俊乗坊重源は、東大寺再建のため周防国の国司上人として周防国に入り、用材の伐採にかかったが、長さ13丈(40m)、方2尺3寸(70cm) という一本の棟木がどうしても見つからなかった。するとある夜、夢の中に大和国添上郡矢田寺の地蔵尊が示現し、「わしが棟木の所在を教えよう。ついて来たれ」と先導されたが、いつの間にか地蔵尊の姿は消え、白牛が一頭あらわれて歩いているので、ついて行くことしばらく、大木の下に達していた。重源上人はこの夢に導かれ、小佐波(山口市小鯖) の地にたどとりつき、十数丈もあろうという念願の棟木になる木をみつけた。その日は文治二年(1186)の9月14日であったという。

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 この棟木の切ロで、夢の中に示現した地蔵尊像二体を上人自ら刻み、一体は東大寺の常行念仏堂に、もう一体は免坊(面貌)山の東麓別道(山口市大内) に、金剛山延命寺を建立して安置したと伝えられている。