おはようございます!

さんくるです。

前回からのつづきです→

 

ベッドで寝ていることしかできなかった時分から田中さんの息子ラブを聞かされて過ごした私は、ミノムシ的野次馬根性と言うのか、どんな息子さんなんだろうと夢想というか妄想を膨らませる毎日が続いた。

このミノムシ根性も私のリハビリを助けたかもしれない。早く起き上がって息子さんを覗き見したくなっていた。

 


 

斑だった脳みそがややハッキリしてくると、息子さんは毎日6時ぐらいにやってきて田中さんに晩御飯を食べさせ、8時に帰っていくことがわかってきた。
その息子さんは職場から病院に1時間かけて通ってきて、病院から自宅へも1時間かかって帰るそうだ。
どうやら自宅と会社と病院は正三角形で、それぞれ一辺が1時間らしい。

毎日仕事終わってから4時間は大変だなぁと思っていた。

 

田中さんは、ご飯が食べられなくなってその原因をつきとめるために入院していた。

何か病名が確定していたのかもしれないがわからない。

朝も昼も看護助手の人か看護学生さんがご飯を食べさせに来るのだが、田中さんは「ご飯を食べたら太っちゃうからいらない」「寝てばっかりいるからお腹がすかない」と言ってほんの少ししか食べないようだった。

息子さんが食事の介助をする夜ご飯だけは、たいがい完食できていた。

 

私が看護師さんに頼んで車いすで移動できるようになる頃から、息子さんは仕事が忙しくなってきたのか、病室にいる時間が短くなって、たまに来られない日も出てきた。

その頃には私も少しずつ田中さんと喋れるようになっていたが、リハビリ初期に私がちんぷんかんぷんなことを言っていたせいなのか、若干「やべー奴」或いは「気の毒な子」系と思われていたようなふしがある。

ちょっと距離を置かれているような感じで、私が咳込んでいれば「ひどい咳ね。ちゃんと診てもらってるの?言わないとダメよ」と心配してくれたりしたが、基本的に自分から進んで話しかけてきたりはしなかった。

私としても肺炎で咳が昼夜を問わず出続けていたので、田中さんにご迷惑かけて申し訳ない気持ちもあり、自分の能力に自信がなかったのもありで、積極的には話しかけられないでいた。 

 

 

更につづきます

 

 

 

 
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