二回目の診察は、お馴染みの検査から始まります。

が、相変わらず上手く足はあがりませんし、痛みも変わっていませんでした。

軽いものなら一ヶ月ほど安静に寝ていれば治る、というのが先生の話でしたが、どうやら私はそのタイプではなかったようです。

肩を落とす暇もないので、私はこれからどうしたら良いのかを問います。

なんたってもう友人たちは大学に毎日通っているのだし、私は早く大学に復帰しなければならないのです。

しかし先生から告げられたことは私の期待を大きく裏切ることになるのです。

3ヶ月以上の安静。それが答えでした。

また安静か!!何処にもぶつけようのない怒りが沸々込み上げてきます。

何週間も寝ていて治らなかったんだ。他に治療法はないのかと私は訊ねます。

しかし一ヶ月少しでは自己治癒出来ない場合もあると。3ヶ月から半年、寝たきりになって治る場合もあるらしいのです。

基本的に椎間板ヘルニアは保存しながら治すらしく、手術はあまり薦めていないそうです。

3ヶ月も休んだら、それこそ本当に単位がとれないじゃないか…

途方に暮れながら私は家に帰り、家族にそのことを報告しました。

家族から提案されたのは、休学…ということでした。

留年するのが嫌な私は断固拒否しました。もう安静になんてしていられない、体を引きずってでも大学に行くつもりだったのです。

しかしそれは親が許しませんでした。私自身よくよく考えてみると家のなかを歩くだけで痛みが走るのに、この体で通学するのは不可能でした。


後日大学に問い合わせたところ、半年の休学では留年は免れるとのことでした。

不幸中の幸いというかなんというか、私は渋々休学を決意するのでした。

そののち家族が迎えに来、私は家族の車で実家に帰ることになるのです。

実家に帰ってからは母が身の回りの世話をしてくれたので、だいぶん生活は楽になりました。

しかしこのまま寝ていて治るのか?という不安が私にも家族にもありました。

どうせ時間はたっぷりあるのだから、入院してみればどうかと父は提案しました。

私は入院なんて、とまた拒否しましたが、不安な気持ちは同じです。

家にいても家族は夜まで帰ってこないので暇な生活。少しくらい我慢すれば治りが早くなるのかもと思えば入院もアリでした。

数日後、父は病院に連絡をとり私達は整形外科に向かうのでした。
履修登録当日、私は恐る恐る着替えを済ませ大学に向かいます。

あれ…なんだかそんなに痛くないぞ?歩けるし。

もしかして寝たきり生活の効果が出てきたのかな?と期待したのも束の間。

履修説明を聞く1時間の間に、じわじわと腰の痛みは襲ってきたのです。

ヘルニアにとって座位は厳禁です。それを1時間も続けたら痛むのは当たり前ですよね。

説明が終わって各自で自由行動が与えられたときには、私の足は思うように動かなくなっていました。

一歩踏み出す度に下半身に電流が走ります。耐えきれずに私は友人とともに大学のラウンジに行くと、すぐさまソファーに横になりました。

隣では友人たちがせっせと履修登録を進めていますが、私はそれどころではありません。

大学の授業履修はかなりの割合で自由選択なので、私は仲の良い友人と時間割を合わせることにしました。

二人で協力して授業内容や履修番号を確認したりしよう、とのことですが、その時の私と言えばほとんど役にたってなかったと思います。

友人に登録のほとんどを任せ、痛みにうなされていました。

「ちょっとは自分で考えろ」と友人は不満そうでした。

そのときは正直それどころではなく、「この痛みはなってみないと理解出来ないんだよ」などと内心腹を立てた記憶がありますが、いま思えば友人には悪いことをしたと思ってます。

履修登録が終わり、私は再び寝たきりの生活に戻ります。

大学が始まってもしばらくはベッドでの生活が必須と言われていたので、寝たきりといえども落ち着いてはいられません。

皆と一緒に新学年のスタートを切れないのも悲しかったですが、それよりも大学は単位制です。

こうして休んでいる間にも私の出席点は減らされ、単位がとるのが難しくなってゆくのです。

はじめのうちは友人にプリントやノートを届けてもらっていましたが、友人に迷惑をかけ続けるわけにもいきませんし、本当に早く治ることを一心に願うのみでした。

そのとき一人で下宿生活をしていた私は、世話をしてくれるひとがいません。

風呂にも入れない私に当たり前のように寄り添って、食事や身の回りの世話をしてくれた友人には本当に感謝しています。

そしてしばらくの寝たきり生活を経て、再び私は診察に向かうのです。

すべては早く大学に行きたい一心でした。
その一週間ほどのち、私はMRI検査を受けるために病院へ向かいました。

簡単な問診と説明をうけて、待ち合いました。

MRI検査はレントゲンでは分からない、椎間板の様子が見られるようです。

これの結果により、椎間板ヘルニアかどうか、どこの椎間板に異常があるのかなどを判断するようです。

名前を呼ばれ部屋に入る私。更衣室に案内され、ここで服を脱いでくださいと言われました。

MRIは磁気を使うので、いっさいの金属類は身につけられません。

アクセサリーやヘアピンはもちろん、ブラジャーも取って病衣に着替えます。

化粧はファンデーションやアイシャドウにラメが含まれていないものを使ったので、落とす必要はないと言われました。

パンツ一枚になり(ラメがついていなければいいらしいです)いよいよ検査が始まります。

MRIの台に寝かされ、仰向けの体勢になります。このとき、かなり辛くて看護師さんの手を借りました。

「キツそうね」と気の毒な顔をする看護師さんに苦笑いの私。

うん、キツいですよ。

台が動いて、筒状の機械に体がすっぽり収まりました。

あらかじめ閉所恐怖症ではないかと確認された意味が分かりました。

体すれすれまで筒の壁があり、ほとんど隙間がありません。太ってたら入れなくないのかな…

これは普通の人でも少し切迫された、息苦しい気持ちになりますね。

おまけに30分間動いてはいけないので、なんだか退屈です。

リラックスのために音楽が部屋には流れていましたが、検査が始まれば機械の音がうるさくて聞こえません。

寝ていてもいいですよ、とも言われましたがやはり機械の音がかなりうるさいので眠れるはずもなく。

30分機械の音をきき続け、これで検査は終了です。

「結果は直接通院先に送るので、今日は帰ってもらって結構ですよ」

と言われました。

お金はたしか6~7000くらいだったと思います。

会計を済ませて帰宅する私。帰りのバスで長時間座っているのが辛かったです。

そして、一週間後私は再びはじめに行った病院に行きました。

結果はなんとなくわかっていましたが、やはり椎間板ヘルニアとのこと。

L4、L5の椎間板にヘルニアがあると伝えられました。

MRIの写真を見せられて、素人目にもそれはわかりました。

背骨と背骨の間にある楕円形のものが、少しだけ列から飛び出していて、押された部分が黒くなっていました。

状態としてはそこまで酷いわけではないが痛みに個人差はあるので、まずは保存療法でとのことでした。

ああ、また寝たきり生活ですか…もうそろそろ大学が始まる時期だったので、私はなかなか迷いました。

動けない訳ではないのだから、学校に行ってはいけないのかとも聞きました。

しかし、1か月ほど寝て見なきゃ効果はないそうです。

しかも、1か月寝ても効果がないひともいると。

じゃあもし効果がなかったらその一ヶ月は無駄になるじゃないですか。なんなんだと私は少し腹が立ちました。

しかしやはり様子を見ないことには治療法も決められないとのことで、しぶしぶ承諾する私。

とりあえずは2週間、ベッドの上での生活をするようにと言われました。

2週間たったらもう一度来るように、と。

そしてそのとき私はまだ大学にいくつもりでした。ちょうど二週間後に大学の履修登録があるのです。

それを伝えたところ、それだけなら行ってよいと言われ、胸を撫で下ろす私。

履修登録しなければ春から学校に通えませんからね。

自分の時間を制限されるのは辛かったけれど、どっちにしろ痛くてあまり活動的になろうとも思わなかったので私はまたベッドの上での生活を始めました。

毎日テレビや読書で時間を潰し、いよいよ履修登録の日になったのです。
やっと診察室に案内された私。歩くのもやっとです。

看護師さんが荷物の大きさに驚きながら、持ってくれたことを覚えています。

とりあえず今の状況を説明し、レントゲンをとることにしました。もうこれが痛くて痛くて…。

台に乗るのに一苦労だった上、いろいろな角度から撮影するために叔父さんにぐいぐいと体を移動されられました。その度に痛いなあと思いましたが、さすがにそこは我慢しました。


右の下半身全体が痛むと言ったところ、座骨神経痛だろうと言われすぐにベッドに寝かされました。

まっすぐ仰向けに寝て、片方ずつまっすぐな(膝を曲げない)状態で先生が私の足をゆっくり上に上げて行きます。

左はほぼ直角になるまで上がりました。が、右足に取りかかってすぐに

「いたたた!」

思わず声を出してしまいました。30度も上がらないところで、今までにないくらい腰に鋭い痛みを感じたのです。

そしてさらに腰の方向にグーッと押されて、それがまたさらに痛い…

痛いです、と言ったあとにも診察はまだまだ続きます。

次は感覚神経のチェック?だったのでしょう。同時に膝下を触られ、どちらの方が強く感じるか。左の方が若干強く触られている気がしました。

足の親指、足首の屈折機能もチェックしました。先生が力を入れる方向と逆に足を反らせるのですが、右だけはどんなに力をいれてもフニャッと負けてしまいます。

どちらも右足の感覚が弱っているせいだと言われました。ショックでした。今まで大きな病気も怪我もしたことのない私にとって、自分の体が思うように動かないことが悔しくて堪らなかったのです。

正式にヘルニアと決まったわけではないのですが、かなりその疑いが強いと言うことで、MRI検査をすることになりました。

看護師さんに体重を聞かれるのは少し恥ずかしかったですけど、さほど肥満体というわけでもないので正直に記入しました。

そこの整形外科ではMRIの機器がないということで、べつのリハビリ病院への紹介状を書いて貰いました。

「MRIの結果はこちらに送られてくるので、2週間後にまた来てくださいね」

そう言われて資料を渡されました。

私はこれからずっとバイトのシフトが詰まっていたことを思い出しました。

自分でもこの状態では…と思いましたが、一応聞いてみるとやはり絶対安静とのこと。

もし不都合なら診断書も書いてくれると言うので、お願いしました。まだ椎間板ヘルニアと決まったわけではないので、3週間の安静とのことでした。

その日の診察は終わりました。

帰りに湿布と痛み止めの薬を受け取り、帰路につく私。普段なら歩いて帰れる道もこの体にとってはかなり過酷。

家に着くとバイト先に連絡し、MRI検査までの一週間。私は再び寝たきり生活を強いられるのでした。
下宿先に帰るまでには長い道のりを経ます。

まず実家からバスで一時間半、駅に向かいます。

荷物は重かったですが、一度席についてしまえば担ぐ必要もありません。しかし長時間の座位、これがこのあと響いてくるなどとは想像もつきませんでした。

駅について、再び荷物を担ぐ私。改札を通り、ホームに着くまではずっと荷物の重みの分だけ腰に負担がかかります。

少しずつ痛みを増しはじめたそこに

「あー…きたきた。やっぱり痛い」

と私は小さく呟くのでした。

ここからは特急で約2時間半の旅です。腰の痛みは荷物のせいだと思っていた私は一安心。荷物を下ろし、勢い良く椅子に座ったのです。

ヘルニアにとって座位が厳禁であることをまだ知らない私。トイレも近くないということで、乗り換えの駅まではずっと座りっぱなしでした。むしろ、それが腰にとっても楽な姿勢だと思ったのです。

そして乗り換えの駅に着きました。この時点で私の腰は限界だったのでしょう。少し痛いな、程度ではなくなったのです。

立ち上がった瞬間に腰に鋭い痛みが走り、一瞬動きが停止しました。それはもう、ぎっくり腰に匹敵する痛みですがまたタイプがちがいます。

筋肉ではなく、背骨が潰れたようにさえ思えました。

それでも頼る人間もいない私は一人荷物を持って移動するしかありません。

ここから普通電車に乗り換え、下宿先に向かいます。が、あと一時間半…おまけに乗り換えが2度あることを考えると絶望的でした。

とりあえず電車に乗りますが、僅かな振動ひとつひとつが腰に響いて、泣きたくなりました。

乗り換えの度に荷物を担ぐのですが、腰だけでなく、足にもピリピリとした痛みが走ります。

最後の駅についたときにはもう、右足をズルズルと引きずった状態になっていました。普通に歩きたくても、思うように足が動かなかったのです。

激しい痛みと、動かない右足。さすがにマズイと思った私は駅につくと家には帰らずタクシーに転がり込みました。

「ここから一番近い整形外科に向かってください!!」

一瞬運転手さんが「え?」という顔になり、

「どこでもいいんですか?」

と聞きました。

どこでもいいんです。それより早くして!といった気分でした。

結局ワンメーター分だけで小さな整形外科に連れて行ってもらいました。

タクシーに乗っている間、痛くて仕方なかったです。横になりたかったですが、それはさすがに理性が働きやめました。

また巨大なカバンを引きずりながらタクシーをおりて、必死の思いで整形外科の扉をあける私でした。

受付を済ませ、「座ってお待ちください」と言われましたが、内心冗談じゃないよ!…でした。

立っても座っても痛いのでもうどうでも良かったのですが、とにかく早くこの痛みから解放されたかったのです。

たまたまその日はえらく込んでいました。本当に小さな個人の整形外科のようで、まわりはお年寄りばかりでした。

診察を待つ間の20分はやたら長く感じ、ようやく私の名前を呼ばれたときには、もはや歩き方が尋常じゃなくなっていた気がします。

バイト先でぎっくり腰になった翌日、私は入れていたシフトをすべてキャンセルし治療に専念しました。


と、いってもぎっくり腰なんて寝ているしかないので、3日ほどはずっとベッドの上の生活でした。


もうあと少し安静にしていれば治るだろう、と思ったのです。


一人暮らしのためにいろいろと大変なことはありましたが、案の定一週間もしないうちに腰の痛みは全くなくなり、自由に動けるようになったのです。


バイトに戻ろうかとも考えましたが気づけば実家に帰省する日が近づいていることに気付いたのです。


私は急いで荷物をまとめ、家族のもとに帰る準備をしました。


そしてその数日後、私は家族と某駅で待ち合わせ、そのままスキー場に向かいました。


我が家では毎冬家族でスキーをすることが恒例なのです。


病み上がりということで家族は私の体を気にかけてくれたようですが、ぎっくり腰も治ったことだし大丈夫だと私は伝えました。


正直、帰省中の特急で座りっぱなしだったせいか、少し痛みはありました。けれどあの時のような激痛ではなかったし、せっかくの家族スキー。


わざわざ父が車を走らせてくれた手前、当時の私にとってここで滑らないわけにはいかなかったのでしょう。


スキーウェアに着替え、早速私たちはすべりはじめました。


そのときの私は一か月ほど前に大学のスキー講習を終えたばかりでした。


幼いころから親しんできた唯一のスポーツだったのと、なにより滑ることが大好きだったこともあり、その実習ではわりといい成績を残すことが出来たのです。


そんなこともあり私は多少調子に乗っていたのかも知れません。


少し成長した自分を父や妹に見てほしく、激しい凹凸のある斜面なんかもスピードを飛ばして滑っていました。


滑ることに夢中になっていたときは気付かなかったのですが、休憩に入って5分ほどしたときでした。


あのときのぎっくり腰とはまた違った、違和感が腰に出てきたのです。


けれど我慢できないほどの痛みではなかったので、私は滑り続けました。


そのあともなんら変わりはなく、私たちはスキーを楽しみました。


強いて言えば、違和感を感じはじめたころから転びやすくなったような気はしましたが、いまとなってはそが原因かはっきりとはわかりません。


その後一泊宿に泊まり、私たちは帰宅しました。


帰りの車ではずっと横になって寝ていることが多く、そのときの私はまだ腰のヘルニアの存在に気づけてはいませんでした。


すくなくともただの腰痛程度にしか考えていなかったのです。


ようやくおかしいと思い始めたのは、実家に帰ってからでした。


当時の私の下宿先にはまだパソコンがなく、実家に帰ってからは私はパソコンの前に入り浸りでした。


インターネットやゲームを楽しむために、イスに座ることが多くなったのです。


しかしどんなにがんばっても、10分も座っていられなくなったのです。


腰というよりも、右のお尻の、筋肉ではなく奥が痛いのです。


これがまさしく、坐骨神経痛だったのです。


いままでにない痛みでした。湿布などをはっても効かず、しまいには脹脛までがジンジンと痛みはjじめました。


異変を母に伝えると、それは坐骨神経痛かもしれないと聞かされ、さっそく私は坐骨神経痛について調べ始めました。


ここで初めて、自分が椎間板ヘルニアであることを疑うようになるのです。


それからは痛みを感じることも多くなり、歩くことにも座ることもなんとなく億劫になってしましました。


そして食事とトイレと入浴以外は無意識に寝ていることが多くなりました。


そうはいってもまだ能天気な私は、少し寝てれば治るものだとおもっていたのです。


家族もまだこのころはあまり気に掛ける様子もなく、下宿先に帰ったらとりあえず大学が始まる前に整形外科に行くことをすすめられました。


そしていよいよ下宿先に帰る日、4キロはあるだろう大きな荷物を肩に担いで、私は実家を出ました。


いま思えばこの行動がかなり良くなかったのでしょう。


帰るまでの4時間。それはもう地獄のようでした。

私は中学校のころにはじめてぎっくり腰になってから、癖がついてしまったようで何年かに一度はぎっくり腰を発症していました。


そして私はそのぎっくり腰から椎間板ヘルニアになってしまったケースです。


それまではごく普通の日常生活を送っていた私。


春休みになると大学は休みが長いので、バイト一色の生活になりました。


仕事内容は飲食店のホールスタッフでした。


この間にたくさん稼ぎたい気持ちもあり、朝10時から夜中の12時まで働きつめました。


休憩はありましたが実際は賄いを食べるだけで精いっぱいで、一日のうちほとんどを立ち仕事ですごしていたことになります。


いま思えばこれがかなり大きな原因となったのですが、当時の私はまさか自分がそんな病気にかかるとは思ってもいなかったので、知らず知らずのうちに腰に負担をかけていました。


2007年の2月頃から腰に痛みや違和感を感じ始めましたが、ひどく痛むわけでもなかったので放置していました。


それでなくても毎日が働きっぱなしの生活だったので、貴重な休みを整形外科に使うなんてことは考えていなかったのです。


すぐに治るだろう軽く考え、それからもアルバイトをし続けました。


2007年3月の初めごろ。その日も私はいつもどおり開店準備に追われていました。


いつのもように床に掃除機をかけ、テーブルクロスをとりかえる作業をし、なんら変わりはありませんでした。


強いて言うならばその日はいつもよりも腰の痛みが強かったかもしれません。


ただ、前日に夜更かしをしていたので、それで体がだるいのだろうと思ったのです。


開店時間になり、お客さんがどんどんと入ってきます。


こうなったらもう休む暇なんてありません。


当時私もアルバイト先はある料理番組で特集されたことにより客足が絶えませんでした。


スタッフも多くはなく、その忙しさは今思い出すだけでもハラハラするほどです。


しかも器にこだわった店のため、やたら器が大きかったり重かったりするのです。


開店一時間ほどがたち、私は自分の肩幅以上に長い器を運ぼうとそれを持ち上げました。


その時です。いままで鈍かった腰の痛みが急にズキンとするどくなったのです。


激痛でしたが料理をおとすわけにもいかず、気力だけでテーブルに運びました。


その後もなんとか働こうとしましたが歩くたびに痛みは激しくなるし、思うように歩けなくなり限界でした。


ほかのスタッフには申し訳なかったですが、説明をし一時的に職場を抜けさせてもらいました。


私は午後からも働く予定でしたので、これは早くなおさなければと体を引きずって近くの接骨院に向かいました。


が、お昼どきということもあってほとんどの接骨院が受付時間を過ぎていました。


しかたなくあいている整体院に入り、そこでぎっくり腰だと診断されたのです。


ぎっくり腰になってしまったら働くなんてとんでもないといわれ、その日は職場を早退しました。


そしてそれから三日ほど療養し、腰の痛みは和らぎました。


このときの私はまだ、あと少しやすめばまた働けると思っていたのですが、これがすべてのはじまりだったのです。

はじめまして、「ヘルニア娘。」の管理人ソラモです^^


このブログでは私の日常、特に持病である椎間板ヘルニアの闘病日記を中心に綴っていくつもりです。


閲覧される皆さんが少しでもこの病気について理解してほしいと思い、はじめたものです。


さて、椎間板ヘルニアという病気ですがあまりよく知らない人もいるのではと思います。


私も自分が発症するまでは腰痛の一種ということしか知識はありませんでした。


こんな言い方をすれば今はわかっているような口ですが、ヘルニア歴の短い私は基本的なことを学んだだけで深い知識まではありません。


詳しく知りたい方は専門の資料やサイトを見ることをオススメします。


私たちの背骨と背骨の間には、椎間板と呼ばれる軟骨があり、クッションのような役割をはたしています。


簡単に言ってしまえば腰に負担がかかることによってその椎間板が飛び出してしまった状態のことを椎間板ヘルニアと言います。


痛みのない人もいますが、ほとんどの人はそこにある神経を圧されて坐骨神経痛などを生じる場合が多いようです。


圧迫される神経によって、痛みを感じる箇所もちがいますし、症状・感じ方も様々です。


私の場合は右の臀部から足首にかけて電気が走ったようなピリピリとした痛みがありました。


しびれを訴える人もいるようですが、私はしびれを感じることはほとんどありません。


ですが右足全体の感覚が鈍く、悪化がすすむと右足首・右母趾の屈折は難しくなり、歩行が困難になりました。


酷い場合は排泄障害などを引き起こし、手術が必要になりますがそれ以外はヘルニアを切らない保存療法で治療してゆきます。


治療法は牽引や薬物療法、電気治療などがあります。


ほとんどの人は手術をせずに、このような治療を行います。


しかし完治の難しいこの病気はなかなか症状が改善されずに痛みに苦しむ人がたくさんいます。


痛みを抑えるためにブロック注射というものを打つ人もいます。


ブロック注射は痛み止めにちかい役割を果たしますが効果も人それぞれで、まったく効き目がない人も、これでかなり回復する人もいるようです。


高齢者だけでなく、若い女性やデスクワークの多い人もなりやすいようです。


ですが言ってしまえば誰にでもなりえる病気なのです。


そして一度なってしまうと本当に苦しい思いをします。


いまはなんともなくとも、今後なる可能性だってないわけではありません。


良い姿勢を心がけ、腰に負担をかけすぎないようにすることが大切なのです。