一生勉強、一生創作 | Hexenkessel

Hexenkessel

魔女の大鍋のごとく、何が飛び出すかわからないブログ。

当分は将棋と演劇のことについて書きますが……
コメントは承認後の表示になっていますが、ただの荒らし対策ですのでどんどんご意見ご感想をお待ちしています。

ちょうど一年前、やっと車椅子に乗れるようになったものの体は思うように動かず、完全に自信を失いかけていた私に声をかけてくれた人がたくさんいました。

左手のしびれはまだ少しあります。左足は無理に歩き続けると痛みます。あの頃は死んだ方がよかったんじゃないかとも思いましたが、でも私は生きています。



今の私の多くの部分がお芝居と将棋でできています。

この二つの世界から学んだことはあまりに多く、これなしで今の私は存在していないと思います。

私が大切だと思うキーワードに「対話」があります。

芝居関係の知り合いに無理に将棋を押し付けたり、将棋関係の知り合いに無理に芝居を押し付けたりするつもりは私はありません。もちろん自然な形でお互い興味を持ってもらえれば、それはうれしいことですが。ただ共通のキーワードは大切にしたいと思います。

以下は以前の将棋教室内で時間を少しいただいて子どもたちに向けて話した文章の抜粋です。



棋は対話なり(き は たいわ なり)

みなさんは友だちと話しをするとき、どのようにしていますか?

じぶんが話すだけでなく、あいての話しも聞いていますよね。話しを聞いて、それからそれに対してじぶんが話してお話は進んでいくと思います。

将棋もじつは同じです。口に出してしゃべったりはしませんが将棋の手でおたがいに「この手を指します」「ならこの手はどうですか」という「対話」をしています。

これを、少しむつかしい言葉ですが「棋は対話なり」と言います。棋というのは将棋のことです。

ふだんも先生や友だちの話しを聞いて、それから自分の思ったことを言わないとただ自分がひとりでおしゃべりしているだけでは勉強になりません。

将棋も同じです。強くなる方法は、じぶんがたくさんしゃべることではなく、あいての声をよく聞いてみることです。

将棋をはじめるときに「よろしくおねがいします」負けたら「負けました」勝ったら「ありがとうございました」とあいさつするのは、もう知っていると思います。

将棋はあいてがいないとできないゲームです。だからはじめにあいてにむかって「おねがいします」とあいさつします。勝ったときに「ありがとうございました」とあいさつするのは「勝たせてくれてありがとう」ではなく「対局(たいきょく)してくれてありがとう」という意味です。

だから、将棋を指すときは目の前のあいてをたいせつにしてください。対局するあいてがいるおかげで、みなさんは将棋ができますし、強くなることもできます。



重要なことは「目の前の相手を大切にして、話を聴くこと」だと思います。それこそ対話だと思います。

だから、今後はそれが出来る人間を育てていきたいです。

もっとも、私自身が何度も言いますが半人前です。私自身も育たないと意味がありません。

私如きの分際で偉そうではありますが、もし使命というものがあるなら、そう生きたいと思います。



お芝居の基本もまずは「聴く」ことだと感じています。相手の声が、気持ちがそこにあるから自分が動くのだと、なんとなくですが解釈しています。時に声にならない声も聴かねばならないかも知れません。それはとても大変なことですが、だからこそやりがいがあるのだと思います。



「職人」という響きに強い憧れを感じています。私自身、将棋も芝居も一流の職人には程遠いですが、人を育てる職人でありたいと思っています。そのための道具として、将棋も芝居もきっと役立ってくれると信じています。

キーワードは対話、目標は人を育てる職人。

幸いにして、私の周りにはすばらしい「職人さん」が多いです。技を盗み、自分自身がもっと成長して、いつか恩返しがしたいのです。

おそらくきれいには生きられない私だと思います。不器用なら不器用なりに考えて努力して働きたいです。



今は生きていてよかったと思います。だからあるかないかわからない才能にとらわれるのではなく、汗にまみれて経験を積んだ職人でありたいと思います。そのために必要なことだったら、今後も何だってしていこうと思います。