ポール・サイモンという現代のロック詩人がいます。
この男はとんでもない嘘つきだと、私は確信しています。本人は嘘をついている自覚は全くないようですが、彼の言う"簡単"を信用してはいけません。なぜなら、"簡単"ではないからです。ポール・サイモンの詩世界では、「簡単ではない=難解」と認識するのはやや危険です。今回のブログでは、「簡単ではない=意味深」という考え方をしてみようと思います。
ここまで書いて、私は自分のこの批評家ぶりに驚きを隠せません。ただ、S&Gの「簡単で散漫な演説」という曲についての文章を書こうと思っただけなのに、まるでアンチポール・サイモンみたいになってしまいました。一応言っておくと、私は彼の大ファンです。まだ18歳だし、実際に当時リアルタイムでS&Gを聞いていた訳ではありませんが、私は彼の詩が大好きです。というか、もう愛してます。ビッグラブです。
さて、S&Gへの愛を語り始めると、私の時空間が歪んで日が暮れてしまうので、今回の本題に移ります。
今回取り上げる楽曲は、S&Gの3thアルバム「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」に収録されている
「簡単で散漫な演説」です。
この曲のタイトルを見た時、私はなんとなく、イギリスの女性古典作家ジェーン・オースティンの「傲慢と偏見」「分別と多感」を思い出しました。S&Gヒット以前のポールのイギリス放浪期、ポールはジェーン・オースティンを読んだりしたんでしょうか。オースティン作品の中では、「説得」がポール向きだと個人的には思います。あの悲しくも美しい物語をぜひ詩にしてもらいたいものです。
とはいえ、ちょっと曲のタイトルにしては堅苦し過ぎますよね。このアルバムの中から、「スカボローフェア/詠唱」や「59番街橋の歌」などを差し置いて、まずこの曲から聴きたいと思う人はあまり多くはないと思います。実際、S&Gの名曲としてこの曲が取り上げられる機会もほぼ無く、ライブで歌われたこともほとんどないのではないでしょうか。
この曲を聞いた人がまず思うこと、それは「ボブ・ディランっぽい」ではないでしょうか。
私が初めてこの曲を聴いた時は、ポールがディランの曲をカバーしていると勘違いしたほどです。
「ポールがハーモニカ?吐き捨てるような歌い方??・・・え??」という感じでした笑
しかし、歌の後半くらいで「ディラン」「ディラン・トーマス」とポールが歌っているのに気がつき、やっとS&Gのオリジナル曲だと理解しました。他の方のブログや解説を見てみても、やはりこの曲は、ポールがかなりディランを意識して作った曲のようです。オマージュというよりは、ディランを揶揄したパロディ作品という感じでしょうか。ディランへの敬愛を表現しているというよりは、ポールがディランへのライバル心を剥き出しているように感じる曲です。
実際、同じ60年代アメリカのフォークミュージシャンとして、ポールが何かとディランと比較されてきたことは、皆さんもご存知だと思います。作曲能力、作詞能力ともに両者大いに評価され、現代のロック詩人と呼ばれるほどです。ディランがノーベル賞を受賞した後、TwitterなどのSNS上では、ディランよりもポールのノーベル賞受賞を期待していた音楽ファンも多かったようです。このようなディランとの世間的比較により、ポールは自分がディランの二番手的存在であることを自覚していたようです。そのことに関する面白い記事があったので紹介させていただきます。
https://rockinon.com/news/detail/51287.amp
ポールのこのようなディランに対する尊敬を込めた対抗心が、コアな存在ではあるとはいえ、S&G時代に一楽曲として表現されていたというのは、S&G好き、ボブ・ディラン好きの私からするととても嬉しいことです。それではここからは、この曲の歌詞の内容を見ていきましょう。
今回はネットでめぼしい和訳を見つけることが出来なかったので、私物のアルバムの歌詞カードを載せています。ちなみにアルバムはS&Gの3thアルバムである
「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」です。
この歌詞カードを一目見てお分かりのとおり、この曲の歌詞には多くの作家やミュージシャンなどの名前が出てきます。タイトル通り散漫な歌詞となっており、アメリカ文学にあまり詳しくない私には初めて耳にするような作家の名前も多くでてきます。これらの作家たちはおそらく、当時ポールが好んで読み、歌詞のとおり感化されたり影響を受けたりした人物なのでしょう。また、ローリングストーンズやビートルズなど、同世代の偉大なミュージシャンたちの名前も惜しみなく歌詞に使われています。
また、二個目のまとまりでは、ディラン違いでディラン・トーマスの名前を挙げ、あきらかにボブ・ディランのことを示唆しています。ここで出てくるディラン・トーマスは、ボブ・ディランという芸名の由来になったウェールズの詩人です。他のミュージシャンや作家の名前は何の捻りもなく歌詞に使っているのに、ディランの部分では、ボブ・ディランのことを知らないある人物のことを取り上げて表現しています。ここがこの曲の意味深な部分の一つ目です。当時のポールの目には、ディランは他のミュージシャンたちとは違う存在として映っていたことがよくわかります。または、当時のディランの世界的人気や人々の好感度について、ポールの心に何か突き刺さるものがあったのかもしれません。
続く三つ目のまとまりでも人物の名前が使われていますが、一つ目や二つ目のまとまりに比べると、ポール自身により身近な家族や、共同作業者である音楽プロデューサーのロイ・ハリーやアート・ガーファンクルも出てきます。有名な作家やミュージシャンたちと並び、自身の身近にいる人物にも、ポールは影響を受けたと言っているのです。以前YouTubeの動画で、小学校時代、ポールが音楽家である彼の父親からギターのコード進行を習い、近所のアートの家に急いで向かい、「君にいいものを見せてあげるよ」と言って、アートに習ったばかりのコード進行を披露したというエピソードを聞いたことがあります。当時のポールの無邪気さに思わず笑みが溢れるような可愛いエピソードですが、音楽家である彼の父親と共に、小学校時代からの幼馴染であり、天使の歌声とも評される美声の持ち主であるアートにも、ポールは無意識のうちに影響を受けていたのでしょう。数々の著名人と共に、まさかアート・ガーファンクルまで歌詞には登場するとは思いもよりませんでした。この部分からは、当時のポールにとって、ディランだけでなく、相棒であるアートも自分との世間的比較対象であったという可能性が見えてきます。さまざまな当時のプロデューサーや周りの関係者達から、音楽の現場では常に対立していたという証言をされていたポールとアート。解散後も、2人のお互いへの評価は辛辣なものもいくつかあったようです。当時のポールにとっては、自分以外の周りの音楽関係者は全員リスペクトと対抗心の対象だったのかもしれません。ここが意味深な部分の二つ目です。
そして、この曲最大の意味深ポイントは、実は歌詞として表記されていません。一通り歌詞を歌い終わった後、ポールはこのように続けます。
Folk rock
I've lost my harmonica, Albert
(ハーモニカを落としちまったよ、アルバート)
曲の最後の最後に、ポールはさりげなく"Folk rock"と呟きます。これはこの曲の音楽ジャンルをフォークロックだと主張したいということなのでしょう。「これが俺のフォークロックだ‼︎」という感じでしょうか。もしそうなら、同じフォークロックのライバルはボブ・ディラン以外他にいないでしょう。
そしてまたハーモニカを奏で始め、その突如吹いていたハーモニカが、ガシャンと音を立てて床に落ちます。そして最後にポールがアルバートという人物にハーモニカが落ちたことを報告するのです。このアルバートという人物は、当時のボブディランを担当していた音楽プロデューサーです。ここでこの曲最大の意味深ポイントが現れました。
おそらく当時ボブ・ディランしか口にしないであろう
I've lost my harmonica, Albert
(ハーモニカを落としちまったよ、アルバート)
という文句を、ポールはこの曲の最後の最後、しかも終盤で音が段々と小さくなっているところに落とし込んだのです。
なんて巧妙な手口なんでしょう!!!
この際どいやり方、まさにポール・サイモンです!!
中盤、ディラン違いでボブ・ディランを示唆したかと思えば、今度は曲の終盤の最後の最後でボブ・ディランのプロデューサーの名前を出し、ボブ・ディランを意識した文句を歌うのです。一本やられたと聴き手が思った矢先、もう一本より大きな衝撃を聴き手に与えて曲を終わらせるポール。さましく、音楽界一のやり手です。
以上、S&Gの「簡単で散漫な演説」という曲でした。いかがでしたでしょうか。これはまさしく、当時のポールがディランに向けた挑戦状だったのでしょう。様々な技法を使ってディランのことを歌うポールは、やはり一筋縄ではいきません。こんなに複雑な曲を"簡単"などというのですから、馬鹿にされているようで、いい意味で腹が立ちます。笑
まあ、当時のアメリカの中流階級として育ち、大学で英語を専攻していたポールの言う"簡単"など、最初から信じてはいけないことは、皆さんも分かりきっていたことですよね。
ポールの言葉遊びを楽しむ曲として、これからもこの曲が多くの人の耳に届くことを願って、今回はお別れです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

