狩るものと、狩られるものに考えてしまう

 NHKの地球ドラマチックという番組だ。舞台はイベリア半島での動物たちの生き様である。狩られるものの代表がウサギとネズミ、狩るものは猛禽類をはじめとして、肉食系動物たち、その他にも爬虫類や、様々な動物がいる。狩られるものの代表であるウサギだが、その武器は生殖力ということになる。一回の出産で10匹、三週間で生殖能力を持つというから凄いことである。彼らは生まれたときから狩られるものとしての一生が始まる。猛禽類とはハヤブサ類、タカ類、フクロウ類、実に多彩である。それでも彼らの狩りは確率の高いもので5回に一回、低いものは10回に一回程度という、当然獲物が捕らえられないものは淘汰されていく、それにしても地球上の生物において、狩られるものと狩るものという存在について考えさせられてしまうのだ。狩るものが強者であり、狩られるものは弱者とされるが、しかし両者はお互いの存在があって初めて存在できる矛盾した存在ということなのだろう。つまりウサギ、ネズミがいなくなれば、狩るものも当然ながら滅びるしかないのだ。それはアフリカ大草原でもまったく同様である。草食獣がいて肉食獣が繁栄する。肉食獣がいないと、草原は食べつくされ、草食獣は生きられない。生物の世界とは不思議なものとしか思えない。そこで人間について考える。人間は自然界のルールを無視して繫栄している動物ということなのだろう。人間には自然界のルールはあるのだろうか、21世紀になっても平然と殺し合う人間達、人間の命は地球より重いともいわれているが、そんな言葉は空々しくてつぶやけない、紀元前から哲学という学問在って、人間の命の尊さは論じられていた。なんと空々しく虚しいことかと天を仰ぐものである。