おはようございます!

さんくるです。

 

ホルモン治療が体に合わず副作用で苦しい思いをしていらっしゃるピンクさんから、現在私が無治療の理由が知りたいとのメッセージをいただきました。

別途お返事はしましたが、補足も加えて改めて説明。

以前の記事と重複する部分もありますが一応最初から言うと

2010年11月:区の乳がん検診で、マンモ、婦人科医による触診ともに異常なし。

2011年8月:夏ブラジャーのワイヤー周りの汗をぬぐっているときにピンポン玉ぐらいのシコリを発見。

次の日に前年触診を受けた婦人科を受診し、検査専門のクリニックを紹介される。

次の週に専門クリニックでマンモと超音波。

更に次の週に針生検してその次の週には乳がん確定。

この時点で「放置するとどういう経緯をたどりますか?」と聞いたところ、どうやらウチの子は顔つきが悪い超ドブスちゃんらしく、「1年以内に転移します」と言い切られた。

その後GA病院を紹介され、3週間後に受診。

術前の検査してたら1カ月半後に逆側にも発見され両側乳がんに。

12月に両側部分切除。

【ER(+)、PgR(+)、HER2(-)、Ki67:high】

この時点ではホルモンヌだったため、再発予防の化学療法(CAF)6クールの後タモキシフェン5年予定だった。

 

術後の化学療法については縮小効果は評価していたものの、奏効率の10%の中に自分が入るとも思えずお断りしようかなぁと迷っていた。

しかし例え数%でも再発率が下がるならやるべきだと辰男氏が強く主張したこともあり、受けることに決め、2012年夏まで化学療法。
これは誰が何を言ったからっていうことが問題じゃなくて、自分できちんと勉強してから判断しなかったことへの後悔ね。
その後のタモキシフェン服用中に心不全が発覚し服用中止。
 
化学療法中の副作用については皆さまよく御存知であろうから割愛するが、結果的に心臓病という取り返しのつかないダメージを受けることになってしまった。おまけに視野欠損もある。
2012年時点では、一過性の副作用と永続的に残り続ける副作用がわかっていなかった。
治療が終わりさえすれば、時間はかかったとしてもすべての症状がなくなるのであろうと思っていたのだ。
 
ちょっと話は飛ぶが、当然告知後は生活全般見直した。
外食を控え、有機野菜中心の食生活を送り、良いと言われることは積極的に試した。
昼も素性の知れないものを食べる訳にいかないので弁当を作っていた。
しかし2013年の2年検診で左に新たなブツが見つかり、翌2014年3月全摘。
けっこうなお金と非常に不自由な2年間を費やした結果がコレである。
まったくの無駄と私は感じた。
でもそっち系をお商売としている方からすれば、本来であれば半年で再発するところが2年保ったのは〇〇を摂っていたおかげだとか、もっとドラスティックに変化しなければ!とか言われるんだろう。
まぁこういうのは心の安寧のためのものであろうから、〇〇をしているから大丈夫٩(๑•̀ω•́๑)۶と信じられれば免疫力が上がって本来以上の効果を発揮するだろうし、ほっといても何も起きない人も確かにいるんで、やりたい人だけやればいいと思う。
そりゃそうだよね。
そもそもものすごく健康的な生活を送っていたにもかかわらずがんになった人もいるし、ものすごくお金持ちであらゆる治療をしても甲斐なく亡くなる人もいる。
そうなると、何をどうしたところで細胞の悪性度が高ければ再発するし、低ければしないんだろう。
 
おっと、ずいぶん話がズレてしまった。
2014年の病理結果は【ER(-)、PgR(-)、HER2(1+)、Ki67:high】。
ホルモンが陰性になったので他に取るべき手段もなく、当然化学療法を勧められたが
1 初発の時受動的な理由で化学療法を受け後悔したこと
2 にもかかわらずあっさり再発したこと
3 同じ治療を今受けたら「がん」で死ぬより早く心臓病で死ぬであろうこと

以上3点を理由に、期待されるベネフィットよりリスクが勝っていると判断して主治医に話した。
すると、特に反対もされなかったため、現在は無治療なのである。
現実問題、全摘手術後7カ月で心停止しているので、あのまま術後抗がん剤をしていたらもっと早くに心臓が止まっていただろうし、生き返ることもなかったと思う。
 
ともあれ予防的な化学療法をしなかったためリスクは大きいままだ。
リスクヘッジとして、乳腺の検査とは別に3カ月毎に心臓の血液検査に追加して腫瘍マーカーだけは確認して、次ができた時にできるだけ早く対処しようとしてはいる。
 

がんか心臓か、どっちが先だかわからないがいずれにしても後悔がより少なくなるようにしたいと思う。

 

 


にほんブログ村

 

 


にほんブログ村

 

 

 

ご訪問ありがとうございます。