子供たち学校はじまったし、旦那の休みがあったし、ゲームも始めてしまったし(苦笑)。
毎日充実してるワタクシでございます。
だいぶんメンタル回復してきた。
あ、これは、岡田くんとかのことでありません、自分のこと。
ちょっと仕事の負担を感じちゃって、精神的に昨年の秋から疲弊していたのです。
まったく生活に支障はない。
けれども、このままのペースで仕事すると、ちょっと鬱になるかもな?
なんて感じて。
それまで何気なくやれてたことにすごく負担を感じる。
日常が楽しくなくなる。
疲れやすい。
何をしたら自分が一番楽しいか訳が分からなくなる。
要は、根本の気晴らしができなくなる。
この、「根本の気晴らし」っていうのが、自分だけのことなので、これができなくなったからといって、一般的に病んだとは言わないんだけど、自分的には生きてる意味が半減するというか…。
子育てが終わった後、どうしたらいいかわからなくなりそうだなぁ、という。
うーん、創作意欲のようなもの?
そういうものの枯渇を感じていたので、秋からずっと、自分的静養をしていたんです。
必要最低限以上の創作活動に関わらない。
描きたいものがわからないので、無理に絵を描かない。
腕がなまるので、仕事と、必要最低限の練習絵だけ。
下書きなしで絵を描いてみたり。
で、ようやく少し、回復の手ごたえを自分の中に感じてきたわけ。
ほんとに、自分だけの中の葛藤で、周りには全く分からないことなんだけど、ようやく自分的には落ち着いてきたというか。
なんなんでしょうね、こういうの(笑)
さて、1/7、正月最後の日、という感覚の日、地元の神社に初詣に行き、正月飾りを納めてきました。
ちゃんとそこは、おさめる社とかあんのね。立派な屋根のついた置く場所。
実家のほうの神社では大きな穴掘って、結界はって、常に燃やしてる感じなので、神社によっていろいろ違うんだなァ。
今住んでるところは、どんど焼き、とかあるんですが、実家ではなかった。
実家の神社には一日に初詣してきました。
たまに大みそかから徹夜で並ぶと、つきたてのお餅を配ってもらえます。
そういや、実家のおさめるところには、書籍などはお断り、って立て札が立ててあった。
私も一役買ってるかもしれない(^^;)。
二十代のころかな、たくさん集めてた心霊関係の本をいっぱい奉納しちゃったから…(苦笑)。
あんまり怖すぎて奉納できなかった本が数冊、今本棚に入ってます。
なにが怖いって、何を思ったか、先日、一番怖かった話がどこに入ってるか、目次をチェックしたのね。(本編は怖くて読めない)
そしたら、それがどこにもなかったこと!
なんで?
記憶違いか…。
でも、確かに、あの話が怖くて、このシリーズは燃やせなかったはずなのに…(^^;)。
そして、また、山に関する怪談を集め始めているワタクシなのであった。
やめておけ、と思うのに、怖いもの見たさは一生治らないらしい。
1/7の読売新聞「よみうり堂」。
たびたびこのブログで紹介している本の紹介欄ですが。
今回目にとまったのは「138億年宇宙の旅」。
クリストフ・ガルファール著。塩原通緒訳。紹介者は登山家服部文祥。
人類史であろうと生物の進化の歴史であろうと、宇宙の歴史であろうと、歴史に関しては知りたい欲が止まらない。
日進月歩で、読むたびに変わっていく人類の宇宙観を知りたい。
こういう本を読みたいとき、思い出すのが手塚治虫の火の鳥。
小学生の時の愛読書だったけと、小さくても大きくても、同じ世界のマトリョーシカになってるって解釈が面白かった。
太陽系も原子構造も、核の周りを廻っていて、どんな極小の世界も極大の世界も構造が変わらないって解釈があって。
手塚治虫が設定したアトム誕生の年はすぎちゃったけど、実現してないのはひょっとして、宙に浮く車とアトム自身だけ。
車はリニアで実現の兆しがあるし、アトムは、ロボットの二足歩行が可能となり、自ら考えるAIが夜明けを迎えたことで不可能な存在じゃなくなったかも。
しかし怖いのが、この自ら考えるAI。
市民権も持つという「ソフィア」というAIがいますが、その合理的思考。
さらりと「人類を滅亡させます」と言い放ってみたり。
今は人類と仲良くする、好きよ、といってるみたいだけど、本当か…?(苦笑)
アイザック・アシモフが設定した「ロボット三原則」、すなわち、
人間への安全性、命令への服従、自己防衛が適用されるべきだと思う。
この先、アンドロイドがたくさん作られることになったりしても、意思は持たせるべきでないような気がする~。
生身の人間が生き残ろうとするなら。
うーん、けど、もし人類が自然に滅んじゃって、アンドロイドがそのあと隆盛を迎えるようなSF的展開が歴史で紡がれたなら、それって、人類が進化したことになったりするのかな?
人間よりはるかに身体能力が高く、過酷な環境で行動することができ、人間の思考を受け継いでいたのなら。
でも、生き物の限界と、機械の限界は違うものだと思うんだよね。
映画「ジュラシックパーク」では、メスだかオスだかしかいない施設にして繁殖させない、という計算で恐竜を管理したのに、勝手に性転換して生殖を始めるように、生物が生き延びる力は驚異的。
いかに知識を蓄積しようと、人間にインプットされた機械にそれが越えられるのかな。
大いに興味がある(^^)。
人間という生き物は、いかに不条理に不便に思えても、実は一番効率の良い構造をしているんじゃないか。人間という生き物としては。
それから興味を引いた本が二冊。
オリラジの中田著。「天才の証明」。
紹介者は経済学者の坂井豊貴。
こないだ本屋で見かけたけど(^^;)。
天才ってのは、例えばオリラジのコンビで言えば、藤森のような人であると説いているらしい。
彼は、中田の設定した世界観に抵抗も覚えず、不平も疑問も一切持たず、「言われたことを全うする」のが非常に得意な人であるとのこと。それが特殊な才能だと。
これ、ちょっと岡田くんも当てはまるなぁ、と思うんだけど。
天才とは、自分の才能と相性のいい環境で能力を発揮する人。
この本では、成功の本質とは、自分の個性が生きる環境に出会うことであると説いている。
なるほど。
中田君の考えはよくわかった。なかなか面白そう。
そして、「裏切られた自由」。
ハーバート・フーバー著。渡辺惣樹訳。紹介者は政治史学者奈良岡聰智。
第二次世界大戦に参戦したルーズベルトを徹底批判しているらしい。
いわゆる歴史修正主義とアメリカで言われている本の代表だけど、日本側から見れば納得の記述が多そう。特に、日米開戦はアメリカの挑発によって引き起こされたというのは、日本の真珠湾攻撃による奇襲説が発端ととらえる従来の定説より説得力があると思う。
ただし、この本は、本来ルーズベルトの政敵が書いたものなので、独りよがりの著述も多いようで気をつけないと。
しかも、この本は、本国でそれほと取り上げられていないマイナーな本のよう。
めっちゃ分厚い本二冊組なので、いずれ腕まくりして目を通してみようかな、と思う(笑)。