おはようございます。
さんくるです。

猫の週を終えてみると、5歳児と同じ程度の時間は目を開けていられるようになり、生意気に寝たきりでいることに退屈しはじめた。
因みにテレビはなかったのか、見なかったのか、見ても理解できなかったのか、テレビカードを買いに行けなかったのかわからないが、とにかく天井と窓から見える空しか見てなかったからだ。
とにかく退屈したことによりこの週は蝿並みに一日毎に変態していった。

毎日とっかえひっかえ療法士さんが来た。
リハビリの種類により担当が細分化されているようだった。
資格による分類か、得手不得手によるものかについては知識がない。
ザックリ区分して作業療法士さんが身体のリハビリ訓練、理学療法士さんが頭のリハビリ訓練をしてくれていた。

その日に教えてもらった訓練を空き時間に続けた。
強化しなければならない所がなんとなくわかってきて、自分なりにアレンジしたりしてみた。

①スプーンが使えるようになったので、徐々に普通食になっていったが、すくった所には皿がない。←とてもわかりにくい。
◆自分リハビリは、食事以外の時に伸ばした左掌を右手のスプーンでほじる。

②手すりは場所を確かめてからでないと、掴もうとしてもスカッてしまう。
◆自分リハビリは目を瞑ってベッド周りの柵を手足で触りながら距離感を想像。

③ゴミ箱に向かって投げたゴミは確実に外れる。
◆これはかなり起き上がっていられるようになってからの自分訓練。手に持ったゴミ箱をベッドの柵に沿って徐々に足方面に移動して投げ続ける。ひとつの紙ゴミを投げるのでベッドは散らからない筈なのだが、かなりの頻度でドそっぽに外れて看護師さんが来た時に拾ってもらっていた。

 

散らかしてごめんなさい。

 

これらは視神経のせいなのか、距離を測るとこが壊れてるのか、動作が思い通りにできていないのか判断に迷った。

とりあえず、目で見えたものと目を瞑った時の頭の中の距離の差をなくしてみようと思った。

空間認知や視覚認知なら頭頂葉を鍛えねばと思ってやっていた。

役に立ったかは不明。

退屈しのぎにはなったからよし。


この頃には言葉を読んだり、書いたりすることはできたと思う。書いたものを他人様が読めるかどうかは別にして。
「ね」のクルリはちゃんと内側にあったし、猫の絵を見て猫であることがわかり、「ねこ」も「ネコ」も「猫」も書くことができた。何度も言うけど他人が読めるかどうかは別。

数字を足したり引いていくのも、足すたびに「63?」とか「48ぐらい?」とアバウトな感じで辛うじて答えたが、もともと算数について頭の出来がアレなので前と同じレベルと言えよう。

短期記憶の機能を調べるための、無関係な物を複数覚える課題も問題なかった。
側頭葉は無事っぽい。でも誰と何の話をしたかは速やかに忘れる。
側頭葉の中でも置いとく場所が違うんだろう。まぁ素人なので適当に自己都合で判断して心の安寧を図った。
不安でいることのほうがイヤだった。

頭がハッキリしてくるにしたがい、排泄を他人任せにしなければならない状態が猛烈に恥ずかしく、憂鬱で、申し訳なくなってきた。
今まで散々手間かけさせといて勝手な話である。
脱オムツを目指して私は超頑張った。
何しろこの頃の記憶は「一刻も早く自分でトイレに!」しかない。

 

作業療法士の先生に車いすを押してもらって、リハビリ室に行くようになり、少し立ち上がれるようになるや否や自分で歩かせろと駄々をこねた。

(ダダ星人の写真を貼りたかったが権利の問題が発生しそうなので自粛)

しかし私は救急部の管轄の人なので、リハビリ室と病室以外の歩行は許されない決まりだったらしい。

担当医が許可してくれないといつまでも看護師さんを呼んで車いすを押してもらわなければならなかった。

つまらないことで看護師さんを呼ばねばならないのが心苦しく、延々と療法士の先生達にダダをこね続けた結果、「アイツうるせーからなんとかしてくれ」ぐらいに救急先生にまで伝わって、車いすは3日目に歩行器(なんて名前か正式名がわからないが、よく病院の入り口にある立って全身をあずけたまま動ける道具)になった。

 

画像めっけました。歩行車っていうらしい。

日進医療器株式会社様からお借りしました。

 

 

 

 

ただ、この歩行器(歩行車)はフロアに1つしかないので部屋に置くわけにいかず、結局看護師さんか看護助手さんに持ってきてもらわねばならないのだった。

トホホである。

 

 


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いつもありがとうございます。