この本も「スリランカの悪魔祓い 」に続き職場でお借りした本です。

「スリランカの悪魔祓い」では「癒し」の原因を調査していましたが、本書では「自殺率の低い町」の原因を探り、考察しています。そして統計の有意性を確保するための手法が紹介されています。

 

本書においては自殺率が低いのはなぜかと言うのを調査していて、その結果、自殺率が少ない原因や自殺予防に必要な要因ことは何も難しい事ではなく当たり前に分かることだな~と思っていたら、本書でも以下のように述べられていました。

 

「特別に高尚でもなければ複雑でもない、いたって単純で理解しやすいことばかりだった。」

 

しかしその分かりやすい、言われてみれば当たり前のことを実践したりすることが、いかに難しいしかという現実も読み取れます。

 

人に対しても「つらかったら弱音を吐いていいんだよ」とか「悩みを一人で抱え込まないようにね」と声かけをしたとしても、本当に悩みを抱えている人には簡単に他人に悩みを打ち明けることはできないでしょう。

 

本書においても自殺率の高いA町の人は慎み深く周りに迷惑をかけたくないから問題があっても声に出せないと指摘されてますしね。

 

そして海部町の人は幸せと感じている比率が少なく、どちらでもないが高いというのは意外なようで、よく考えると納得できる気がします。

 

人生で常に幸福ではいられないので、幸福と感じていた人が不幸になれば、その落差により自殺に至ることもあるもしれません。

その点、海部町の人は中庸なんでしょう。中庸であれば、人生の山や谷がきても心の乱れは少なくてすみそうですからね。

 

でもそんな心の持ちようは今の世の中、特に都市部や仕事上では難しい気がします。

 

「いろんな人がいたほうがよい」は今の言葉で言えばダイバーシティの受容とでも言うのでしょうね。

違う価値観や考え方があったほうが組織が活性化したりするのも分かる気がします。またリスク管理や組織防衛をする上でも多様性があったほうが、考え方に偏りが出ないために有利に働きそうです。

 

読んでいる途中、本書の中で見知らぬ人を信用できますか?の問いには、海部町の方々は信用できる度と答えた人の割合が高いそうです。

今の私は残念ながら信用できないと答えるでしょう。

それを私自身、寂しい事であると思いました。

 

しかしは見知らぬ人でも信用する度合いが高いというのは、見知らぬ人により被害を受けていない、つまり治安がずっとよかったからではないのでしょうか。

意地悪な見方をするならば、もし治安が悪くなり被害を受けるようになったらそこまで他人を信用できるのかな~と思います。

なのでその自治体における見知らぬ人を信用できる割合と人口密度と犯罪発生率を比較してみると何かが見えてくるかもしれませんね。

 

最後に思うことは今の世の中、特にネットでは

・自分の正義を振りかざして中傷する

・一度過ちを犯した者に対して、共通した考えの者が一斉に他者を攻撃する

・他人のブログ等を見て、粗探しをする。

・一度の失敗を許さない

・いつまでも失敗がのこり続ける

など、本書に書かれている海部町の人たちとは真逆の傾向になるように思えます。

世の中が海部町の人たちのような傾向になれば今より少し「生き心地の良い世界」になるのでしょう。

 

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