📩◾️『世界はなぜ「ある」のか?-----「究極のなぜ?」を追う哲学の旅』(ジム・ホルト、寺町朋子訳/早川文庫)(1)
*高校生の時に、著者は、「なぜ全く何もないのではなく、何かがあるのか?」という「存在の謎」とも称される問いに出くわした。その単刀直入さ、純粋さ、純然たるパワーに圧倒されたのを覚えている、という。
まあ、この時点でこの人は特別な人である。多くの人は、こんな疑問を持ちはしないだろう。「何かがあることになぜだろう?」なんて、どこからこんな問いを思いつくのか?
この問いは、非常に深遠なので形而上学者の頭にしか浮かばないが、それでいて非常に単純なので子どもの頭にしか浮かばない、とも言われてきた。
そこで著者は、超一流の物理学者、数学者、科学哲学者、小説家に会いに行って、直接この問いをぶつけてみることにした。その旅の記録がこの本である。
著者は、アメリカの哲学者兼作家である。
*この問いをめぐり、思想家の見方は三つに分かれて現在に至っている。
①「楽観派」は、世界の存在には何らかの理由があるはずであり、それを見出せるだろうと考えている。
②「悲観派」は、世界が存在する理由はあるかもしれないが、確かなことは決して分かるまい-------なぜなら、おそらく私たちに見えるのは現実のごく一部でしかなく、その背後にある理由が分からないからか、現実の背後にある理由は、宇宙の本質を看破するためでなく、あくまで生き残るために自然が人間に与えてくれたもので、知性の及ばないところにあるからだ、と考えている。
(** 人間の知性に都合の良い理解しか人間は得られないということか?ここは、人間中心主義にならざるを得ない。今のところ宇宙には、知的生命体は人間しかいないということだから。しかし、人間以外にも必ず知的生命体はあるのだ、という科学的知見もあるようだ。それを表す数式まであるようだ)
③そして「拒否派」は、世界が存在する理由などあるはずがない、したがってその問い自体が無意味だと信じ続けている。
*****私は、③に属すると思う。「是非もない事実」として世界はある、と思っている。夢も希望もないつまらない思いかもしれないが。
この本を読んでどう変わるか?ナ。
🌴この項続く🦅
▪️Thanks for reading.🦜