

「チキン・リトル」
好きですよ

「レミーのおいしいレストラン」
好きですよ

「トイ・ストーリー」
好きですよ

「トイ・ストーリー2」
嫌いじゃないですよ

「トイ・ストーリー3」
もはや質というか規模というか、深みというか幅というか、芸術というかエンターテイメントというか、この作品を語るにはちょっと別の次元を用意しなければならないというニュアンスを伝えたかったので、上記の3作品のことはたしかに今まで通りそれぞれに語るべきことの多い作品だったんですけどそんなテンションでお送りしました。「トイ・ストーリー3」ちょっと待ってくれよっていう感じですね。ちょっと待ってくれ待ってくれ。これはもう超えられない壁というか、CGアニメーション技術で語りうる物語の飽和点を作ってしまったのではないか。好きなシーンがありすぎて困りすぎているんですが、これね、昨日アマゾンから「トイ・ストーリー・トリロジーセット(DVD)」として届いてぶっ続けで3作品観たんですけど、これをトリロジーとしてみると、「おもちゃたちがおもちゃたちたることを受け入れる話」としてパッケージングされるんですね。で、この環が閉じる瞬間というのが「無限の彼方へさぁいくぞ」からの「無限の彼方から戻ってくる(「3」でバズがスペイン語バージョンから復帰するシーン)」だと思うんです。自分探しってあるじゃないですか。アイデンティティー探しね。大人なら知ってることなんですけど、その自分ってすでにそこにいるじゃないですか。存在論的に不可避な実存への投企っていうとわかりづらくなるから避けるけど、「てめぇがどうしようもなくクソで惨めでかわいそうで愛おしいてめぇを受け入れること」じゃないですか自分探しって。それってそういうとき(~20代前半とか)はわからなくて。だからbeyond infinityに思えるんですよね。「無限の彼方」っていうのは、自己と実存の距離なんじゃないかな。それって「我と汝」にという他者関係として語り直すと、、、、となるともう長くなってしまったのでありがとうございましたおつかれさまでーす

と思ったけどちょっと待て
「トイ・ストーリー3」の特典映像としてついてる(劇場では本編前に上映された)短編映画の「デイ・アンド・ナイト」について言及しないといけなかった
これは、もうみてください
5分57秒なんで、ほんとみてください
正直、この「デイ・アンド・ナイト」をもってして、僕がこのディズニー映画祭りでたどり着きたかったなにかにたどり着いた気がするんですね

なんで、ディズニー映画祭りは終わりね

またなにかしゃべりたいことあったらしゃべりにくるから、それまではお互いクソみたいにつらくてむなしい孤独なこの世界でこっそりとしかし確かに生きていこう
お兄さんとの約束だぞ
4月からPICUに異動になり客観的には5月病あるいは燃え尽き症候群発症の高リスク群に分類される状況におかれながらも「やる気スイッチ(職場では蔑称)」を連打して燃え上がり症候群になっている27歳がたまりにたまった洗濯物を洗濯している暇を活用するために自由連想法を取り入れながらも社会的分別のある文章を作成しようと努力する一つの訓練の経過として公表しているブログをお探しの方はここがあなたの探し物

洗濯機が止まるまでに話をまとめないといけないという時間制限を設けることで時間を有効活用しています

今日のメニュー
①ディズニー祭り「バグズ・ライフ」「ルイスと未来泥棒」
②手相を見てもらうことにした


「バグズ・ライフ」ロジカルな娘が好き The road less traveled-バグズライフ
アリどもによる「look down」byレミゼ

すごい好きな話でした!
アリと勇敢な戦士たち a.k.a サーカスの仲間たちによるいい意味での「look down」シーンを含む鳥作戦の準備シークエンスがほんとうに多幸感のある描写で、「チームってやっぱいいよね!」という感じ

「ルイスと未来泥棒」
タイムトラベルものなのでその時点で好き!「時空連続体」という言葉だけで勃起できるって書こうとしたけど今年は世間体を気にするというのが今年の目標なのでやめました。タイムとラベルものっていうのは、完全なものはないんですよね。どこか矛盾が出てくる。「LOOPER」でも「細かいことは気にするな!」と登場人物自身に言わせることで、「もうそれはしょうがないとしてさ」とタイムトラベルそれ自体に関してはアポケーしておくのが大人ってやつで。ということは、タイムトラベルものに大切なことは、タイムトラベルに関する理論上の矛盾をカバーするほどの物語のおもしろさだと思うんです。「ルイスと未来泥棒」では、これを物語のテンポというかペースというか、bpmを200くらいまであげにあげて中盤までもっていく。ウィルバーの家族紹介シークエンスでbpmが絶頂に達するんだけど、それまでにタイムトラベルにあたっての設定確認をうまーく処理してる。というか、疑問を抱かせないようにしている。未来の世界を物語的にはじめて登場させるところ、「はい、この話はタイムトラベルものなんですけど、今回はこの程度の未来の水準でいきまーす。ではご覧ください」のところね。この未来世界がすごく住んでみたい!軽やかさと鮮やかさ。これで「便利さを洗濯することで犠牲にするなにかがあるんじゃね?」みたいな猜疑心を抱かせずに物語をもっていく。ここは見事でしたね。なんかあんまり評価が高くない作品みたいなんだけど、全然よかったけどなー
伏線の張り方と収集の仕方もビルドゥングスロマンとしても一定の水準はあるし、超好きですよ
タイムトラベルものの水準の及第点は「もういちど鑑賞してみたいか」ということにあると僕は思っているんですけど、要するに伏線を自分で回収してみたいかというか。それがあるから、うん。いいよ。これ、想えば想うほど対象への好きドライブがかかる例のパターンだよこれ!恋だよ恋!

次は「チキン・リトル」「レミーのおいしいレストラン」「Mr.インクレディブル」
で、「トイ・ストーリー・トリロジー」
これでジョン・ラセター以降のディズニー・ピクサーはコンプリートかなー


で、手相ね
僕は右手に「ますかけ線」ってのがあるんです
左右に横断する線ね
これがあると「成功する人間」みたいなことを小学生の僕は思っていてですね、それ以降「おれは成功するために選ばれた人間なんだ!いやいやおまえはクズだゴミだ無能なハゲだ!」と葛藤してきて、まぁ現状ひとつも成功してないですし、今後もその予感すらしないので、1回すっきりしたいなと思ってたところ(20年間くらい)、昨日「あまのさーんわたし占いいってきたんですよぉー」という話で盛り上がりまして。僕としては「Uranai?」と耳慣れない言葉だったんですけど、女の人ってみんないったことあるんですね!じゃあ僕もいかなきゃ!

次回は手相にいってきた結果を発表します
「Who is John Galt?」

この問いから想起される切なさと憧憬と勇気と矜持を語るには、確かに今が適切な時間ではないことは承知の上で、深夜勤務と深夜勤務の間(看護師業界では「谷間」という。ちょっとHなニュアンスですね)のこの時間に筆を執ったわけをまず説明させていただくとしてですね

深夜勤務ってのはうちの病院では8:00に終了するんですけど、だいたいそれから休憩室でしゃべってダラダラ病院を出るので、まぁ寄って帰れる店はないですよだってお店って10:00開店じゃん?

ということで、こうして喫茶店で時間をすりつぶしてるんですけど、えーとね、とりいそぎディズニー祭りの続きからアレすると

「ボルト」
僕ね、「猫派か犬派かという問いで限りある資源を有効に使うためにとりいそぎ人類を半分にするからどっちか選べ」って統一国家主席からお達しが来たとしたら猫派を選んだ結果「今後別の惑星を地球化するまでのあいだ有限な資源を使う権利のある人間は・・・『犬派』を選んだ諸君だおめでとう!」というラジオ放送とともに自ら選びまた選ばれた側でもある猫(当然マッドサイエンティストによって凶暴化済み)に食い殺されることになったとしても、そんなに後悔の念に駆られたりはしないという程度に猫派なんですよね
というのも、思春期だったころ家の近くのグラウンドでひとりでシャトルランをしてたときに野良犬に追いかけられてという私恩なんですけどね
そんな猫まっしぐらな僕が「犬ってかわいくていいね!」という感想を抱き得る程度に犬がかわいく描かれている!というのがまずありますよねー
いぬってかわいい!
あとハムスターもかわいい!

で、やはりいつか物語学を学ぶ未来の僕のために残しておかなければならないメモとして言及しておくけど、この「ボルト」、唯一だと思っていた物語=人生or自分の存在理由のなかに生きていた主人公が俯瞰図を見せ付けられてそれを受け入れてなおそれでもfirst storyの姿を保つ or なんならブラッシュ・アップされるという構造なんですね
あの猫の野郎(メスだけど)のジェラス的発散からボルトは自分が「自分のこれまでの人生(犬生だけど)が他人によって用意された舞台で演じることを強いられていただけ」を叩き付けるシーンが印象に残っているのはまた別の話なんだけど、その気持ちわからいでもない!わからいでもないが!しかし!やっていいこととわるいことってあるだろうが!(猫の野郎と過去の自分へのメッセージ
スーパーボイスはスーパーボイスだったんだ!というオチにはやったー!&ですよねー!!!!

次は「バグズ・ライフ」



で、「Who is john Galt?」話ね
これは、「Atlas Shrugged(邦題:肩をすくめるアトラス)」という小説に出てくる台詞です
で、「Atlas Shrugged」というのは、アイン・ランドというひとが書いた、20世紀のアメリカ人が聖書に次いで影響を受けた本です(1991年にアメリカの議会図書館が行った調査による
僕ランキングでは、2012年に読んだ本でよかった本ランキング(心底どうでもいいランキングですね!)第一位、27年間で読んだ本でよかった本ランキングでは20位くらいです
で、この小説の内容は読んでいただくとして、映画化されてるんですよね
で、まだ日本公開はされてないんですね
で、非常に長いお話なので、パート3まで映画化されるみたいなんですね
で、僕はそれを知らなくて、パート2で終わる映画だと思ってたんですね
で、パート1とパート2をamazonで注文したんですね
で、パート2が2枚届いたんですね
で、確認したらパート2を2枚注文しててパート1を注文し忘れてたんですね
パート1は先ほど注文したんで現状パート2しか手元にないんですね
で、まぁパート1の到着を待たずに観るじゃないですかそれは
だって話はわかってるわけだしボクは待てない病のひとだし
で、まぁさっきちょっとだけ観たんですけど、いやもちろん米国版なんで英語音声の英語字幕なんでぶっちゃけなくてもよくわからないんですけどね

これがもうほんとうにクオリティが低そうな感じなの!
でも原作に忠実そうな感じなの!

原作に忠実なのに映画としての質は高そうじゃないという切なさ!

リアーデンメタルのブレスレット!
たしかに原作にちゅうじつぅー!
でもやすっぽぉーい!


冒頭の『「Who is John Galt?」この問いから想起される切なさと憧憬と勇気と矜持』については小説を読んでください
もし僕に大学3年生の弟ないし妹がいるとして「ねぇ、就活もなんか決まっちゃったしやることないからなんか本貸してくれない?」って聞かれたら
「え、長いやつでもいいの?」
「いいよ。このドストなんとかーのなんとかゾフの兄弟でいっか有名そうだし」
「まぁそう急くなよ。ロシアとかいいから。いま読むべきなのはこれ、肩をすくめるアトラス」
「あ、そうなの?聞いたことないけど。これは?ユリシーズ?これは?失われた時を求めて?超ながそーウケるwこれにするわw」
「いや、それはおれもまだ読んでないから!それ読んだことある知り合いは高校時代の部活のキャプテンしかいないから読まなくてだいじょうぶ!」
「えーでも有名じゃない?」
「そうだけど、そうだけどおれも読んでないからお前も読むな!」
「なにそのかっこわるい理屈!ダセぇw」
「とりあえず肩をすくめるアトラスを読め!読んだら1万あげるから!」
「え!マジ!?じゃあ読むー」

という
と、言う!


リアーデンメタルのブレスレット、小説読んでるときは「なにそれ超ほしい!」と思ってたけど実写化されると「だっせぇ」