こないだのGrowingReedは「和楽」の編集長がゲストでしたね。

見たいと思いつつ、お高いので見れてない「和楽」。

たまには奮発して読んでみようかな(^^)。

 

お話の中で高木さんが縄文土器にハマっている、という話が出てきましたが、

日本の歴史を語るうえで、私も最近、この縄文という時代は避けて通れないな、なんて感じています。

土器の形でもわかるように、縄文という時代と弥生という時代にはかなり違いがあるように感じますよね。

遺伝子解明が進んでいる昨今からすると、縄文人と弥生人の間には少し乖離がある。

主に北方や南方から、氷河期に陸続きになっていた日本列島に流れ込んだ縄文人の始祖。

氷河期が終わったのが今から一万年ほど前らしいですから、縄文時代のはじまりとされる一万あまり前ってさむーい時代だったのでしょうねぇ。

で、大陸から数千年前に再び大陸系の人々が日本にわたり、縄文人と混血が進み、弥生時代に進んでいきます。

 

縄文人の遺伝子って言うのは、アフリカ発祥とされる人類の系譜から行くと、中国や韓国などの大陸系の人々より前に分岐した系統らしく。

まず、アフリカから人類が旅立ち、ヨーロッパへ向かう人々と別れます。

東に向かったグループは、最初にオセアニア方面の人々に分岐。

その後、東南アジアや中国、アメリカに分岐していくんですが、この前に縄文人が分岐したらしいんです。

オセアニアの次の分岐が縄文人なんですね。

今の日本人の遺伝子は約12%が縄文人なんだそうです。

つまり、日本人は稀有な縄文人の遺伝子を持つ唯一の人種なわけですね。

 

大陸と陸続きでなくなった後の日本には、独自に進化を遂げた縄文人が住み、独自の文化を生み、その後、再び大陸から渡ってきた人々と交わり、弥生文化が始まるわけです。

弥生文化は邪馬台国の系譜に繋がり、二百年の歴史的空白を経て、大和政権が誕生します。

邪馬台国の近畿説・九州説が大論争になるのは、九州であれば地方王国だし、近畿ならおそらく大和政権直結の王国になるからなんですね。

出雲の勢力も避けて通れないし、この時代、近畿・出雲・九州の三つの勢力がその後どのようにつながって歴史を紡いだのか、ロマンは尽きません。(関東や東北も興味深いけど!神話に出てこないんだよなぁ)

 

そういや、出雲のたたら製鉄の話も出ましたね。

ジブリ映画「もののけ姫」ではたたらのふいごを女性たちが踏んで鉄を作り出していますが、

古代から、出雲では砂鉄が取れることで製鉄が盛んでした。

出雲ってのはロマンのある土地で、日本神話によると、高天原から追放されたスサノオノミコトが降り立つのがここ。

ヤマタノオロチを退治し、尾から天叢雲剣(のちの三種の神器、草薙剣)を取り出し、のちに、大国主命に出雲の支配を任せます。

その後、高天原から神武天皇が降り立ち、出雲の大国主命に国譲りを迫るという。

つまり、神話上では、出雲こそが、日本の中心だったわけです。

天皇の三種の神器のうち、剣はスサノオノミコト由来、鏡と勾玉はアマテラスノミコト由来です。

出雲大社も神社の中では別格中の別格ですから、一体、古来からここにはどういう由緒があったのか、興味の尽きないところ。

 

話を縄文に戻しますが、縄文時代って言うのは今、海外の学者からも注目を集める時代です。

芸術的にも類を見ない面白い遺物が多いですし、現在発見されている世界最古の土器の一つが縄文土器であることは間違いないみたい。

また、最近注目を集めているのが、縄文時代が異様に平和な時代だったんじゃないかという研究。

三内丸山遺跡での調査の結果、同じ場所にまとまった数の人が定住して、1500年もの間戦闘の後が発掘されないのは稀有なことなんだとか。

しかも、この1500年もの定住が、農業なしに行われている不思議。

世界の人類学の常識を覆す特異な文化なんですよ。

ここんとこ、私も縄文時代にすごく興味掻き立てられていたので、「和楽」編集長が縄文にハマっているのも、もしかしてそういうことかしら?とちょっと面白かったりして。

岡田くん、戦国辺りにはものすごく詳しそうだけど、私はめっちゃ古代が好きなので、ぜひ縄文にも興味を持ってもらいたいところです。

 

最後に、岡田くんが意外そうにしていた出雲阿国。

歌舞伎の始祖は女性だったんですよね。

出雲大社の巫女で、出雲大社の布教活動で全国を回ってかぶき踊りで有名になったとか。

私も詳しく知らないんで、なんで歌舞伎が女人禁制になったのか調べてみたいけど。

なんでも、阿国が家康の次男、結城秀康の前で歌舞伎を披露したとき、天下一と称賛され、それまでもっていた水晶の数珠では格が足りない、と珊瑚の数珠を与えられたという話を聞いたことがあります。

この結城秀康って言うのは、こないだ直虎で悲劇の最期を遂げた長男信康の腹違いの弟。

家康にとっては次男ですから、本来信康亡き後彼が後継者のはずでしたが、生まれたタイミングが悪かったのかなぜか疎まれて、将軍を継いだのはさらに弟の秀忠でした。

殺されることなく、松平家の始祖にはなるんですけど、天下人になれないわが身のふがいなさを、阿国の舞を見て嘆いたそうです。