紫陽花の色は土壌のpH濃度によって変わる―――。
このことを知ったのは高校生のとき。
紫陽花の色が科学的な理由に基づいていたことに、当時の私は衝撃を隠せなかった。
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私の住んでいる団地は花壇や樹木に取り囲まれていて、四季折々の花が生活を彩っている。
幼稚園生から中学生まで歩いてきた通学路に咲く花々は、
退屈な通学時間に、小さな”発見”と”感動”を私に与えてくれたものだ。
6月の雨の日。敷地の入口を抜けて、石畳の道を曲がった先の花壇で、
色とりどりの紫陽花が咲き誇っているのを発見する。
雨に濡れた紫陽花は、生き生きと潤いに満ちた様子で、雨との交流を楽しんでいた。
青、紫、ピンク、赤。
紫陽花たちは雨に出会えた喜びで色付いていく。
雨が大好きな青の紫陽花。少し紅潮したピンクの紫陽花。
白の紫陽花は雨に濡れるのが少し苦手なのかもしれない。
そう思うととても愛おしく感じられて、
自分の傘に跳ねる雨の音と紫陽花に降り注ぐ雨の音が奏でる調べに、
少しの間、耳を澄ませた。
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紫陽花が”ただ6月に咲くだけの花”になって5年が過ぎた。
大学3年生の6月の雨の日。駅へ向かう途中、住宅地に沿った道の曲がり角で、
視界の左端に大きな紫陽花が映った。
傘を少し上げて見てみると、マンションの垣根から十数枝の紫陽花が道に向かって伸びていた。
青、紫、ピンク、赤。
雨に濡れた紫陽花は、生き生きと色鮮やかに咲き誇っていた。
とても綺麗だと思った。
傘を片手に持ちながら何とかリュックサックからスマホを出し、パシャリと写真に収めた。
次の日、またあの綺麗な紫陽花を見たくなった私は、カメラを持って、いつもの道を急いだ。
昨日の雨から一転、太陽の光が降り注ぐ五月晴れの日だった。
曲がり角が近づいてくると紫陽花が姿を現した。
青、紫、ピンク、赤。
色彩豊かに紫陽花が咲いている場所がいつもの通り道にあったことに、改めて驚かされた。
綺麗だと思った。
確かに綺麗な花だと思った。
だが、それだけだった。
曲がり角の向こう側から賑やかな多くの声が聞こえてきた。
この近くの高校の生徒たちだろうか。
私は紫陽花を写真に収め、その場を後にした。
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子どもの頃の私にとっての紫陽花は”雨の日に咲く花”だった。
成長した今の私は、紫陽花は”6月頃に開花する花”だということを知っている。
紫陽花の色は元々決まっているということも、今の私は知っている。
だが、あの雨の日、傘を上げた私の目に飛び込んできた紫陽花たちは、
確かに、鮮やかに、生き生きと、輝いていたのだ。
子どもの頃の私が出会った紫陽花たちと同じ姿で、私の前に現れたのだ。
子どもの頃の私は、雨に喜ぶ紫陽花が、同じ自然界に生きている仲間である、
ということを実感して嬉しくなったのではないだろうかと思う。
感情が色の種類に表れていると思っていた私は、
それが科学的な理由に基づくものだと知ると少なからずショックを受けた。
だが、紫陽花の色の表情は天気によって確かに変化する。
私たちの感情が天気によって左右されるように。
与えられた色を持って、それぞれの力で成長し、感情豊かに日々を過ごす紫陽花。
自身が一番綺麗に輝ける時期に花を開く紫陽花。
そんな紫陽花を、私はとても愛おしく、そして羨ましく感じている。
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もうすぐ梅雨が終わる。
梅雨が終わると、夏がやって来る。太陽が輝き、青い空に白い雲が立ち上る、あの夏が。
夏が来ると、私たちはあの愛おしい存在のことをきっと忘れてしまう。
そうして、秋が過ぎ、冬を乗り越え、春を迎える。
5月が終わり、カレンダーをめくったときに、私はまた思い出すのだ。
―――もうすぐ梅雨がやって来る、と。