おはようございます!
さんくるです。

 

未曾有の東日本大震災から7年もの月日が経ちました。

昔ウチの会社でバイトをしていた男の子は、地元の岩手県に帰り結婚して子供ができ幸せいっぱいな時に被災しました。

彼と奥さんと子供は無事でしたが、多くの親戚や職場の友人が津波で亡くなり、彼自身の家も流されて、やっと去年仮設から出たと連絡がありました。

当事者の皆さんにとってはまだまだ現在進行形の災害であると思います。

少しずつでも平穏な生活に戻られますようお祈り申し上げます。

 

 

お休みをいただいている間、一昨年の記事を再掲しています。

 

柴犬 柴犬 柴犬 柴犬 柴犬 柴犬 柴犬

 

【再掲】心停止後 1


これから当面は半年後ぐらいに聞いた話が続きます。
周りもテンパッていたので、時間の記憶があの人とこの人で違っていたりして、正確なことは未だわかりませんが、記録のために書いておきたいと思います。

救急車に遅れること10分ぐらい?口論相手(以下仮に辰男君)がナビに導かれ病院に着いた。
夜間受付で今救急車で運ばれた者の連れだと告げたが、なかなか中には入れてもらえなかったらしい。

血だらけ(救命措置したからだけど)の男を簡単に入れないのは、保安上ある意味正しいと言える。(*≧m≦*)ププッ
しばらく押し問答の末、ようやく廊下の椅子で待つことになった。


小一時間で若い医師が出てきて、今は自分しかいないが、応急処置はした。
少しならいいですよと言われICUに入ると、私の首からは管が出ていて、あちこち線がつながって既に機械が動いていたそうだ。
当直医師の説明では、救急車の中での何度目かのAEDで心拍は戻った。自分は耳鼻科なので、詳しい説明は救急の専門医が来てからしてもらう。

 

思えば(レジデントの夜間アルバイトだったにしても)耳鼻科の先生だったから惑うことなく気管切開できたのだろう。

これがもし皮膚科や眼科の先生であったら、知識は豊富だったとしても結果が違ったかもしれない。

 

この耳鼻科医師からもうしばらく待つように言われた辰男君は考えた。
つまり何時間待つかわからないということだ。

その間に誰かに知らせなければならない。

しかし辰男君にはウチの婆さんを叩き起こす勇気はなかったらしい。


私の携帯を探し出し、辰男君自身も会ったことのある友人虎子(仮称)を選び、電話をかけて助けを求めた。

この時の時間は午前2時前後だろう。
その場で虎子が5時20分の始発で私の家に向かう。彼女の家からは乗り継ぎが悪ければ2時間近くかかる。7時過ぎならママも起きているに違いない。
(小学校の時からの同級生なので、うちの母をママと呼んでいる)
支度をさせておくので辰男君は8時に車で家に迎えに行き2人を乗せて病院に戻ると決まった。

 

 

 

 


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