おはようございます!

地震大丈夫でしたか?ビビりましたね。
地震警報が出たとき、我が家は母がお風呂に入ってました。
慌てて出ても濡れたままじゃ冷えるし、着替える暇もないし、落ちてくるものもないから「そのまま入ってて」と言いましたが、本当はどうするのが正しかったんでしょう。
いろんな場面をザックリとは想定してても、いざとなると迷っちゃいます。
想定範囲に収まらないことも想定しておかねば。

長くなっててすみません。
前からのつづきです→

私がベッドにつかまって立ち上がれるようになる頃には、息子さんが訪れる日はますます減り、滞在時間は30分ほどになっていた。
師走が近づいて更に忙しくなってきたのだろう。
 
息子さんはもともと寡黙な人であるらしい。
カーテン越しにいらしたことはわかるが、まさか覗き見するわけにもいかず、ついウッカリ間違ったフリをして入っていくこともできずに、なかなか私が息子さんを垣間見るチャンスは訪れなかった。
見えはしなかったものの息子さんがいる時はウキウキした田中さんの様子が伝わってきた。
 
毎日夕方になると田中さんは息子さんを待っていた。
看護士さんも看護助手さんもあの手この手で食事させようと頑張っていた。
私もベッドから「ご飯食べないとお家に帰れませんよー」とか「田中さんが早く戻らないと息子さん困りますよー」とか言ってみたが、田中さんは息子さんが来るまで頑として食べなかった。

息子さんが来た時に自分が食べ終わっていたら、「せっかく来たのにガッカリしちゃうでしょ」というのが田中さんの言い分だった。
 
もともと朝も昼もほとんど食べなかった田中さんは、夜も絶食に近い状態になってしまった。

食べなくなるに従って、みるみる田中さんは弱っていった。

もちろん病院に入院しているのだから、何らかの疾患のせいかもしれない。それでも医師、看護師ともに一生懸命ご飯を食べさせようとしていた。
食事を摂らない分点滴が増え、起きている間中ほとんど点滴している状態になった。
田中さんが「もう外してちょうだいっ!」と苛立つ声を上げたり、朦朧として何言っているかわからない唸り声を出したり、看護士さんの「うわーっ!田中さん針抜いちゃったの!?」と叫ぶ声が聞こえるようになった。
 
その後トイレまで歩けるようになった私が通りがかると、田中さんの寝間着はパッと見、ツタンカーメン風なファスナーで手が出せないようにお腹の所に留められるようになっているものに替わっていた。
 
なんという名前かわからないし、私が見たのは寝間着と一体型だったと思ったので同じようなものがないか、介護用品で画像を探してみたが見つけられなかった。 
 
寝間着が変わったのはたぶん点滴を抜いてしまうのを防ぐためなんだろう。
病院が勝手にそうしたとは思えないので、ご家族に相談した上でのことだと思うが、ほんの先週まで食べて歩いて喋って私の心配までしてくれていた田中さんが、身動きできない状態でいるのを見るのは辛かった。
もうお話しもあまりできなくなっていた。

 

 

長くてごめんなさい次で終わります。

 

 


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