こんばんは!

さんくるです。

 

今朝の紺美さんの記事で、どうしても追記したいことがあります。

紺美さんが記事内でも触れられていらっしゃいますが、女性セブン(小学館)の10月11日号「新われらの時代に」という特集で、ジャーナリストの宮下洋一さんが紺美さんのインタビューを『スイスに渡って命を絶とうとしている女性』「安楽死こそ希望の光」としてP44~P49に亘ってまとめていらっしゃいます。

 

その中で紺美さんがお話しされた

「私のような状態になった人間に、あなたはどんな言葉をかけますか?

『頑張って生きて』とも『死んでくれ』とも言えないでしょう。かける言葉がないと思うんです。

そういう人間がどう生きていけばいいのか。世の中の病気でない人たちにも、少しでも考えてもらえるきっかけになればと思います」

この問題提起こそがブログ記事の中でずっと伝え続けておられること。

ひるまず目を背けずに私も考えていきたいと思います。

 

私の稚拙な文で誤解を招くのは本意ではないので、是非とも紺美さんのブログをお読みください→

 

 

私の場合、意識が戻って身体が動かせなかった時は頭の中も混沌としていて、今のことも将来のことも全く考えられる状態になかったから、何の疑問も持たずに言われるがままにリハビリ受けてたけど、あの状態で頭だけがハッキリしていたら、息している限り現状が続くであろうと考えて目をあけることも拒否したかもしれない。

あの時点で低酸素脳症であったことがむしろ現在の私の状態を作っているといえるのかもしれない。

 

 

 


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