秋芳洞とならび知られる秋芳町赤郷宇佐山の名勝景清洞」は平家の落人伝説をもつ。

 大庭景宗という平家の落武者が従者を連れてこの洞窟に住いを定めたが、彼はいたって豪の者で、源氏の追討を恐れるふうもなく、赤い平家の旗を洞前にはためかせるほどで、常に平家の再興を考えていたという。ところで、彼はこの里の娘を嫁にし、洞窟内で景清という男の子が生まれた。景清は長ずるに及んで才智がすぐれ、ことに武芸に秀で、十五歳のころには長門地方一の剣士とうたわれた。このことはいつしか鎌倉に知れ、大庭父子をねらう源氏の刺客が放たれた。
 
 建久九年(一一九八)、仲秋の名月に招かれて、景宗は大山の大田氏の館に赴き、景清が数名の小者と留守をあずかっているところへ、里に鎌倉の刺客が忍びこんだとの注進があった。聞くとすぐさま、景清はわずかの家来を連れ、馬に飛び乗って、家に待ちうけることなく刺客に不意打ちをかけ、ものの見事に刺
客らをなぎ倒し、その首領らしい者を生け捕りにしたという。それ以後、この地には鎌倉方の者の姿をみかけることがなくなったといわれていう。

洞内には景清ゆかりの八幡宮があります。山口県はどこに行っても平家の話が残っていますね。
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