らしい。もうなの?ビックリ~!

「関ケ原」のTwitterで、フォロー・リツイートでご招待っていうので、両方してみたけど、やっぱり当たらなかった(^^;)。

たった10組ですからね、無理だよねぇ(笑)。

明日のWSが楽しみです♪

やっぱり、なんか常に気になるのは岡田准一の現在なんだよねぇ。

各作品での味わい深い演技や美しい容姿を鑑賞しては常に感嘆するけど、ただしゃべってるのも絵になる人なので、単純に「岡田准一」を鑑賞したいですね。

 

この人は、昔の作品みてても、「あ、まだ若いな」とか「このころはまだこういう演技だったんだ」っていう感想を持ったことがない。

さすがに「Vの炎」っていう、演技のえの字も知らないデビュー作は初々しくてど素人ですけど、きちんとドラマや映画に出てくるようになると、どの作品を見ても「完成形」なんですよね。

まだ、フィジカルの強さも格闘技も習得していないアイドル岡田でも、「花よりもなほ」で魅せた演技は鳥肌もの。

ぼっろぼろの畳を見つめる瞳がすでに病んでる(違うか)。なんか人を惹きつけられる、絵になる、んですよ。

演技する上で此処が大事なんだけど、ひねた演技して見せても岡田くんはなんか「そんな危ない方いっちゃダメ、助けてあげたい」と思わせる儚げな何かがあるんですよねぇ。

 

私は基本、アニメや漫画畑の人ですし、今まで鑑賞した実写映画は基本、ハリウッド至上だったりして邦画にはほとんど興味なかったんですが、岡田くんを入り口にして、邦画の良さも感じられるようになりましたね。

私にとってアニメや漫画を実写化するのはダサいことでした。

ま、今でもそんなにそこは価値観変わってませんが。

現実でできないからこそアニメや漫画で描いているわけで、実写にする意味が解らなかった。

三次元には夢を感じなかったんですよ。

ハリウッドでカッコいい外人さんたちがワイワイやってるのはなぜか、邦画と違って夢があったんですけどね。

私にとって邦画は、自分たちの非日常ではなく日常であったのでつまんなかったのです。

ところが、良さがわかってみると、日常に潜む非日常に目が行くようになる。

夢物語の非日常に飽きてみると、身近にもっと悲哀や味わいがあるものだな、と。

 

アニメや漫画を実写化するときは、原作の世界観を損なわず、なおかつ、原作の世界観を膨らませるような+αがなくちゃダメだと思います。

ただ再現では意味がなし。原作を下敷きにして、まったく違う作品にもってっちゃうのは論外。その+αがどう評価されるかが映画の価値を決めると思いますが。

その点、「図書館戦争」の戦闘シーンは、原作小説やアニメ・漫画を忠実になぞりながらも、+αがあったかな。

岡田くんのアクションはおつりがくるほどだと思います。

また、岡田くんは、原作のキャラクターを理解しつつも、必ず独自の肉付けをしてくる。

国岡鐵造にしても今度の三成にしても、原作とはちょっと違うんだろうと思うんですよね。

でも、そこにきちんと説得力を持たせてくるところが凄いと思います。

キャラクターを自分に寄せるんじゃなくて、自分で消化して再構築してさらにそこに自分を寄せていく。

それぞれの作品を見ても、「岡田准一」を見ている感じがしないのは、彼の作り上げた人物像という作品を見せられているからなんだと思います。