私は「ダンデライオン」にしたいと思っている。

 

先月、市役所からの帰りにタンポポの綿毛を見かけ、『あー、これが大空へ飛んでゆくのだな...』と思い、未知への広がりを感じたからだ。


その広がりと市の今後の発展がリンクし、小さいけれど力強さを感じるタンポポが市の花になったら良いな、と思った。

父親はエリートであるが「自己愛性パーソナリティ症」のようであり「モラハラ気質」。

母親は「神経発達症(発達障害)」のようで、自分優先の人である。

 

このような両親に育てられた私は、愛着障害もあるしメンタルが弱くて不安が強く、他にも多くの問題を抱えている。

 

そうなると当然生きづらいのでカウンセリングも受けたし、本を読んだり、最近では信頼できる精神科医の動画を見て知識を得て、何十年にも渡って考えてきた。

 

その経験は全く無駄になっておらず、カウンセリングを受けていた時のクセなのだろうが、ふと気付くことも多い。

 

 

自己愛性と発達の両親になんとか理解してもらいたい・話し合いができるようになりたいと何度も挑戦してきたわけだが、相手は変わらないので結局は無理だった。

 

諦められたのはつい最近のこと。

その境地に至るまでは本当に辛かった。

 

これらの複雑な心について話せる人は近くにいない。

そんな私を助けてくれたのは、お金だった。

 

私にとっては、【お金=水】なのだ。

水が少なくても直ぐに死ぬことはないが、なければ早々に死ぬ。

これだ!

 

 

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私のモヤモヤとした気持ちを、この著者が言語化してくれている。

 

私は、「優生思想を持っている人は、実は劣等感が強いのだろう」と思っている。

自分自身がそうだからだ。

 

他人を見下し、己の汚い感情に愕然とし、悶々とする。

 

私が貧困者が大嫌いなのは、貧しさが自分の惨めさ・劣等感といったネガティブなものを刺激するからだ。

 

生活保護は貧困の最たるものだと思って、貧困者よりたちが悪いと思う時もあるほどである。

 

 

貧困者といえば弱者。

弱者と言えば高齢者もそのカテゴリーに入るのだろう。

 

遺伝的要素もあるだろうが、だらけた生活をしていて体が弱り働けなくなって生活保護を受給しているとしたら、両親の地道な頑張りを踏みにじられているような感じがして少し腹が立つ。

自己責任と言われても仕方がない部分はあると思う。

 

私の両親は「あんな姿になりたくない」と強く言う人であり、そのようにならぬよう出来るだけ体を動かし、毎日努力をしている。

その成果なのだろう。80歳代後半である今も動きはなめらかで、2階へも難なく上がっている。

90代になったらさすがに困難になるかもしれないが、父親からは、這ってでも上るのではないかと思わせるほどの気力が伝わってくる。

 

 

筋肉は裏切らない、と言う。

それは一理ある。

なので私も軽くであるが筋トレをし、日常ではなるべく階段を使うように心掛けている。

 

 

優生思想までいくと過激だが、その思想は多かれ少なかれ全ての人の心の中にあるものだと思っている。

 

自分は幼少期から、情緒的孤独だったと思っている。

 

誰にも、本当の気持ちやありのままの自分を受け止めてももらえなかった。

当然、理解もされていなかったと思う。

 

 

勉強はできていたので不登校にならず、問題行動も起こしていなかった(抑圧していたのかもしれないが⋯)ので、周囲は物言わぬ変わった子くらいにしか思っていなかったんだろう。

 

実は【場面緘黙症】だったのだが、当時はスクールカウンセラーもおらず、サポートも何もなかった。

 

 

そんな私が一人でよく行っていたのは「図書室」だった。

 

図書室は隔離された雰囲気があっていつも静かで、少し暗い感じもあって身を隠す場所がたくさんあった。

人もほとんどおらず、穏やかで優しい感じの女性がいつもいるくらいだった。

そこが私の避難先だったのだ。

 

今も、一人になれる静かな場所でないと安心できない。