吉祥寺バウスシアター
限定爆音上映
パレルモ・シューティング
観たー^^
一人で
吉祥寺のお祭りで
サッポロ黒ラベル飲んで
大阪焼食って
カタヌキ2枚やった
後ですw
写真家として成功しながら
実感の伴わない毎日・人生に疑問を持ちつづけ
死への恐怖に悩むフィン
彼が死神の幻影に出会い
自分の疑問の答えを見つけていく
そんな感じの話
デニス・ホッパーは
死神の役を
どんな気持ちで
演じてたのかな
もしかしたら
自身のラストを
考えながら
演じていたのかもしれない
映画の中の台詞
「いつも常にこれが最後かもしれないと思って行動すること」
人は「最後」に鈍感だと思う
終わりは突然矢のようにやってくる
最後に
気づくように生きていれば
後悔はないのかもしれない
あたしの家族で個人的にやってること
――どんなに喧嘩しても必ず家を出るときは笑顔で「いってきます」って挨拶して出かける。
なかなか
難しいんだけどね
でも
最後の言葉
最後の遭遇
が
悲しいものでは
あってはならない
人に対してもそうだけど
自分の行動一つ一つにも
同じことがいえて
これが最後のチャンスと思って
生きている限りは
いつも人生に実感が持てるね
「皆私(死神)を誤解している、私はもっと安らかで優しいものなのだ。」
「私がこの世で唯一の出口であって、通り道なのに。」
「私の存在こそが生への喜びだ。」
死というものが
生というものに対する
一つの解になっているのだと
わかる台詞
これを
デニスさんが言うとまた
すごかった
不気味に笑っているようで
どこかしら平穏を感じる目つき
ぞくぞくした
たぶん
死の概念がなければ
今生きていることを
大切にしないだろうな
そのことを
写真家の生き様をテーマにした本作品では
アナログカメラとデジタルカメラで
表現してた
現代の人間は
目の前のことに必死すぎて忙しすぎて
今を大切に生きていない
終わりに対する意識がないということ
デジタルカメラで撮ったものは
データとして残されるから
劣化しない
大切に保管なんかしなくても
いつまでも「その時」を永遠に残しておける
しかも
改変や再生も可能
本質なんて
何も写されていない
表面だけなめ撮って
表示される
凍りついた
その写真の映像は
生きていない
死を想起させる
キネ旬の記事で
ヴィム・ヴェンダース監督は
「僕は自分の両親の出会った頃の写真を大事に仕舞ってて、それをたまに見返すよ。
でも今のデジタルカメラの時代を生きる僕らの子供たちが僕たちの若い頃の写真を大事にとっといて見返すかどうかはわからないよね笑」
って語ってた。
たぶん
撮るほうだって
もはや1ショット1ショット大事にすること
なくなったと思う
いつでも
撮れるしいつでも自分の思うとおりに変えられる
これを逃すと「最後」なんて
意識は全くなくなっちゃった
最近
情報化で物の価値が無くなったって
いっぱいブログに
書いてたけど
これも
ちょっと似たことだと思う
もはや
情報化は
人間の生への実感すら
奪ったのですね
きっと
賛否両論だと
思うけど
あたしは
ヴィム・ヴェンダース監督の
死生観は
好ましいものを感じた
やー
良い映画だった
映像の技法も
おもしろかった
フィンが
不眠に悩まされてるシーンなんて
あたしの
いつもの眠りそっくり
あっさーい眠りのとき
夢と現実がごっちゃになる感じとか
時間経過が変な感じとか
あと
本人にその意識があったか
わかんないけど
ちょいちょい
縮尺のおかしい
シーンが出てくるんだけど
アリス症候群で
あたしがいつも
見て感じている情景と
全く一致してて
とても気持ちが良かった
そしてなにより
音楽が
強調されてて
爆音上映サイコーーー
フィンが
イヤホンを耳にするとき
耳のもぞもぞ音から
入って
片耳ずつはめて
映画館でも
左右順番にステレオになって
だんだん
爆音になっていく
車に乗っている間
歩いている間
音楽
がんがんに聞きながら
過ごしている臨場感が
快感だったー^^
選曲も
良かった
サントラ欲しくなったけど
日本でほとんど上映されてないし
輸入盤しか
ないんだろうなー
Tower頼みかなー