おはようございます!
さんくるです。
珍しく終始一貫してマジメに書いてます。

私の父方の兄弟は2人が戦争に行き、1人が戦死している。

長兄は横浜高等商業学校(現・横浜国大)在学中に学徒出陣で南方に出征したが無事復員してきた。

二番目の兄は特攻隊で戦死した。
まだ10代で。

特別攻撃隊というのは20倍もの倍率を通過して選抜されるものらしく、その伯父も兄弟姉妹の中で最も優秀な若者であったという。

間に姉2人を挟んで、次がうちの父である。

まだ訓練施設にいた次兄から、うちの父(仮にT)宛に書かれた手紙が残っている。

Tちゃんの手のあかぎれには油を塗るといいと仲間から聞いたという話、裏山で狩りをして野山を駆け回った話を子ども向けにおもしろおかしく可愛い絵入りで綴ってあり、最後に家に残る男の子はTちゃんだけなのだから、お父さんお母さんの言うことをよくきいて、姉さん達を自分の代わりに守ってやってほしいという話が書かれている。

父も何度も読み返したのだろう、検閲済みマークのついた封筒も、中の便箋もボロボロだ。
70年以上も前のこの手紙を父亡き後も捨てられずにいる。

我が家は母が父よりもけっこう年上の姉さん女房だ。
終戦の頃に母は既に女学校を出て働いていたが、すぐ下の弟はまだ学生だった。
母方は上から女が3人続き、一番上の姉が従軍看護婦として戦地に赴いていたものの、お国のための戦闘員を1人も出していないのは非常に肩身の狭いことだったらしい。
そこで長男である母のすぐ下の弟が、学徒動員で長崎に行くことになった。

学徒出陣は大学生が徴兵され出征するもので、戦争により不足した労働力を中学生・高校生が補うのが学徒動員だ。

叔父は長崎で軍需工場の夜勤明けに被曝した。
その時屋内で寝ていたはずが、気付くと何メートルか先の畑に飛ばされていたそうだ。
戦争も終わり家族全員が諦めかけた頃になって、真っ黒で破れた肌着姿に裸足で、木片を杖代わりに線路を歩いて帰ってきた時、とても誰だかわからない姿だったと言う。

復員してきた父方の伯父も、被曝した母方の叔父も既に帰らぬ人になってしまった。

今考えられるだろうか
中学生の子どもが、人を殺す道具を作るために働かされること。
大学生が徴兵され、見知らぬ人達の中で人を殺すための訓練を受け、実際に1人でも多くの敵を殺すのを求められること。

戦争はどちらも正義のために戦っている。
間違っていようが不条理であろうがその時には選択肢はほとんどない。
勝敗がついた後に、勝った側の倫理観に基づいて正義は決められる。

何があろうとあの時と同じことを、繰り返さないための努力を続けなければならない。




足るを知る
うにゃちゃん、おもちゃはコンビニ袋丸めたので十分。
お安くできてます。


 

 


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