Where there is a will, there is a way.

Where there is a will, there is a way.

「何かしなければ、なんとかしないと」と思っていたのに、いつの間にか億劫に
なったり、忘れてしまうことありますよね。

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(農業生産に直接関わった経験はないので農薬の良い面については知らないことをお断りしたうえで)


西洋各国においてこの数年でみつばちが忽然といなくなっていること、農作物の生産に深刻な影響がでていることが報道されています。どうやらネオニコチノイドという農薬が一因のようで、欧州ではすでに使用禁止になっています。このテーマでは、レイチェル・カーソンの「沈黙の春(原題Silent pring)」をもじった、ハチはなぜ大量死したのか(原題Fruitless Fall)など沢山の本がでています。実はこの農薬、開発したのはベトナム戦争で散布された枯葉剤(ダイオキシンの一種)を作った会社と同じ。ダイオキシンによる健康被害、次世代の悲劇もよく知られている。なのに日本ではどうして規制されないのでしょう。水俣病やイタイイタイ病など数々の公害をもう忘れてしまったのでしょうか。


いわゆる農業マフィアによる生産量コントロール、政治家による農薬生産業者保護にはカネの要素しかありません。日本の農業もこういった世界に急速に巻き込まれて、わたしたちの健康より利権としてのカネという人たちの政策に支配されています。どうしたらいいのでしょうか。結局政治に頼らず、わたしたち自身で生産者保護をするしかないのではないでしょうか。おそらく突き詰めればコストの問題だけが残ると思います。自分で作れる人は作り、農薬を使用しない農業を応援し、少々不揃いであったり、穴があいていても問題にしない。価格が高めでも安全なものを買うという考え方を広めていきませんか。とりあえずすでにバランス良くそういう運動している人探してみます。


次回は抗生剤の使いすぎ問題

土曜日の夜、あるお子さんのお宅にお邪魔してきました。以前話題にした300g未満で生まれたお子さんです。2週間前に酸素を止めることができ、いまは、口で十分飲めないために生まれた時からずっと使ってきたチューブを抜く練習をしています。チューブを抜いて、定期的な注入を止めることで、空腹感や渇きにまかせてもっと飲めるようにならないかと考えてのことです。

Where there is a will, there is a way.-t 目論見どおりにいかなければ脱水症状で大変なことになりかねないので見に行ったのですが、チューブを抜いて1日経つ頃からようやくこれは頑張らねばと思ったのでしょうか、急に飲み始めました。良く動き、声を出し、笑ってくれています。生まれた時は写真のように片手に乗る大きさで、かなり肺も悪くなりましたが、いま酸素が要らなくなり、いずれチューブも外せそうな流れになってきています。彼女のために毎日祈っているひとが沢山いることを最近知りました。この子の奇跡的な生存、発育はそのような思いに支えられたものだったのかと思わされます。実は、その日の昼、ある研究会で、このような極端に小さな子を助けようとすることの是非が議論されていたのですが、みんなで応援する素地がこの日本の社会にあるのなら助けてあげたい。みんなで応援できるようにするのが自分の仕事だと考えています。


がんばれみんな!

今度韓国に行くことになりました。関西空港から飛行時間1時間半。札幌や奄美より近い!インチョンで乗り継ぎをしたことはありましたが、今度はソウル滞在です。主目的は現地の医師たちと最新の治療法について論議することなのですが、うわさのひとり勝ちサムソン(Samsung)や受験戦争、北朝鮮との対峙などについて聞き感じてきたいと思っています。


障害のある人や支援する人たちの体験手記を表彰するNHK障害福祉賞というのがあります。1996年の最優秀作をドラマ化した「風をあつめて」が年末に放送されました。その時には見逃したのですが、2週間前の再放送を当直先でたまたま見ることができました。


特養に勤務し、介護に力を入れている浦上さん夫妻のお子さんが2人とも福山型筋ジストロフィーという難病で、大変な思いをしながら夫婦の危機を乗り越え、お子さんに愛情を注いでおられる姿を描いたものです。もちろん感動したのですが、自分の中では懺悔の思いが残っています。自分は家族の葛藤、悲しみから仕事に逃げたと自覚しているからです。病気のお子さんやご家族の助けになろうとする前に、自分の身近な人を幸せにすべきではないかと。マザーテレサも、日本の人たちはまず日本の人たちを助けるべきだ。その前に自分の家族を幸せにすべきだというようなことを仰っていました。いまからでも自分の歩みをバランスのとれたものにしないとと考えさせられました。



このところ内外で公私に深刻なことが続いて気が変になりそうだったので、自分らしさを取り戻すためにもくだらない話題を。


・ピンポン暇なし


ピンポンって若い人にも通じるかな?天才少女が定期的に出てくるあの卓球のことです。そういえば愛ちゃんもせわしなく動いていたっけ。サーッ!


・サルモネラ追わず


サルモネラは生卵などで食中毒になるあのバイキンです。激しいときには吐き下しだけでは済まずに、2週間くらい熱が続くこともあります。治療は水分を点滴などでとるしかありません。このバイキンなかなか抗生剤が効かないんです。かえって抗生剤で菌が壊れるときに出る毒素で症状が悪化することもあるくらいで。そこで、無理に治療しようとするより、水分をとって休んで待つほうがいいかもよという意味。


・腐っておもたい


下宿生活をするとインスタントラーメンばっかりになりがち。手軽に野菜をということで安いモヤシを買うのであるが、気が付いたら冷蔵庫で茶色くふやけて重たくなってる。でも、もったいないし、熱したら大丈夫だろとそのまま入れて食ってしまうと、案の定おなかが激おもに・・・


これの派生語で、腐ってもったいない がある。


とりあえずこんなところで。

夜逃げから3カ月、家族四人であたらしい隠れ家に暮らしていたある日、中学校に明らかにその筋とわかる2人組がやってきた。わたしはそれとすぐに気付き、別の教室に隠れたのだが、わざわざ事情を知らないともだちが案内してくれた(はぁ・・・)。覚悟を決めて校舎の外で話すと、おとうさんの居場所を教えろという。しばらく知らないと押し問答していたが、それなら小学生の妹の所にいくという。そんな映画みたいな脅し文句本当に言うのかと思ったが、苦渋の思いで住まいの住所を渡さざるを得なかった。教室では大騒ぎになっていたようで、女の子が先生方を呼び集めて、駆けつけてくれて、「何をしてるんですか」と言ってくれた。その時、学校に自分の居場所ができたようでうれしかったことを覚えている。また、学校の不良たちに一目置かれるようになったのはご愛嬌であった。その後しばらく、事件が起きないか気が気ではなかったが、後日父に謝った時も「ああ・・・、うん」で済んでほっとした。


その後忘れたころにもう一度別のやくざがやってきたが、その時は家族の居場所は知らないことを確信していたので、知らぬ存ぜぬ、わかればこっちが教えてほしいくらいだと言いのけた。わたし自身は弱いものであるが、自分を守ってくれる存在を信じることによって強くなれることを感じた一日であった。


神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう (ローマ人への手紙8章31節)

1975年いちご白書をもう一度という曲がヒットした。その年、わたしたちは夜逃げした。オイルショックの余波で父が経営していたガソリンスタンドが倒産したためだ。夜逃げの3か月前、わたしは大阪の高校に進学するため母と妹とともに大阪のマンションに引っ越しており、父とは別居していた。冬のある日、突然父が現れて、土下座して言った。「すまん、一緒に戻ってくれ・・・」。父は泣いていたと記憶する。なんと応えたのか記憶はない。みんな無言で田舎に戻った。その晩だったか、次の晩だったか、夜中に突然起こされ、借金取り(=暴力団)に追われているからと急いで逃げることとなり、またみな無言で大阪に舞い戻った。その往復の車中、ラジオで繰り返し流れていたのが、いちご白書をもう一度。その日以来、父は遠い親戚の家に身を寄せ(何年もあとから知らされた)、母とわたし、妹は知人が用意してくれた隠れ家に住んだ。母はすぐに働きに出たため、新しい学校に通いはじめ、妹と二人過ごした。その時の心象風景がこの歌と結びついて離れずにいる。


父は生きてるのか死んでるのか、もう高校は行けないのだろうな、働きに行かないといけないのかなあ、なにをするんだろうなどと考えていた日々、なぜか絶望感はなかった。自分の人生に何か悪いことが起きても「ひと事化」して耐える癖はこの時に身に着いたように思う。父が死んで1年、そんなことを何度か振り返りながら、やはり自分は守られてきたのだなと思う。


主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」へブル人への手紙13章5節

わたしの人生でもっとも幸せであった記憶。それは幼少期に両親に連れられて通った教会の記憶。なにがあったとか何一つ覚えていないのだが、とにかく居心地の良さだけを覚えている。うちの両親は決して仲が良いとは言えなかったし、その後かなり波瀾万丈の人生を歩むことになるので、その時期の記憶がよいものとして強調されたのかもしれない。それにしても・・・と思っていたのだが、今日たまたま別のことで調べ物をしていて、わかった気がした。


その教会の牧師は菱川侃一先生。経歴を見ると有能な医師で、国民皆保険制度がまだなかった頃から、恵まれない人にも医療を施すことを目指し、いまも大阪市内で存続している暁明館の創設に関わったりしておられたようだ。60歳になってから牧師となり、その伝道所に幼少のわたしは連れられて行ったのだ。とにかくかわいがられていたと聞く。みんな笑顔だった。そんな雰囲気の中心に菱川先生がいたのではないか。いま、自分がなぜ医師をしているのかを振り返ると、遠い遠い原点に先生の存在があったと思わざるを得ない。


先生の著作に「生かされてこそ人は生きる」というのがあることを知った。そうか!ひとは一人では生きられない。愛され、支持されなければ生きていけないという自分の思いは、そんなところから始まっていたのだ。自分の原点を忘れず歩んで行きたいと思った。


イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ2:17)

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Where there is a will, there is a way.-asunaro

わたしうどん好きで、このところ毎日1食は食べてる気がします。かなりうどんの味にはうるさいほうです。


それで「あすなろ麺」、今日久しぶりに売りに来てたので5つ買ってしまいました。これほんとにおいしいんです。なんと2年連続モンドセレクション受賞!しかも、授産施設の製品なので買うしかないでしょう!


授産施設とは障がいをお持ちの方々が仕事をして報酬をもらえるようにさまざまな作業を指導されている施設で、労働の結果収益があれば応分の配分金がもらえるというシステムです。残念ながら以下の所長さんのインタビューにあるように、なかなか満足な報酬がもらえるようにならないのですが、このあすなろ麺は味の面では市場での競争に耐えられるものと確信していますし、モンドセレクション受賞という話題性もあります。残念ながら流通経路がないため日の目を見ていません。このブログくらいでは何の足しにもならないでしょうけど、ひとつでも二つでも売れるという体験が励みになるのではないかとご紹介します。



Where there is a will, there is a way.-as

所長さんの紹介記事:
http://www.ooaana.or.jp/chamber/kanban/10.html

英単語のneglect、怠るとかないがしろにするといった意味ですが、虐待の一種とされる育児放棄の意味でも使われます。例えば十分な授乳をしないとか、お風呂に入れず汚れたままにしているなどです。最近は保健師さんが地域をよく回ってくださるので、ずいぶん早く見つけられるようになったようです。なんとかそういうお母さん方を救ってあげてほしいと思います。さて、今増えているのは医療ネグレクト。本来助かるはずの病気に対する適切な治療を拒否することによって、こどもが命を落としたり、障害を残したりすることです。大人が本人の病気でもう治療してくれるな!というのはいいのです。自分の意志ですから。ちいさな子どもや赤ちゃんの場合、治してくださいともやめてくださいとも言えないので、親がその代弁者として意思決定を委ねられるわけです。それが医療者の常識や意向に反して治療を拒んだ場合、正義の医療者が「これはネグレクトだ」というわけですがどうでしょうか?これは。正直医療者側の傲慢さを感じさせて嫌な言葉ではあるのですが、それはそれとして、米国の法律ではこどもにとっての最善をなすべしと規定されていて、その最善はなんだということがしばしば裁判沙汰になっていたようです。日本では規定も裁判もなく、医療者が神を演じるか、説得をあきらめて親の意見のままにするかです。わたしの経験では、親の言うままにしてハッピーだったお子さんのほうが圧倒的に少ない気がしますが、それでも親は親、それを背負って歩んでくれればいいのですが、残念ながらそういう方に限ってお子さんと家で過ごそうとはされません。そうなるのなら論議を呼んだ赤ちゃんポストのように、病気の赤ちゃんポストも考えないといけないのだろうかと思わされます。