眠るということは、けっして容易なわざではない。眠るためには、終日目覚めていなければならぬ。
十度、おまえは昼のあいだに自分に打ち克たなければならぬ。それは快い疲労をもたらし、魂の麻薬となる。
十度、おまえは自分との和解をとりもどさなければならぬ。自分に克つことには不満がのこるから、和解をすましていない者は、よく眠ることができない。
十の真理をおまえは昼のあいだに見いださなければならぬ。そうでないと、おまえは夜も真理を探し求めることになる。それでもおまえの魂は空腹のままである。
十度、おまえは昼のあいだに笑って、快活を保っていなければならぬ。そうしないと夜になって憂愁の父である胃が、おまえの安静を乱すだろう。
―ニーチェの「ツァラトゥストラ」より
解説によれば、これは批判であるらしい。眠るために生きる精神だとして。
「眠るために生きる」ということを、大学生になって考えたことがある。
人生をどう生き得るんだろうと考えていて、隠者のような暮らしを考えたり、離島での暮らしなどを考えていたときだった。
そのなかで<もっとも経済的で消極的>な生き方の可能性として、眠るために生きる、「寝ることが中心の生」を考えていた。
映画マトリックスはみたことあるよね?現実だと思って生きていた人々は、みんな夢を見せられていた。そして実際に、たとえばデカルトが言うように、僕らは夢をみていても夢だと気づかない(たまに夢だとわかることもあるけど)。
眠っているときに消費するエネルギーは、脳内の精神伝達物質のやりとりと生命維持だけという最低限のエネルギー消費だろうね。夢をみていれば擬似現実の「世界」にとり囲まれている。幸福な夢をみることがあればもういうことがない人もいるんじゃないだろうか。
眠っていると、悪いことは夢のなかしか起こらない。夢は、目覚めてしまえば安堵できる。